言わずと知れた日本最難関の大学である東京大学。高い入学難易度や国立大という背景も相まって、いわゆる「駅伝強豪大学」と比べると練習環境や選手層に大きな差があると言わざるを得ないのが実情だ。

 一方で、そんな環境下でも2019年の近藤秀一や2020年の阿部飛雄馬など、時に箱根駅伝に手が届くようなランナーを輩出する年もある。そして現在2年生の秋吉拓真は今季、長距離種目の東大記録を軒並み塗り替え、名実ともに「東大史上最速選手」となった。そんな「文武両道ランナー」の語った学生生活のリアルと、箱根路への想いとは?(全2回の1回目/2回目につづく)

 もしも、第100回箱根駅伝で関東学生連合チームが編成されていたとしたら――東京大学の学生が走っていた可能性が大いにあった。

 秋吉拓真。兵庫県は六甲学院出身、東京大学理科Ⅰ類で学ぶ2年生だ。

 秋吉は昨年10月14日に行われた箱根駅伝予選会で、1時間03分17秒のタイムで54位に入った。

 この順位がなにを意味するかというと、箱根駅伝に出場できなかった学校の選手としては8番目のタイムで、秋吉は関東学連が例年通り編成されていれば、2020年に阿部飛雄馬が走って以来、4年ぶりに東大ランナーが箱根駅伝を走っていたかもしれなかった。

 それでも秋吉は、その事実を冷静に受け止めている。

「2年生になった段階では、箱根駅伝を走るというのは現実的な目標ではなかったので、そこまでショックというわけではありませんでした」

「東大史上最速ランナー」が在学中!

 秋吉は、2年生になってから急速に力を伸ばし、自己ベストを連発した。

 5000m  13分53秒28(11月25日)

 10000m 28分49秒27(11月19日)

 ハーフマラソン 1時間03分17秒(10月14日 箱根駅伝予選会)

 この3つのタイムは、いずれも東大記録。つまり秋吉は東大史上、最速のランナーなのだ。

 それでも、強豪校と比べてそこまで練習量が豊富というわけではない。なにせ、学業に割く時間が多い。

「2年生の秋から、機械情報工学を本格的に学び始めました。情報という文字が入っているように、ロボットなども研究対象に入ってきます。これまでの教養課程でトラックがある駒場キャンパスでの授業が多かったんですが、秋からは週4回は赤門のある本郷キャンパス、週1回が駒場での授業で、移動距離が増えました」

 東大陸上運動部(陸上競技部でも、競走部でもない)の全体での練習日は火・木・土の3日間のみ。強豪校に比べて、明らかに少ない。

「火曜はペース走、木曜は全員でジョグ+流しをやったりして、土曜はインターバルをやることが多いです」

 陸上界で通称「ペーラン」こと、ペース走の練習メニューの一例を挙げると、12000mを1キロ3分05秒のペースで刻んでいく。

「自分が意識しているのは、ラスト1キロを2分40秒台前半くらいまで上げて、みんなで競い合うことです」

 幸い、現在の東大には5000mで14分台の力を持つメンバーが秋吉を含めて4人おり、部内での競り合いがある。

  1. 高校時代の走行距離は「月間で100km」くらい

 5000mで13分台を出したスピードがあるのだから、入部した時から「無双」状態だったのかと思いきや、入学後には自信喪失状態に陥っていたという。

「東大の練習は強制されることはなくて、自分のスタイルで練習を進めることができます。大学でも高校時代のやり方を踏襲していたんですが、そのうちに『どうやら、自分のやり方は違うようだ』と気づいたんです。例えばジョグをひとつとっても、それまでの自分は10キロ未満の短い距離を、比較的速めのペースで走っていたんです。一方で部活のメンバーたちはもっとゆっくり、長い距離を走っていて、ジョグに対する認識の違いに驚かされました。

 実は、高校時代はかなり走りこんでいる方だと思っていたんですが、振り返ってみると、月間100キロくらいしか走ってなかったんですよ。ぜんぜんですよね。『東大だったら余裕だろう』と思って入部したのに、『そもそもジョグからこんなに考え方が違うのか……』ということを思い知らされました。結局、井の中の蛙でした」

 話を聞いてみると、高校時代までの秋吉は「陸上情報」の中心から遠いところで過ごしていたことが分かった。

「中学時代はサッカー部で、高校に入ってから陸上部に入りました。入部した時の目標は『県大会に出る!』だったんですが、高校1年生の学年別大会で1500mと5000mに出場できたので、早々に目標達成できてしまったんです」

 陸上に取り組み始めてから早々に学年別県大会に出場できるということは、最大酸素摂取量はじめ、長距離に適した素質があったということだろう。しかも、兵庫県で秋吉が競ってきた相手は「ハンパない」相手だった。

「高校の県総体の手前、ブロック大会から須磨学園の選手たちが一緒でした。立教大学で2年連続箱根の2区を走った國安広人君は同学年で、僕は常に彼のことを意識していました。が、國安君は僕のことを知りもしないと思います(笑)」

 高校3年の夏、県総体では日本の長距離界で今をときめく選手たちと競った。

「県総体の5000m、忘れられないです。僕の一学年下には西脇工業から旭化成に進んだ長嶋幸宝君と、報徳学園から東京農業大学で大活躍している前田和摩君がいて、決勝では一緒に走りました。

 自分のレースパターンは、強い選手についていき、とにかく粘るというもので、この時は最初の1000mを2分48秒で入ったんですよ。かなりのハイペースです。それなのに9番手あたりだったと思います。『これは、とんでもないペースだ』とびっくりしました。近畿大会に出場できたらいいなと思っていたんですが、手が届きませんでした」

 この時は15分11秒47で秋吉は9位、優勝は長嶋で、そこから國安、前田の順番だった。

 7月に陸上部を引退し、そこからは東京大学を目指しての受験勉強が本格化する。

「夏休みは10時間くらい勉強しましたかね。集中力が切れそうになってきたら、机に突っ伏して仮眠を取り、パッと気分転換をしてから勉強する教科を変えていったりしました」

東大で「箱根駅伝を走りたい」という想い

 それにしても、兵庫県で国立大学志望であれば、進学先として挙がってくるのは京都大学、大阪大学、地元の神戸大学が自然だろう。しかし、秋吉は「東京大学」を目指した。なぜなら、「箱根駅伝」があるからだ。

「高校で走り始めて、だんだん記録が伸び始めて、『箱根駅伝で走れたらいいな』と思ったんですよね。もしも、箱根というモチベーションがなかったら、京大や阪大という選択肢もあったかもしれません。それでも、自分は箱根駅伝を走りたかったので、なんとしても東大に入りたかったです」

 そして2022年4月、東京大学理科Ⅰ類に入学する。

 しかし、前述のとおり、東大の練習についていけない。箱根駅伝どころの話ではない。当然のことながら自信は喪失しかけていたが、なんとか夏合宿の練習メニューはこなせた。そして夏合宿の最後に20kmタイムトライアル(TT)が行われた。

「70分を切って、学部生でトップでした。このTTでなんとか自尊心を保てたという感じでした」

 自信を取り戻した秋吉は、夏合宿を終えた後期から、「ある練習」を始める。

「『帰宅ジョグ』です。駒場(東大前)から、三鷹台まで」

 京王電鉄井の頭線で12駅。

 いったい、どれほどの距離があるのか?

<後編へ続く>

文=生島淳

photograph by Yuki Suenaga