阪神タイガースの「スター候補」だった男が昨秋、戦力外通告を受けた。ルーキーイヤーの2016年に新人王に輝き、将来を嘱望されたホープは、なぜ下降線を辿っていったのか。新たな舞台に選んだのは、今年からNPBのイースタン・リーグに参戦する「オイシックス新潟アルビレックスBC」。ファンに愛された男が阪神時代、そして今後の野球人生を激白した。《NumberWebインタビュー全2回の2回目/最初から読む》

 1月中旬、高山俊が千葉県の施設で打撃練習を行うと聞き、久しぶりに打っている姿を見たくなった。

 昨季、8年間プレーした阪神タイガースを戦力外になり、今季から入団する「オイシックス新潟アルビレックスBC」への合流が刻一刻と迫っていた。

「ちょっとアップしたら、すぐに打ちますから。もう午前中から動いているので」

 ジャージ姿が引き締まっている。聞けば朝からトレーナーとトレーニングを行ってきたという。このオフは千葉の実家を拠点に動き、故郷で牙を研いできた。

「斜め45度後ろから」見る高山のバッティング

 彼のバッティングを直接見るのは、スポーツ新聞の番記者時代以来で、数年ぶりだ。ルーキーの頃から、打撃練習をチェックするときは打席の斜め45度後ろからと決めていた。

 甲子園でも、遠征先でも、キャンプ地の沖縄でも、バックネット裏の三塁寄りの角度から見る。構え方、右足の上げ方やテイクバック、ミートの瞬間など、あらゆる動きをとらえられるからである。

 午後1時半。高山は緑色のネットに覆われた室内練習場の打席に入り、10mほど先の打撃マシンと向き合い、打ち始めた。その“斜め45度後ろ”から見てみた。タイガース時代の残像と重ね合わせてみる。すると、彼の「変化」が立ち現れてくる。まるで贅肉をそぎ落としたように、始動から球を捉えるまで、とても動きがシンプルになっていた。そのことを伝えると頷いて、今季の打撃のテーマを明かした。

「『1、2の3』の間合いじゃなくて『1、2』で打てるくらいにシンプルにする。自分の本来の良さを出すには、シンプルにしていくのがいいんじゃないかと思いました」

 右足をわずかに上げ、バットを最短距離で出す。遠回りしてロスするような動きがなかった。昨季は2年ぶりに一軍昇格できず、二軍でプレーし続けた。20、22年も一軍での打率は1割台。戦力外になって、自らを根本的に見つめ直したという。

「タイガースで一軍の試合に出られない時間が長いと、自然とどうやれば試合に出られるのだろうと、この何年間かはチームにフィットするように打撃の内容を考えてしまっていたところがありました。自分が出るためには、新しくやってきた選手に負けない長打力がないと、なかなか勝負できないなと考えたりしました。自分を見失うというか、本来の自分の形より、そういう考えに偏ってしまっていました」

 毎年のようにライバルが加わる。糸井嘉男、近本光司、佐藤輝明……。いつしか、自分の器を拡げることよりも、チームの器に収まろうとしてしまっている自分がいた。

 昨季は二軍でチーム2位の9本塁打を放ってパンチ力を示したが、打率は.249にとどまった。真っ向勝負で競い合ったが、持ち味を発揮できなかった。

「広角にヒットを打てるのが僕の強み」

 プロ9年目の今季は原点に戻る。明治大で東京六大学史上最多の131安打をマーク。タイガースでの1年目だった16年もシュアな打撃を披露し、新人王を獲得した。

「ヒットを打つ、広角に打てるというのが僕の強みだと思っています。そういうところをもう1回、磨いていくべきだと思っています。自分らしくやろうと思いました」

 昨年11月15日、千葉・鎌ケ谷で12球団合同トライアウトに臨んだ。

 寒空の下、1打席目から気を吐く。左腕の138kmをとらえるとライナーで右中間二塁打。その後も右前打、2四球に盗塁も決め、存在感を示していた。

「失うものはない。泥臭く全力でやろうと思った」

 NPBの11球団からのオファーは届かなかったが、熱心に誘ってくる球団があった。新潟である。入団を決断するまで時間はかからなかった。

「戦力外になった僕を拾っていただいた。タイガースでのここ何年かは、自信もほとんど持てない状態でした。トライアウトも見に来てくださって『まだまだやれると思う』と声をかけていただいて、すごくありがたかった。『本当に必要としている』と言っていただいたことが一番、大きかったです」

 今季から新たに2球団がNPBの二軍公式戦に参入する。新潟はイースタン・リーグに、「くふうハヤテベンチャーズ静岡」がウエスタン・リーグに所属する。昨季まで在籍したタイガースはウエスタンで、イースタンの球団と試合をする機会は少なかった。新潟入りは高山にとってアピールのチャンスを拡げる狙いもある。当初はコーチ兼任を打診されたが、選手一本にこだわった。

「中途半端な気持ちで戻れる世界ではないと分かっています。現役でやれる期間は長くないので、ケガもないし、体が動くうちはがむしゃらにやる方が僕自身、後悔がない」

日本シリーズで「ある選手」に送ったメッセージ

 NPB復帰への思いはこの秋、一層強くなった。

 テレビには日本シリーズが映っている。第6戦。タイガースがオリックス山本由伸に封じ込められ、3勝3敗になったのを見届けると、高山は第7戦に先発する青柳晃洋にLINEのメッセージを送った。勝てば日本一になる大一番を任されていたのだ。

《周りはいろんなことを言うけど、そういうことは気にせず、自分のために、自分のピッチングをしてほしい。投げられることがまず幸せなことだよ》

 青柳とは同い年で、投手と野手でポジションは違うがウマが合い、1年目からよく食事に行った。日本シリーズで仲間の姿を見て、高山にはある感情が芽生えていた。

「青柳に頑張ってほしい、というのが一番ですが、自分自身、タイガースでプレーしている時はいろいろ考えたり、プレッシャーをかかる局面があったり、大変だなと思うことも多かった。でも、戦力外になってテレビで見ることしかできない自分になった時、プレーできるのは、とても羨ましいことだなと思ったので、LINEを送ったんです。

 青柳も日本シリーズの第7戦までまったく投げてなくて、プレッシャーがかかるし、そこで日本一が決まります。すごくキツいだろうなと思いましたけど、自分のこうなった立場から言えることとして、僕なりに思ったことを言いました」

 リーグ優勝。日本一。いるべき場所に俺がいない……。ふがいなく、もどかしさを抱きながらも、卑屈にならなかった。この8年間、ドラフト5位で同期入団の青柳の姿も見てきた。

 当初は牽制球やフィールディングに難があったが、地道な練習で克服していく。高山はそんな青柳に一目置いていた。

「アイツはできないことを自分でできないと最初から理解していました。できないことをできるように見せたり、できないことに気づかない選手も多い。でも、できなければ、そこを直そうと考えていました。変なプライドがないし、自分を分かっていて改善していって。だから、スゴイですね」

 青柳も高山のLINEに奮起したという。チームを日本一に導く好投だった。仲間の雄姿を見守った高山は言う。

「素直に嬉しかった。みんなが頑張っている姿を見て、僕も頑張ろうと思いました」

新潟から「NPB復帰の第1号になりたい」

 高山は日大三高(西東京)の3年時に夏の甲子園で優勝した。

 明治大で勇名をはせ、タイガースの「ドラ1」「新人王」で、その球歴から「エリート」とか「クール」だと映りがちだ。だが、レッテルを剝がした実像は誰よりも野球に情熱を注ぐ青年である。

 プロ1年目から、この8年間、グラウンドで大切なことに気づけば、ノートに書き留めてきた。今年もまた、いつもと同じように右手にマメができた。いま、新たな挑戦が迫り、ありのままの自分を見つめる。

「今年からファームに2球団が参戦することは、野球界にとっても素晴らしいことだと思います。そういった球団からNPBに戻れば、新潟球団の素晴らしさも証明できますし、NPB復帰の第1号になりたい」

 新潟の冬は銀世界で、球春が近づく3月も雪が残る。これまで縁がない土地で新居も決めた。「引っ越しは本当に手続きが多いですよね……」。そう苦笑いするが、腹はくくっている。 

 別れ際、高山はこう言った。

「楽しみですね。また、NPBを目指す場所に戻って、学べることもたくさんあると思います。タイガースでは多くの方に応援してもらえたのがいい思い出です。新潟も野球熱が高い。新潟の野球ファンに喜んでもらえるように精いっぱいプレーしたい」

 たとえ思い描いた道でなくとも、さらに一歩を踏み出していく。彼は現実から目を背けなかった。ふと顔を上げると、新しい道が伸びている。そこには、彼にしか歩めない未開の地平が広がっている。

高山俊(SHUN TAKAYAMA)

1993年4月18日、千葉県生まれ。日大三高(西東京)時代は3年夏の甲子園で優勝。卒業後は明治大に進学し、4年間で通算131安打の東京六大学最多安打を記録した。15年ドラフト1位で阪神入団。1年目の16年に当時の球団新人記録を更新する136安打を放ち、新人王を受賞。昨秋に阪神から戦力外通告を受け、今年からNPBのイースタン・リーグに参戦する「オイシックス新潟アルビレックスBC」に入団した。

文=酒井俊作

photograph by Takuya Sugiyama