開幕を迎えたMLB。新天地ドジャースで、大谷翔平はどのような活躍を見せるのだろうか?『大谷翔平 二刀流メジャーリーガー誕生の軌跡』(&books/辰巳出版)より、日米の野球文化を経験した投手・マイルズ・マイコラスが大谷について語っていたエピソードを紹介する(初出:2019年3月20日/年齢・肩書などはすべて当時)。《前編「エンゼルスのチームスタッフが見た大谷の素顔」編から続く》

 日本プロ野球界からメジャーリーグへ移籍することは、大谷翔平にとって大きな挑戦だ。それはセントルイス・カージナルスのマイルズ・マイコラスにも経験のあることだった。ただし、逆のパターンではあったが。

 現在はカージナルスの先発ローテーション投手としてエース級の活躍を見せるマイコラスであるが、2015年には読売ジャイアンツに移籍してプレーしていた。異国の地で、言葉もよくわからない状態での選手生活を経験したマイコラスには、今の大谷の気持ちがよくわかる。

 日本式の野球になじもうと奮闘したマイコラスの言葉には、真実味があるのだ。

マイコラスが感じた、日米野球の違い

「野球が野球であることに変わりはない。フィールドに入れば、基本はすべて同じなんだ」シーズン序盤、サンディエゴ・パドレスとの対戦前にマイコラスはそう話した。

「試合の進め方もほとんど同じ。ただそれでも、文化的な面では明らかな違いがあった。ほとんどのことはそのまま受け入れていくが、やはりなじめないこともあり、適応するためにある程度の時間は必要だった。一から学ぶことだってあった」

 たとえば、どんなことを?

「まずワークアウトが違っていた。ウェイト・トレーニングはあまり重視されてなくて、走り込みに時間を割いていた。走るのはいつでもどこでもできるトレーニングだけど、僕はあまりやってこなかった。

 それに、投げる量もかなり多い。日本のピッチャーほどキャッチボールの量が多い選手は、他の国にはいないよ。ブルペン・セッションは毎日あって、コンディション作りが徹底している。一度日本の球団に入ったら、誰もが真剣に取り組んでいるので、同じようにやらなきゃならない」

日常生活では「食事と言葉が問題だったね」

 読売ジャイアンツで3シーズンプレーしたマイコラスは、31勝13敗、防御率2.18を記録している。日本式のトレーニングを進んで受け入れたというマイコラスだが、実は自分なりの対処法も見つけていたのだと語る。

「表向きは、“日本にいるんだから、できる限り多くのことを周りと同じようにやりたい”と言っていた」2012年から2014年までのあいだ、サンディエゴ・パドレスとテキサス・レンジャーズの投手を務めたマイコラスは言った。「それで上手くいかなかったり、気に入らないと思ったりすれば、昔のやり方に戻していたよ」

 日本人は、ひとたび正しい練習方法だと思えば、なかなかそれを変えたがらないのだとマイコラスは言う。

「非常に細かいところにまでこだわり、それを厳密に守る人々なんだ。手順を飛ばしたり、省いたりすることは絶対にしない。こうすればもっと効率がいいんじゃないかと提案しても、“絶対にダメだ。この方法しかない”と言われるんだよ」

 日常生活にも慣れないことが多かった。プレー面よりも、そちらのほうがマイコラスにとっては適応が大変だったようだ。

「食事と言葉が問題だったね」

マイコラスが語る「日本のプロ野球のレベル」

 ところで大谷が日本プロ野球界で活躍したことを思うと、ある疑問が持ち上がる。

 シーズンが長く、選手の質も高いメジャーリーグで、はたして同じように彼は活躍できるのかということだ。

 マイコラスの目から見て、日本のプロ野球のレベルはどれくらいなのか。

「よく言われるのは、メジャーリーグとトリプルA(マイナーリーグの最上位)の中間くらいということだが、なかなか的確な表現だと思う。日本の選手は非常に才能豊かで、磨き上げられているよ。FA権行使に関するルールが違っていれば、メジャーリーグで活躍する日本人は今よりもずっと多くなると思う。即戦力になれる人材はかなりいると思うし、わずかな調整期間で適応できそうな選手も数多くいる。だが、同様にメジャーリーグ級の選手はアメリカにも多数いて、特に投手が多いんだ」

 マイコラスが気づいたもっとも大きな日米の野球の違いは、攻撃面だという。メジャーでは1番から9番まで全員がホームランを打とうとするのに対し、日本のバッターは状況に応じて打ち方を変える。

「手堅くヒットを打つケースが多いが、内野手も外野手も優れているので、そう簡単にはいかない。あと、アウトを取られないように上手く打ち上げる選手も多いね」

マイコラスが語る大谷翔平「彼にはとてつもない才能がある」

 大谷がこれほど早く渡米できたのは、日本ハムがポスティング・システムでのメジャー移籍に同意していたからだ。それを条件としたからこそ、大谷は高校卒業後に渡米せず、日本プロ野球界入りを選んだのだった。

「FA権を得るまでは9年もプレーしなくちゃならない。21歳や22歳でプロ入りしたなら、30歳まで移籍はできないことになる。それでは歳を取りすぎているし、家庭を持っていたりしたら身動きも取れない。それでも24、25、26歳でメジャー移籍を望んでいる選手はたくさんいる。けれど球団側が手放さないんだ。つらいだろうし、なんとも不運だと思うよ。1球団に3、4人はメジャーリーグ級の選手がいる状況なのに」

 大谷はデビュー後わずか2カ月で、世界のトップレベルの選手たちと戦える実力を証明してみせた。打撃力のみならず、投手としても優れていることはマイコラスも当然認めていた。

「ここまでは非常にいいプレーを見せてくれているね」マイコラスがそう言ったのは、大谷がグレード2の靭帯損傷と診断される前のことだった。「1シーズンは日本よりも長いし、多くのことが日本とは異なる。でも彼にはとてつもない才能があるから、これからどうなっていくのか楽しみだよ」

「本当に騒がれ出したのは…」

 日本からメジャーへ渡ったとき、大谷の伝説は一層輝きを増した。日本ハムでも二刀流選手だった大谷だが、太平洋を渡るとなると、周囲はますます彼を持ち上げるようになった。

「アメリカでは、彼が二刀流だということはそれほど騒がれていなかった。たった一人の二刀流選手で、かつ日本のスーパースターでもあり、毎日ニュースに取り上げられているというのに。たぶん、日本で何年もそのプレースタイルでやっていたからだと思う。本当に騒がれ出したのは、実際にこっちに来てからのことさ」

《前編「エンゼルスのチームスタッフが見た大谷の素顔」編から続く》

文=ジェイ・パリス

photograph by Nanae Suzuki