日本代表アタッカーの中村敬斗(23歳)と、世代別代表時代から注目していた水沼貴史氏との“NumberWebオリジナル対談”第2回。頭角を現したオーストリアや現在のフランスなどヨーロッパでの生活を中心に話をしていく中で、2人は意外なポイントで大盛り上がりすることに……。<全2回の第2回/第1回も配信中>

純也君とは“8歳差”ですが一番仲が良いんです

水沼 ランスはパリからちょっと離れているのかな。

中村 電車1本で行けて、だいたい40分くらいです。立地はかなりいいところだと思いますね。ランスは今シーズンから新しい施設になりましたし、PSGには及ばないですが(笑)、トレーニングセンターも充実していてジムも素晴らしい。これまで所属したクラブでは一番施設が整っていると思います。

水沼 さっき、日本代表で久保建英や菅原由勢といった同世代の選手と仲が良いと言っていたけど、ランスでもチームメートの伊東純也とはどんな感じ?

中村 そうですね、同世代ともよく話をしますが。日本代表を含めて一番仲が良いのは純也君なんです。今は一番長い時間を一緒に過ごしています。年齢は離れていますが(現時点で8歳差)、アドバイスというよりは普通に仲良くさせてもらっていますね。いろいろありましたが、フランスでは試合で活躍していますし(※伊東は3月9日のPSG戦で先制点の起点になり、17日のメス戦でも決勝点を奪うなどレギュラーとして出場機会を確保している)、良かったなと思っています。

水沼 なるほど、お互いに好影響があるのならよかった。スタジアムに入る時、いつもサポーターに囲まれているよね。ハイタッチしながら会場に入っていく映像を何度も観ています。

中村 現地でプレーしていると……ランスのサポーターはリーグアンの中ではそこまで熱狂的ではないんですよ。プレッシャーもそこまでシビアではないかなと。

LASKでのゴールラッシュにあった背景とは

水沼 前に所属していたLASKリンツの方がすごかった?

中村 リンツはオーストリアで常に3位以内にいたクラブなので、負けたときのバッシングは激しかったです。でも、ほとんどの試合でゴールを決めて勝っていたので、このシーズンは気持ち良い1年ではありました。

水沼 その2022-23シーズンはリーグで14点。カップ戦も合わせると17得点。信頼を勝ち取った証ですね。

中村 最後のシーズンは1年半くらい積み上げてきたものが、うまくハマって花が咲いたというか。

水沼 敬斗君のキャリアを簡単に振り返ると、2018年に高2の冬に飛び級でJリーグデビューしてから翌年に海外移籍。オランダでは苦しい時期も味わったと思う。ゴールの重要性だったり、自分をアピールすることの大切さを改めて学んだ時間だったのではないかな。

中村 (2020年6月に加入したベルギーの)シント・トロイデンでの半年間はなかなか試合に出れない時期が続き、とにかく出場できるところに行きたいと強く思うようになりました。U-20W杯に出場したとはいえ、日本で実績のない自分には良い条件のオファーが来ないと理解していたので、リンツのセカンドチーム(オーストリア2部)からオファーを受けた時は迷いなく決めました。

水沼 試合に出る環境を最優先に考えたんだね。

中村 はい。当時はガンバ大阪からのレンタルで、試合に出られないなら帰ってきてほしいという話もあったんですが、まだこっちで挑戦したい気持ちが強かったし、リーグのレベルを下げてでも、まずは試合の感覚を取り戻さないといけないと思っていました。半年間、活躍できたことでトップに引き上げてもらい、1年目の終盤に得点を重ねて、2年目に一気に爆発した感じです。

三菱養和時代から「今のままではプロで…」

水沼 当時20〜21歳で、腐らずに冷静に自分の状況を見つめられていたことが今に繋がっているんだね。昔から海外挑戦への意欲は強かったの?

中村 ガンバ大阪にお世話になる前から海外でプレーしたい思いはずっとありました。U-20W杯後に複数のオファーをいただき、そこでトゥエンテを選びました。

水沼 当時の後輩たちも“ケイト先輩”の向上心に刺激を受けたという話があるようだけど。

中村 向上心が一番高かったのは高校時代(三菱養和SC)かもしれないですね。もちろん、今もあるんですけど(笑)。当時はU-17W杯に向けて毎月ある代表活動に選ばれることが目標で、チームでの活躍は絶対でしたし、常に課題を克服して成長していかないといけなかった。あと、高1の終わりごろからプロの練習に参加し始めた経験も大きかったですね。FC東京やジェフ、レッズ、もちろんガンバも。U-17W杯の後にシュツットガルトやリーズといった海外クラブの練習にも参加できたので、そこでレベルの違いを肌で感じ、「今のままでは絶対プロで活躍できない」と危機感をもっていました。

個性を伸ばすといっても、わがままではダメだよ

水沼 それを養和のみんなに還元していたのか。プロの練習も誘いがあったからこそ行けるわけだけど、それを後押しするクラブの方針や個性を伸ばす指導が水にあっていたんだね。

中村 高卒からプロに行く選手は少ないのですが、Jクラブのアカデミーではなかった分、結果的に多くの選択肢を持つことができました。しっかり考えて、ガンバ大阪に決めることができたと思っています。

水沼 三菱養和で敬斗君の先輩にあたる相馬勇紀(カーザ・ピア)もそうだよね。三菱養和の指導者の方々には、とても熱心な印象があって。Jクラブの方々とは持ってるプライドがちょっと違うような気もします。

中村 そうですね。とにかく楽しかったです、毎日練習が楽しみで。

水沼 実はS級ライセンスを取得するとき、(三菱養和のグラウンドがある)巣鴨で朝練習していたんですよ。そこで生方(修司)さんにお世話になりました。

中村 僕も中学生の頃に生方さんに指導してもらい、今でも連絡を取っています。高1から2年までは増子(亘彦)さん。(増子さんは)熱い監督で、高1からスタメンでガンガン出ていくつもりだったんですけど、好きなことばかりやっていたら試合に出させてもらえなかった。途中出場したときに必ず結果を出すようになってから、ようやく先発で使ってもらうようになって。

水沼 個性を伸ばすといっても、わがままではダメだよってことだね。大事なことをしっかりと教えてもらえる環境で育ちましたね。

中村 間違いなく、三菱養和は自分の長所を伸ばしてくれたクラブだと思っています。

食生活など“あまりストイックにしない”ワケ

水沼 フランス生活に話を戻すと、食生活はどうですか?

中村 それが実は……あまりフレンチが好きじゃなくて。

水沼 アハハ。それは、もったいないなあ(笑)。

中村 家では日本食が多いです。シェフの方に作ってもらっています。

水沼 海外に行ってから食生活に気を使うようになった?

中村 お菓子を食べすぎない、程度ですね(笑)。頑なに何をしないとか何を食べないとかはないですね。

水沼 ストイックになりすぎないようにしている?

中村 海外でやっているうちに、そうなったという感じです。移籍したばかりの頃、それこそオランダやベルギーにいたときはストイックに節制していたんです。自炊して、できるだけ揚げ物を取らないように、とか。ただ、自分にはあまり良くないなと感じて。

水沼 ストレスになっていた?

中村 というより、それがパフォーマンスにつながっているのかと疑問に思ったんです。制限を設けずにパフォーマンスが上がればそっちの方がいい。立ち止まったタイミングで結果が出たわけではないんですが、試行錯誤しながらメンタリティも徐々に変化していきました。

身体づくりも「ナチュラルな自分が一番いい」

水沼 身体づくりはどう? 180cmと日本人アタッカーの中では身長があるほうだけど。

中村 筋トレも、特に上半身を一時期鍛えたことがあったんです。でも、しなやかさが失われた気がして。動きが固くなるんですよね。確かに当たり負けは減るんですけど、この世界でフィジカルで勝負していくのか、と考えた時にそれも違うなと。自分はしなやかさや相手の逆をついたりぬるっとかわしたりするキレとか、そういう部分が武器なのかなって思って。めちゃくちゃ身体を大きくしていたわけではないですが、ガツガツした筋トレもやめました。

水沼 食事もトレーニングも、一度試して自分に合うスタイルを確立していったと。気づきを得て、すぐに変えられるっていうのは長所だと思います。

中村 結局は「ナチュラルな自分が一番いい」と、考えています。ピッチでは自分の特徴で勝負するしかないし、ランスもそこを評価して獲得してくれているので。だから、スタイルを変えることはしないですね、絶対に。

英語はある程度、フランス語はサッカー用語を

水沼 良いですね。言語はどうですか?

中村 もうヨーロッパにきて5シーズン目なんで、英語はある程度話せるようになりました。フランス語はサッカーの用語だったり、少しずつです。ちょうどモチベーションをもってやらないといけないと思い始めたところで(笑)。

水沼 でも英語が堪能であれば、どこでも困らなそうだね。将来は、例えばプレミアリーグを意識しているとかは?

中村 実力世界なんで活躍しないと道は開けません。ただ、23歳で5大リーグに来れたので、ここでまた結果を残せれば次のステップが広がるんじゃないかなと思っています。僕の中では、あまり先のビジョンを描かずに、今やれることやればいいかなという感じです。

ソックスを下げているのはこだわりなの?

水沼 自分のスタイルや感覚をすごく大切にしているんですね。ソックスを下げてるのもこだわりでしょう?

中村 もともとはソックスをあげてプレーしていて、後ろを切っていたんですよ。最近のソックスは素材が固くて圧迫感が強い。僕はふくらはぎの圧迫に弱くて試合終盤によく足を攣ることが多かったんです。それを緩和させるために切っていたんですけど、フランスに来てから初戦のマルセイユ戦で、途中出場の時に「ダメ!」って止められて。

水沼 レフェリーに?

中村 はい。マルセイユにも切っている選手はいたんですけどね。まあ仕方ないと思ってその時はソックスを二重で履いてなんとかしのいで、次の試合は縫い直して出場したんですよ。上の部分だけブカブカに緩めたんですが、それがめっちゃ不細工で。しかも試合中にズルズル下がってくる始末……2戦目のクレルモン戦は今見ても笑っちゃいます。

水沼 ほんとだ(笑)。

中村 それで次戦以降からソックスを下げ始めました。

水沼 レガース(すねあて)は入れている?

中村 小さめのレガースを入れています。最初は重いのが嫌でふにゃふにゃの素材のものをつけていたんですが、アジアカップから戻ってきた最初の試合でレフェリーに指摘され、今は硬いレガースを使っています。

水沼 面白いね。レガースなしでよかった時代は私もストッキングを下げていました。敬斗君と同じように硬くて重いのが嫌だったから段ボールを小さく切ってソックスの下に忍ばせていたな。

中村 段ボールですか!

水沼 そう。レフェリーに「入ってるよ」と叩いて見せたりして。アタッカーって意外とこだわりがあるんですよね。動きやすい、パフォーマンスが発揮しやすい形を突き詰めていくことはプロとして当然だから。

中村 そうですね。僕はもともとこだわるタイプではなかったのですが、(今のスタイルになったのは)実は深い理由があります(笑)。

水沼 深イイ話ですね。まさかこんなにソックスとレガースの話題で盛り上がれるとは思わなかった(笑)。

中村 また取材してもらえるようにがんばります!

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「子どもたちのお手本に最適」と水沼さんが絶賛のワケ

《アディショナルコメント……水沼氏が対談後に考察》

 日本代表デビューから6戦6ゴール――この驚異的な決定力は、1970年の上田忠彦さん以来の快挙として話題になりました。ゴール前での引き出しの多さは、これまで積み重ねてきた試合、練習、シュートを放った本数の証。だからこそ、咄嗟にすごいアイディアをごくごく自然と表現できるのでしょう。

 森保監督が話をするとき、彼は必ず手を後ろに組んで聞いていますが、それも「身体に刷り込まれた」ものなんだとか。どんな場面でも驕らず、たくさんのことを吸収するという姿勢は子どもたちのお手本に最適ですね。「中村敬斗」という箱の中に詰まっているものは、まだまだこんなもんじゃありません。今後の飛躍が一層、楽しみになる時間でした。

文=水沼貴史

photograph by Daisuke Nakashima