赤をモチーフにしたユニホームは、野球人生で初めてなのだという。

「こういう色は着て来なかったので……。正直、違和感はありますね」

 茶目っ気たっぷりに桜井はそう言って会見場を沸かせた。

 読売ジャイアンツのスカウトとして関西地区を担当していた桜井俊貴氏が、社会人野球・ミキハウス硬式野球部に2024年から加わり、現役復帰すること正式発表されたのは23年の12月下旬だった。

巨人ドラ1→7年間で引退、スカウトの道へ

 立命大出身の桜井は15年に巨人からドラフト1位指名を受け、翌年入団。

 4年目にプロ初勝利を含む8勝を挙げるも、7年目の22年オフに戦力外通告を受けた。プロ7年間で通算成績は13勝12敗。現役引退翌年の23年からはスカウトとして関西地区のアマチュア野球の球場に足を運び、多くの逸材を近くから見つめてきた。

 チーム初合流となった1月10日。

 三重県伊賀市のグラウンドで、静かにマウンドに足を踏み入れると桜井の表情がほぐれた。そして軽くキャッチボールをするごとに、ミットを叩く音も力強くなった。その表情には、マウンドに立てた嬉しさがにじみ出ていた。

 とはいえ、1年間のブランクを経ての現役復帰。決心をするには多大なエネルギーを要したはずだ。

「1年間のブランクというより、これまでの疲労が回復しているので、むしろ良い感じなのかなと思います。なまっているという感じはしないんです。昨年11月くらいから体を動かしてきましたし、大学の施設を借りてネットスローなど練習はしてきました。ランニングも結構やりましたし……。走れないと体も動かないので、年明けから早朝に公園を走ったりもしていました」

 会見の前日には、立命大の室内練習場で大学の3年先輩にあたる西武の金子侑司を相手に打撃投手も務めたという。数日間共に練習し「初日にバットを3本折りました。いい練習になりました」と笑顔も見せた。

 22年オフに現役引退を決意した当時は、現役に対しての思いはひと区切りついていた。

 だが、現役への思いが再燃したのは昨年の6月だったという。

 桜井は経緯をこう述べる。

「(視察予定だった)高校野球の練習試合が中止になって、立命大の室内練習場に練習を観に行った時に、立命大硬式野球部のOB会会長(ミキハウスREDS=現ミキハウス元監督でもある藤岡重樹氏)とお会いしたんです。現役復帰について話をしたら、ケガをして引退した訳ではないし、やれるのならそういう道を探してもいいということになって……」

 一度は区切りをつけたはずの思いがより強くなったのは、スカウトとして視察した都市対抗野球予選がきっかけだった。

「一生懸命応援している中で、プレーできるのはいいな」

「会社の人が一生懸命応援している中で、必死にプレーできるのはいいなと思いました。コロナの影響で、応援のない中で野球をやるのが当たり前になりつつあった時を経て、ああいう大声援の中でプレーできるのはいいなと思ったんです」

 桜井は大学から直接プロ入りしており、社会人野球の経験はない。それでも、初めての社会人野球にネガティブな感情は全くなかった。

「仕事と野球の両立は、学生時代の勉強と野球の両立とは違うので、経験値として厚みが出るのかなと。初めてであっても、社会人野球の中で成長していけたらいいと思いました」

 だが、話がとんとん拍子でまとまった訳ではない。

 6月に思いを打ち明けて以降、数カ月間は大きな動きはなかった。その後、10月になって一気に話が進んだが、スカウト業務が最も忙しくなる秋だったこともあり、本業に集中していた。

「スカウト業務を経て色んな社会勉強をさせてもらいました。プロは個人事業主で、自分はどうあるべきかをずっと考えてきましたけれど、スカウトになって色んな人の話を聞く機会が多い中で、人の話を聞いて物事を進めていくことも大事だと思いました」

 話がようやくまとまってきた晩秋。「どっちつかずの状況で打ち明けるのは嫌だった」ため、ようやく上司に打ち明ける時が来た。

 最初に水野雄仁スカウト部長に現役復帰について明かすと「良い話じゃないか」と背中を押された。納会では原辰徳前監督と話す機会があり、スカウトに転身したばかりの1年について尋ねられ、最後に励ましの声をもらった直後に、「実は……」と現役復帰の話を打ち明けると、最初は驚かれたが「自分の道として決めたのなら頑張りなさい」と激励を受けたという。

 初めて袖を通した“赤の戦闘服”の感触を確かめつつ、ミキハウスについて「試合を見ていて、熱さと勢いを感じました。都市対抗に3年連続出られているので、継続して出られるように力になれればと思います」と気を引き締めた。

「40歳まで現役を続けられたら」

 現在は京都府内の自宅から約1時間半かけて三重県伊賀市まで通勤している。今後は午前中に物流管理部の社員として社業にも励むことになる。

「スカウトの時も試合によっては朝が早かったので、早いことは気になりません。これからは食事に気を遣っていかないといけないですね」としながらも、今後について問われると目を輝かせてこう続けた。

「プロに入団した時は50歳まで現役を続けたいといいましたが、それはさすがに厳しいと思うので、40歳くらいまで続けられたらいいなと思います。あとは経験値を伸ばすことですね。

 ジャイアンツでも良い経験をさせてもらいましたが、社会人野球でさらに積み上げていけたら。まだ進化できると思っています。スカウトをしている中で良いピッチャーを見てきて、良いピッチャーはキャッチボールから違うなというのが分かったので、キャッチボールから大事にしていきたいです」

 30歳になった社会人野球ルーキーは新たな野望も抱く。

「東京ドームで投げたいのはありますね」

 20代で挑戦したNPBでは満足な結果が残せなかった。だからこそ、30代で始める2度目の現役生活への思いは強い。

「ピッチャー・桜井」の野球人生の真骨頂はこれからだ。

文=沢井史

photograph by Fumi Sawai