結果を出せば一躍、眩いスポットライトが当たるスポーツの世界では、数々のヒーローとともに多くの“消えた天才”も生み出してきました。これまでNumberWebで公開されてきた記事の中から、特に人気の高かった「天才アスリート」にまつわる記事を再公開します。今回は競馬界から、田原成貴さん編です!〈初公開:2022年12月24日/肩書などはすべて当時〉  かつて過ちを犯して競馬界を離れた天才騎手は、長い空白期間を経て、なぜふたたび「競馬について語る」ことを選んだのか。解説者として慧眼を発揮している田原成貴氏が、有馬記念を前にロングインタビューに答えた。(全3回の1回目/#2、#3へ)

 数々の名馬の背で大舞台を制し、「元祖天才」と呼ばれながら競馬界を去った田原成貴元騎手が、一昨年の12月中旬、競馬メディアに華々しく復帰した。

 媒体は東京スポーツ。1面トップのインタビューで、その取材を受けた理由、覚醒剤取締法違反で逮捕されるまでの経緯、家族や田原厩舎のスタッフへの思いなどのほか、自身が騎乗し「伝説」となったいくつかのレースについて語った。

 あれから2年。田原氏は今、GI前日の東スポの紙面でたびたび1面を飾っている。さらにYouTubeの「東スポレースチャンネル」の展開予想は、視聴回数が30万回を超えることもあるほどの人気ぶりだ。

以前の競馬仕事は「吹っ切れないうちにやっていた」

 10月に世に出た『Number』本誌の競馬特集で、筆者は「取材」という形では19年ぶりに話を聞いた。カリスマ性と頭の切れは騎手時代そのままで、より優しく、そして話が面白くなっていた。

 競馬に対する向き合い方も変わっており、競馬界を去ってからの雌伏の時間に、新たな視点や考え方を得ていたことがうかがわれた。表舞台を離れていた田原氏は、どのように競馬を見てきたのだろうか。有馬記念を前に、あらためて話を聞いた。

「競馬界を離れてすぐ、親しくしていた評論家から言われて、『競馬最強の法則』などでちょっと仕事をしました。こういう言い方をすると申し訳ないのですが、何かしなくてはならないからと、あまり乗り気ではないままやっていました。ああいう月刊誌だと、現実とのタイムラグがあるし、自分としては歯切れが悪かったと思います。自分のなかで吹っ切れないうちにやっていた、という感じでしたね」

 当時は雑誌のほか、自著『いかれポンチ』(2002年)、『騎手の心理 勝負の一瞬』(2005年)、『八百長』(2008年)を上梓し、ムック『GOOD-BYEディープインパクト』(2006年)に寄稿するなどしていた。

「おれが表に立つのは競馬界に申し訳ない」

 しかし、2009年に大麻取締法違反で執行猶予判決を受けると、2010年秋にまたも逮捕・起訴されて実刑判決が下り、2013年春まで刑務所で服役。出所後は、サラリーマンとして働くようになる。

 そのころは、どのくらい競馬関連の情報に触れていたのだろうか。

「スポーツ新聞が職場にあったので、新馬、特別、重賞に関する情報は目に入ってきましたね。出所してからも、ちょこちょこ、有名な馬や騎手が引退するなど話題になる出来事があったとき、何か書いてほしいと依頼されたけど、断っていました。おれが出ると、元ジョッキーで悪いことをした人っていう、ダーティーなイメージがついちゃうでしょう。それは競馬界に対して申し訳ない、という気持ちが強かったんです」

 それでも、懇意にしていた記者から、熱心に競馬メディアへの復帰を勧められた。

「書ける書けないじゃなく、おれが表に立つのは競馬界に申し訳ないって何度も言ったんだけど、『田原さんの競馬を見る目、特にジョッキーを見る目で大切なことを伝えていかなきゃダメです。施行側ではなく、メディア側で記事を書くのなら、もういいんじゃないですか』と言ってくれて。賛同してくれた関係者もいるというので、じゃあやろう、と出てしまったんです」

 それが前述した、一昨年12月17日付の東京スポーツだった。

「そうして出てしまったら、もちろん『なんで今さら』という人もいたと思うんですけど、ほとんどがウェルカムだった。嬉しかったですね。あそこでウェルカムじゃなかったら、もうやめていたと思う。そのころやっていた仕事も面白かったからね。で、おれの性格からして、やるからには浅くではなく、やっぱり深く伝えたくなるんですよ。自分自身の承認欲求とかではなくて、競馬に関して中途半端なことはしたくなかったので、『もっと、もっと』とやっているうちに今に至った、という感じです。それでも、おれにはダーティーなイメージがついてきてしまう。そういう暗い部分がある人間がやるんだから、なおのこと楽しく伝えよう、と決めたんです」

「一度目の凱旋門賞、池添君なら勝っていた」

 時は前後するが、田原氏が競馬界を離れている間に、2005年のディープインパクト、2011年のオルフェーヴルと、2頭のクラシック三冠馬が出現した。そうした名馬の走りを、リアルタイムではどのようにとらえていたのだろう。

「ディープインパクトは特別だね。3位入線後失格になった凱旋門賞は、スタート後の数完歩から気負って走っていた。それが日本のときとは違う、早めの競馬につながったんだと思います。惜しい競馬でした。ああいう馬が出ているときは見ていたから、ファンの立場で、スターホースが出たら盛り上がるというのは、本当によくわかりましたね」

 オルフェーヴルはどうか。

「すげえなあ、と思いました。一度目の凱旋門賞、池添(謙一)君なら勝っていたよな、といつも言っているんです。面白い馬だったよね。阪神大賞典の3コーナーで逸走したときだって、池添君はミスなく乗っていたと思いますよ。あれは騎手の責任ではない。あそこまで行っちゃうとね」

 では、自身のレース、1年ぶりの実戦となったトウカイテイオーを奇跡的な勝利に導いた1993年の有馬記念や、先行馬と見られていたマヤノトップガンで鮮やかな後方一気の差し切り勝ちをおさめた1997年の天皇賞・春などの動画を、今、あらためて見直し、精査することはあるのだろうか。

「原稿を書くためにわざわざ見直すことはないですね。YouTubeの『田原成貴、語る。』のときにスクリーンで見るぐらいかな。ほら、頭に入ってるから。でも、自分の記憶を頭のなかで変えちゃっていることもあって、マヤノトップガンの天皇賞・秋は2着だったのに、ずっと3着だと思い込んでいた(笑)。まあ、負けたのは事実で、勝てなかったら2着も3着も一緒だという意識が、記憶の定着に影響したのかな」

 そう話す田原氏は、騎手時代から漫画『ありゃ馬こりゃ馬』(作画・土田世紀)の原作をしたり、エッセイを書いたり、ライブ活動をしたりと、騎手の枠を超えてファンを楽しませてきた。

 長身を折り畳んだ美しいフォームで人々を魅了してきた天才騎手は、時代をリードするメディアの発信者でもあった。普段のファッションもお洒落で、何につけても最先端を行くようなイメージがあったのだが、実は、原稿は手書きだった。田原厩舎の公式サイトなどもあったのだが、自分でパソコンを操作することはなかった。

東スポ紙面とYouTubeで炸裂するユーモア

 いわゆる「アナログ人間」だった田原氏が、先述した『Number』本誌の取材での撮影時、「額の汗はフォトショップか何かで消しておいてください」とカメラマンに言ったので、昔を知る筆者は、(成貴さんの口から「フォトショップ」という単語が出るとは)と、失礼ながら驚いてしまった。今は、原稿もキーボードで入力しているという。

「ワードは使っているうちに自然と覚えました。キーボード打つの、めっちゃ速いですよ。エクセルやパワーポイント、フォトショップやイラストレーターは専門家に教えてもらいました。まさか、アナログなこのおれがさ、デジタルの最前線のYouTubeという舞台に上がることになるとはね(笑)。本当に救われた。紙媒体だと文字数制限があるから、ストレスとイライラが溜まってくるんです。でも、YouTubeだと、言いたいことが言える。だからやめられない。同じことを紙媒体でやろうとしていたら、こんなに続かなかったと思います」

 展開予想や馬券予想、レース後の反省会などの最中たびたび口にする「ファンタスティック」と「ジーニアス」はファンの間でお馴染みになったし、東スポ紙面での「グランアレグリアはガッキー(新垣結衣)」「横山武史は佐藤健」といったユニークな比喩も話題になった。なかでも、GIが行われた日の反省会で、出走馬が田原氏に降りてきて敗因などを語る“イタコ芸”は、「反則」とまで言われるほどの面白さだ。

「あれは、騎手のコメントのかわりに、おれが馬の気持ちになってどんな乗り方をされたのか代弁してやるよ、と面白半分でやったのが始まりなんです」

“エンターテイナー”に生まれ変わった田原成貴

 軽くやっているように見せているが、展開予想の語りなどを聞くと、非常に細かく下調べをしていることがわかる。騎手時代は、自分の馬の状態がよかろうが悪かろうがレースに出なければならないので、情報の取り入れ方が、今とはまるで異なっていた。

「当事者にとっては、自分に関係のある馬か、それ以外かという見方になるから、全部が全部、出走馬のことをわかっているわけではないんです。だから、『え、こんな馬いたの?』と驚くこともありましたよ。これはみなさん、わかっておいたほうがいい。騎手の場合は相手の弱点なども知っておかなきゃいけないけど、調教師は自分の馬だけ仕上げればいいわけですから」

 原稿の執筆にかける時間も、以前より長くなったという。専属契約を結んでいる東スポの土曜日の紙面に掲載される原稿を、週明けには書きはじめ、週の半ばには方向性が決まっている、といったペースで書いているようだ。

 以前は、ホースマンとしての本業があるので十分な時間を取れなかったこともあって、(私の知る限りでは)ギリギリまで編集者を待たせるタイプだった。

 それが、入念に下準備をしたうえで、ひらめきも生かす、真の実力派エンターテイナーになった。だから現在の「ニュー田原成貴」は、私たちを飽きさせないのだろう。

<#2、#3へつづく>

文=島田明宏

photograph by Naohiro Kurashina