野球界注目のスラッガー・花巻東高の佐々木麟太郎が、米スタンフォード大への進学を決めたことが話題となった。実はこの秋、陸上界から高校女子No.1中距離ランナーも海を渡る。1500mで高校歴代2位の記録を持つ浜松市立高3年の澤田結弥(ゆや)が、MLBやNFL選手も多く輩出する超名門・ルイジアナ州立大への進学を決めた。これまで女子のトップランナーが海外大へ進学を決めたケースはほぼない。なぜ彼女はその決断に至ったのだろうか。本人にその真意を聞いた。《NumberWebインタビュー第1回/後編に続く》

「とにかく前についていくしかないかなぁ」

 2022年8月、浜松市立高校2年生の澤田結弥の姿は、南米コロンビア・カリにあった。

 澤田は、この年開催されたU-20世界選手権の1500m日本代表に選ばれていた。本格的に競技をはじめたのは高校入学後。キャリアで言えばまだ1年半だ。それでも世界の舞台で予選を突破し、決勝まで駒を進めていた。

 コロンビアでは治安の問題もあり、基本的にはホテルに缶詰め。日本ではほとんど使わないトレッドミルでの調整も多く、ようやく使えたウォーミングアップエリアのオールウエザー走路は施工が間に合わず、タータンが敷かれていなかったという。

 普段は「陸上に関しては神経質」だという澤田だが、その環境でかえって開き直れた部分もあった。タイムや展開云々を考えるよりも、とにかく前をいくアフリカ勢の背中を追うことだけを決めた。

 決勝レースの号砲が鳴ると、ハイペースでレースを進める先頭集団に食らいついていく。

 ラスト1周までは先頭争いの機会を窺っていたものの、ラスト200mで一気に引き離された。それでも高校歴代2位の4分12秒87のタイムで6位入賞を果たした。

本格的な競技歴は1年半…それでも世界の6位に

「最後のスパートは、ここからこんなに上がるんだと思いました。日本では味わったことのないスプリントの強さでした」

 日本の全国大会で入賞経験すらなかった新星は、一足飛びに世界と伍した走りを見せた。

 そしてこの走りが、その後の澤田の運命を大きく変えることになる。

「走り終わった後、本人に『最後のスパートがみんなすごすぎて、全然ついていけませんでした』と言われたんです。でも、決勝は最初の800mを2分8秒で入っている。これはインターハイの800mで入賞できるようなタイムなんです。そりゃ持つワケない……ついていけると思っていたのが逆にすごいなと思いました」

 澤田を指導する杉井将彦監督は、そう苦笑する。

 杉井は元110mハードルの日本王者だ。2005年に浜松市立高に赴任すると、陸上部を全国的な強豪校に育て上げ、現在は日本陸連の強化育成担当も務める名伯楽だ。

 その杉井をしてなお、この結果は想像以上のものでもあった。

 澤田は、中学までは小学1年生からはじめたバスケットボールに打ち込んでいた。

 その一方で、秋には部活横断で集められる「駅伝部」にも招集されていた。幸か不幸か、センスの面ではバスケよりも陸上に分があることは本人もすぐに察したという。中3の秋には全国大会で5位に入るなど、才能の片鱗は見せていた。

「中学で駅伝を走ってみてとても楽しかったので、高校では都大路とインターハイに出られたらいいな……と思って陸上を選びました。県内の他の高校からもいくつか声はかけてもらったんですが、もともと地元で学校の雰囲気も好きだった浜松市立高に行きたくて。そのまま高校3年間で陸上は辞めようかなと思っていたくらいだったんですけど」

青天の霹靂だった「米国の大学からのスカウト」

「なんとか一度くらいは全国の舞台で勝負できたらいいな――」

 高校入学直後は、そんな青写真を描いていた澤田の下に、予想外の一報が届いたのはU-20世界選手権から帰国した直後のことだった。

 大会での積極的な走りを評価した複数の米国の大学から、スカウトが舞い込んだのだ。

「最初に杉井先生から聞いたときは『いや、断ってもらって大丈夫です』という感じでした(笑)。全然、現実的な進路としては考えられなかったです。でも、先生から『せっかくの機会なんだから、すぐ断っちゃうのはもったいない。もう少し考えてみたら』と言われて」

 本格的に陸上競技をはじめてまだ1年半。そもそも当時はまだ高校卒業後の競技継続すら曖昧だった。そんな中で、なかなか現実的な進路に海外の大学が入って来るような状況ではなかった。

 ただ一方で、澤田の通う浜松市立高は、学年の半数以上が国公立大に進学する静岡有数の進学校でもある。澤田本人も外国語系の学部へ進学の興味を持っており、実はそれほど希望していた進路とも外れていないという現実もあった。

 心に引っ掛かりを感じつつも、海を渡ることには後ろ向きだった澤田の考えが変わりはじめたのは、3年生になった昨年3月に現地を訪問してからだった。

 春休みを利用して渡米し、現地の大学の陸上競技場やトレーニング場など、いくつかの施設を見て回る機会をもらった。そのうちのひとつだったルイジアナ州立大はMLBやNBA、NFLでもドラフト上位選手を毎年、多数輩出する米国スポーツ界の超名門校だ。陸上競技でも棒高跳びの現世界記録保持者であるアルマンド・デュプランティス(スウェーデン)の母校としても名高い。

コーチから感じた「個々の選手を見る」というスタンス

 だが、そんなプロ顔負けの環境面だけでなく、澤田の心を捉えたのは1人の指導者だった。同大で中長距離やクロスカントリー種目を指導するヒューストン・フランクスコーチだ。

「私は高校までいわゆる“駅伝強豪校”で競技をやってきたわけではありません。どちらかと言えばコーチと相談して、自分で考えながら……という環境で成長してきたと思っています。フランクスコーチは話していると『チームを見る』のではなく『個々の選手を見る』というスタンスが伝わってきて、そこが良いなと感じました」

 NCAA1部の強豪である陸上チームには欧州や南米など非英語圏出身の選手たちも多く所属していた。そんな選手たちと食事に行く機会もあったが、そこでも選手たちが口にしたのはフランクスコーチへの信頼感だったという。

「『なんでルイジアナを選んだの?』と聞くと、みんな『フランクスコーチがいたから』と言っていて。いろんなバックボーンをもった選手たちにもこんなに慕われている。それがすごくいいなと。練習にも参加させてもらったんですけど、これだけ信頼されてる人の元に行きたいなと思えました。

 あとは一緒に行った両親が寮や施設を見て『これなら安心して行けるね』という心境になったのも大きかったです。帰国してからはむしろ父は『行った方がいいよ!』みたいに言うようになりました(笑)」

 少しずつ海外の大学が現実的な進路のひとつになりはじめていた。そして、ダメ押しとなったのが高3時に陥ったスランプだった。

<次回へつづく>

文=山崎ダイ

photograph by (L)jaaf、(R)Hideki Sugiyama