3月26日に予定されていたサッカーW杯予選の日本対北朝鮮戦は、「自国開催は困難」という北朝鮮側の事情で、まさかの「実施されない」ことが発表された。だが、かつて北朝鮮で行われた日本代表戦を取材した記者に驚きはなかった。その時も想定外の事件が続出していたからだ。2011年11月、あのアルベルト・ザッケローニ時代。同行した記者が見た北朝鮮の実態とは。デジカメ没収の危機、ホテル最上階の高級バー、冷麺に唸った現地グルメ、謎の宿泊代……続出していた“ビックリ事件”を明かす。<全2回の2回目>

「とにかく部屋に戻れ」不通だったWi-Fiが…

 2011年11月14日、試合前日。平壌市内のホテルで原稿に取り掛かる。パソコンを開いて机の上に伸びたLANケーブルを差し込み、インターネットブラウザを開く。ところが……

 あれ? つながらない。フロントで教えてもらったとおりの手順でやっているのに、何度やってもネットにつながらない。まずい。 慌てて部屋を出て、フロントに駆け込んだ。

「インターネットがつながらない! どうにかしてください!」

 悲痛な僕の叫びを見ながら、フロントマンは冷たく笑った。

「大丈夫。とにかく部屋に戻れ。戻れば、つながるから」

 そう言い放ったまま、何か手助けしてくれる様子はない。納得できない。でも、時間がない。急いで部屋に戻り、すぐにパソコンを触ると……インターネットにつながってる。何も操作してないのに。もしかしてフロントに行っている間に、誰かこの部屋に入った? 信じるか、信じないかはあなた次第。真相は不明のまま。無事に原稿を各社に送り終えた。

平壌観光中に…「勝手に写真を撮ってはダメです!」

 15日、北朝鮮戦当日。我々報道陣は、午前中から気合を入れてスタジアムへ――ではなく、観光へ繰り出すことになった。

 この遠征中、日本メディアには常時2人の北朝鮮人ガイドがついた。日本語はペラペラ。ホテルの廊下の警備員とは異なり、陽気で、気さくに質問にも答えてくれる。ただし、食事時間やホテル外での行動は彼らの指示に従わなくてはならない。この観光も、いくら仕事を抱えていようと絶対参加が義務付けられていた。

 全員でマイクロバスに乗り込み、いざ平壌の市街地へ。主体思想塔などの観光地を巡るルートだ。ここで気になったのは、明らかにバスが綺麗に整備された道ばかり走ること。おそらく外国人に、北朝鮮の発展した姿だけを見せたいのだろう。さらに、綺麗なのは道だけではなかった。路上で交通整理をする女性警官が、みんな女優やモデルのような美人ばかり。これが噂の“喜び組”かと驚き、バスの窓からデジカメのレンズを向けると、それまで優しかったガイドさんに「勝手に写真を撮ってはダメです!」と怒られた。反省。

“無敗だった”日本が負けた…

 キックオフの約1時間半前、ようやく決戦の舞台・金日成競技場に入った。そこでいきなり度肝を抜かれた。今まで中東や南米、アフリカでもアウェー戦を取材してきたが、ここは世界中のどのスタジアムとも雰囲気が違う。記者席に座った途端、報道陣みんなが声を漏らした。

「すげぇ」

 黒いコートを着込んだ5万人の観衆でスタンドはびっしり埋まり、彼らが一糸乱れぬ動きでボードを掲げて「チョソン・イギョラ(朝鮮勝て!)」の大マスゲームを披露する。日本代表がウォームアップのために姿を現すと、観衆が手にしたメガホンから大ブーイング発生。試合前、君が代が流れるとその音量はさらに上がった。

 この異様な雰囲気に、日本は飲み込まれた。序盤から北朝鮮が蹴り込むロングボールと、激しいフィジカルコンタクトに苦戦。攻めても、硬い人工芝のピッチに対応できず、ミスが頻発してチャンスを作れない。後半5分にはFKの流れから先制を許すと、そのまま逃げ切られ、ザック体制発足以来続いていた無敗記録は17で止まった。

美味しい冷麺、最上階のバー

 スタジアムで原稿を書き終え、ホテルで平壌最後の晩餐が始まった。意気消沈の日本メディア。一方、北朝鮮人ガイドさんは当然、ご機嫌だった。テーブルにはホッケなどの焼き魚やサムギョプサル、キムチなどなど。多彩なメニューが並んだ。

 この夕食だけでなく、北朝鮮での食事はどれも美味しかった。中でもMVPは、平壌名物の冷麺。まるで優勝カップのような豪勢な器に盛られた灰色の麺は、ツルツルシコシコ。さっぱりしているのにダシも利いていて、日本ではなかなか出合えないクオリティだ。

 さらにはお酒も充実。平壌市内で製造されているという大同江(テドンガン)ビールは飲みやすいのにしっかりコクがあって、何杯でも飲めちゃう。日本敗戦のやけ酒だとばかりに、次々とジョッキを空けていたら、北朝鮮ガイドさんに2次会に誘われた。

「最上階にバーがあるので、行きませんか?」

 エレベーターの扉が開くと、バブリーな空間が広がっていた。煌びやかな照明の下に、豪華なテーブルとソファが並ぶ。高級ホテルにある一流バーそのものだ。お酒はビールだけでなく、外国製のウイスキーやスピリッツが揃う。ここでハイボールを煽りつつ、日本の不甲斐ない戦いぶりを嘆きながら、平壌最後の夜は更けていった。

帰国日…ホテル代のナゾ

 16日、帰国の日。早朝にホテルのフロントに集合し、チェックアウトの手続きをする。このとき報道陣には、不安なことがあった。

「ところで、ここのホテル代っていくらなんだっけ?」

 JFAでの事前ミーティングでも、正確な値段はわからないとのことだった。とりあえず、「2泊3日で10万円分のユーロを用意しておけば安心」とだけ言われていた。僕も確か、900ユーロほど持参していた。

 チェックアウトの手続きは、なぜかフロントではなく一人ひとりが個室に呼ばれて行われた。そこで明細が示され、その金額を払う。僕の場合は、手持ちのお金がぴったりなくなる額だった。とりあえず、お金が足りて良かったと安心していると、他の記者仲間たちも「ちょうど残金ゼロになった」という。それぞれ持ち込んだ金額は違うのに、である。

 なるほど。僕らは北朝鮮入国の際に、所持金額を書類に書き込んでいる。さらに、荷物検査の際に財布の中身も調べられた。その所持金が丸ごと、宿泊代になったということ。“日本チーム”は勝ち点3とともに、見事に外貨も奪われてしまった。

「ザックさんも警備員に止められてました」

 バスに乗り込み、平壌国際空港へ向かった。空港が近づくごとに、車窓にはのどかな田園風景が広がった。2日前に到着した際は夜だったので見えなかったが、これが“本当の北朝鮮”の景色なんだろう。畑の脇で焚火をしている人がいる。あの美女警官たちは、もちろんいなかった。

 空港で出国審査を待つ間、吉田麻也と雑談した。我々報道陣は、北朝鮮グルメを堪能することができたが、選手たちの状況はまるで違ったそうだ。

「食材がほとんど没収されたから、かなりきつかった。あれほど具のないパスタを連続で食べたのは、初めてですよ(苦笑)。こんなに自由のない海外遠征も初めて。ザックさんも、散歩に出ようとしたら警備員に止められてましたからね」

 入国審査には2時間以上かかった。出国は、どれほどのものか――。そう気構えていた日本代表選手も、スタッフも、報道陣も、肩透かしを食らった。出国審査は、わずか20分ほどで終わった。

 滑走路を歩きながら、あるJFA幹部から言われた。

「もしかしたら昨日の試合、負けて良かったのかもしれないな。勝っていたら、何事もなく出国できていたかわからないよ」

文=松本宣昭

photograph by 代表撮影/JIJI PRESS