話題沸騰中の金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』。1986年と2024年をつなぐタイムスリップコメディだが……2つの時代を「スポーツ」という視点で見ると、どんな世相だったのか。<全2回の第1回/第2回も配信中>
ええっ! PLが休部って何があったんだよ!? 大阪桐蔭って何!?
2024年を生きる野球ファンなら〈いまさら何、驚いてんの?〉という事実だ。でも、この人にとっては驚天動地かもしれない……。
TBSで話題の金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』の主人公・小川市郎である。
観てない人のために公式サイトから「あらすじ #1」を一部引用すると……。
〈1986年――。小川市郎(阿部サダヲ)は、“愛の鞭”と称した厳しい指導をするのが当たり前な昭和の体育教師。野球部の顧問も務め、生徒たちからは「地獄のオガワ」と恐れられていた。その一方、家では男手一つで17歳の一人娘・純子(河合優実)を育て、娘の非行に手を焼く普通の父親でもある。最近は市郎の帰宅時間をやけに気にする純子が男を家に連れ込み“ニャンニャン”するのではないかと心配していた。ある日、市郎は、いつものようにタバコを吸いながらバスで帰宅中、ついウトウトしてしまう…。〉
という感じで、2024年の現代にタイムスリップして物語が始まる。
セーラーズ、チョメチョメ、そしてケツバット
『不適切にもほどがある!』で描かれている、1986年と2024年という2つの年代。ドラマを見ていると38年間というサイクルが日本に大きな変化をもたらしたことを実感させられるし、さらには脚本・宮藤官九郎らしい小ネタがちりばめられている。だから〈セーラーズ、私もバッタもんつかまされた!〉〈学校でチョメチョメ連呼してたら先生に超怒られたな……〉と昔話をしてしまう視聴者も多いはずである。
ファッション、テレビ番組、駅の伝言板などなど、ドラマ内では昭和には当たり前だったけど、今では過去の引き出しにしまわれている文化が数多く登場する(公式サイトを見ると「昭和用語集」というページもあるほど)。
それはスポーツを取ってもそうだ。市郎が部活中にケツバット、水を飲んだら激怒する……健康・メンタル面を考えれば、不適切にもほどがある暗黒史である。
バース(板東英二も)を筆頭にスポーツ選手の名も続々
その一方で劇中のセリフに当時のスポーツ選手の名前が出てくると、ついクスッとなってしまう。
例えば「バース」、あとは“俳優”の板東英二である。
板東英二はさておき……「バース」とは、阪神タイガースの伝説的助っ人外国人「ランディ・バース」のこと。
阪神は2023年に日本一に輝いたが、その栄光は1985年以来――つまり市郎が本来生きている1986年の前年――だった。現監督の岡田彰布や掛布雅之らと「ニューダイナマイト打線」を結成し、打ちまくって日本列島に猛虎ブームを巻き起こした。無理くり今でたとえるとラーズ・ヌートバー並みに有名で、愛されまくったアメリカ人野球選手だった。
それだけの知名度を誇ったのは、阪神を日本一に導いた圧倒的な打撃成績にある。
<バースの1985年、86年打撃成績>
85年:打率.350 54本塁打134打点
86年:打率.389 47本塁打109打点
バースは2年連続の三冠王に輝いている。さらに86年の打率.389は今も日本プロ野球史上最高打率という記録で、まさに「無双」の史上最強助っ人だったのである。
「#八嶋無双」…ではなく「無双」のアスリートだらけ
そういえば、ドラマでは「#八嶋無双」なんてワードが、劇中でも現実のSNSでもトレンド入りしていた。現代は圧倒的な実績を残す人々を「無双」と絶賛するのが一般的になったが……1986年はバース以外でも〈無双していたアスリート〉が多いことに気づかされる。
1986年の『Number』をリサーチしてみるとバース、そしてもう1人の「無双打者」がたびたび特集されている。それは落合博満だ。21世紀に入ってからは『嫌われた監督』としての名将ぶり、そして野球界のご意見番のイメージが強いが……実はロッテ所属時の85年と86年はバースとともに「セ・パ両リーグで2年連続三冠王」を達成している。
<落合博満の1985年、86年打撃成績>
85年:打率.367 52本塁打146打点
86年:打率.360 50本塁打116打点
バースと落合、まさに甲乙つけがたい最強の三冠王だった。Number139号にはなんと「三冠王対談 ランディ・バース&落合博満」なんて編集部取材の超お宝記事があった。2人のやり取りで印象的な部分を抜粋すると……。
◇ ◇ ◇
バース:もしセ・リーグでプレーしてみないかといわれたら、どのチームに入る? やっぱりトーキョー・ジャイアンツかい?
落合:どこでもいいよ、野球ができれば。
バース:特に希望はない?
落合:ご希望なし。自分を高く買ってくれるとこだったら、どこでもいい。
◇ ◇ ◇
現代で〈金額面で最も評価してくれるところに籍を置く〉という働き方マインドは、プロ野球のみならずビジネスパーソンにも一般的になった。かつては〈高い年俸を要求する=金の亡者〉と見る向きもあったそうだが……2人は当時からプロフェッショナルとして評価される指標としての値付け、という意識を持っていたと感じる一節である。なお落合は87年、大型トレードでのドラゴンズ入団を経て、94年にFA移籍でジャイアンツの一員となる。
なお『不適切にもほどがある!』では純子が父のために『プロ野球ニュース』をビデオ録画したと親思いの一面を見せる場面があった。この2人の打撃を目にして、市郎はどんな気持ちになっただろうと思いを馳せたくなる。
ムキムキな千代の富士も圧倒的な強さだった
1986年に無双していたアスリートは野球にとどまらない。
相撲界に目を向ければ、昭和の大横綱・千代の富士が圧倒的な強さを誇っていた。
<昭和61年(1986年)大相撲:千代の富士の成績>
初場所:13勝2敗(優勝)
春場所:1勝2敗12休
夏場所:13勝2敗(優勝)
名古屋場所:14勝1敗(優勝:大関・北尾との決定戦)
秋場所:14勝1敗(優勝)
九州場所:13勝2敗(優勝)
なんと全6場所中、ケガで途中休場した春場所以外の5場所で幕内最高優勝を成し遂げている。翌87年の初場所も12勝3敗(決定戦で双羽黒に勝利)で5場所連続優勝、さらには前年の85年には年間80勝を達成しているなど、鍛え上げたムキムキな肉体美で「ウルフ」の異名を取った千代の富士は、黄金時代の真っただ中にいたと言える。
天才マラドーナは「神の手→5人抜き」のち不適切言動
日本から世界に目を向けると、この年に最も「無双」していたアスリートは、アルゼンチンが生んだ天才ディエゴ・マラドーナだろう。
マラドーナが世界の頂点へと駆け抜けたのは、1986年のメキシコW杯。ジーコ、プラティニといった名選手ぞろいでW杯に残る名勝負が数多く誕生した同大会において、マラドーナは特別だった。
語り草になっているのは準々決勝イングランド戦である。
アルゼンチンが1点リードで迎えた後半9分、ハーフライン上でボールを受けたマラドーナがドリブルを開始すると、ファール覚悟で飛び込む相手守備網を軽やかにかいくぐり、最後はGKまでかわしてネットを揺さぶった。これこそサッカー史に残る「5人抜きゴール」というもの。
ただしこの試合の先制点は、いわゆるヘディングと見せかけて手で押し込んだ「神の手ゴール」だった(今ならVARで確実にゴール取り消しだろう)。さらにピッチ外に目を移すと薬物依存、女性問題と離婚、別荘に詰めかけた記者に対して空気銃を乱射するなど、ヤンチャでは済まない騒動だらけで〈不適切にもほどがある英雄〉でもあった。
そんな狼藉ぶりの一方で、マラドーナは歯に衣着せぬサッカー界への提言、さらに天性の愛嬌で、世界中のサッカーファンから愛されたのもまた事実。そういった意味でマラドーナからは『不適切にもほどがある!』の主人公・市郎との共通項と時代性も感じられる。
そういや純子も「PLの清原くん桑田くん」にお熱だった
彼らを振り返っていくと〈昭和の人情、アスリートはスゴいし、やっぱり昔はよかったなあ〉となりそうだ。いやいや、1986年から38年後の現代スポーツ界を見てみると、進化していることはいくらでもある。
そう言えば、TVerで見直した初回放送だと1986年の純子は、この2人にお熱だった。
〈PLの清原くんと桑田くん!〉
清原和博と桑田真澄のKKコンビに憧れていたとなると……ドラマの第7回で1週間だけタイムリープした2024年で、もし各種ニュースを見ていたら……。
〈LAの翔平さんと由伸さん!〉
といった感じで、大谷翔平と山本由伸(メジャー開幕戦で熱投を見せたダルビッシュ有と松井裕樹の可能性もある)推しになっているかもしれない。
そんな妄想が広がるくらい――現代のスポーツ界では、世界の檜舞台で戦うアスリートが増えている。では1986年と2024年を比べてみると、どれだけアスリートの活躍の場は変貌してきたのだろうか?
<つづきは第2回>
文=茂野聡士
photograph by TBS