3月3日に女性アナウンサーとして史上初めてJRAの場内実況を担当したラジオNIKKEIアナウンサー・藤原菜々花(26歳)。これまで“男性社会”と言われてきた競馬界で初の実況を終えた彼女に、「実況という仕事に性差はあるか?」を聞いた。《NumberWebインタビュー第2回/前編から続く》

「競馬の実況中継ができればどのスポーツの実況でも大丈夫」

 そんな言葉を聞いたことがある。

 レースによって頭数は異なれど、十数頭がスタートしゴールを目指す。かたまりとなって進むことがあれば、先頭から後方までばらけることもある。いずれにせよ、走るサラブレッドの位置関係を随時把握し伝えるのは簡単ではない。最後の直線は競り合いが激しくなる。先頭が入れ替わることもあれば、後方から一気に追い込んでくる馬もいる。数頭の激しい先頭争いだって起こる。馬名を間違えず、展開も含め正確に描写しなければならないのだ。

入社面接で問われた「覚悟はありますか?」

 しかも競馬には馬券という存在がある。

 3月3日、JRA(日本中央競馬会)史上初めて女性として場内実況を担当したラジオNIKKEIアナウンサー、藤原菜々花も言う。

「プレッシャーはやっぱり常にありますね。馬券が絡んでいる以上、そこはやっぱり他のスポーツの実況とだいぶ異なるなっていう。お金がかかっているので、例えばその馬が勝っていないのに勝ったかのように実況をして、馬券を握りしめている方が喜んで、やっぱ違いましたとなったら、その方にとってはとんでもなく怒る出来事だと思います。プレッシャーは常にありますね」

 プレッシャーゆえに実況中継の任に耐えられなかったアナウンサーもいるという。

 極めて高い難易度と専門性を持つ競馬実況を担う藤原は、入社前は競馬をまったく知らなかったという。その点でもハードルは高かったはずだ。それでも臆せず挑んだ。

「面接の段階で『もし君が入社したら実況をしてほしいと思っているけれどその覚悟はありますか』と質問はされていて、ためらいなく『やります』と答えた記憶があります。フィギュアスケートや野球、ラグビーが好きだったのでスポーツの実況は憧れがありました。チャンスをもらえるなんて思っていなかったのにいただいて、チャンスをいかしたいと思いました」

仕事道具の双眼鏡は「重くて手が震えた」

 入社すると勉強に励んだ。

「私は自分のことをまだまだ競馬ビギナーだと思っていて、いろいろな魅力が詰まっているスポーツでまだまだ全然知らないという前提で話すんですけれども」

 と断ったうえで続ける。

「専門用語がほんとうに多いスポーツなので、先輩が何を喋っているか分からない状態で、暗号や呪文を聞いているかのようなスタートでした。分からない単語があったらその都度聞いてノートに書いていきました。あとは毎週末ひたすらレースを見て振り返りをしたり、入社したての頃は先輩に指定していただいたレースの予想を繰り返したりしました。なぜこの馬を本命にしたのか、なぜこの馬を2番手3番手にしたのか根拠を書いて先輩に送るのですが、予想するには前のレースを見る必要があるので必然的にレースを見ることになり、けっこう力になりました」

 レースを追う双眼鏡も壁の1つだった。

「最初は先輩が置いていた双眼鏡を使っていましたが、とにかく重くて手が震えてしまって。双眼鏡で馬を追い続けるのも意外に難しくて、馬のスピードって速いので気づいたら視界からいなくなっちゃっているんですよ。探していたらもう最後の4コーナーに、ゴールに到達していたり」

「競馬実況は男性の仕事」だった過去

 競馬の実況という高いハードルに加え、藤原が飛び込んだ世界は、長く「男性社会」とも言われた場所だ。藤原も以前の状況を耳にしたことがあるという。

「なぜだったのか理由を聞いたことはないんですけれども、いかに女性が働きづらかったかは聞いたことがあります。そもそも入れてもらえない。取材の現場に女性が立ち入ることが認められていなかった時代もあったとは聞いています」

 でも、伝え聞く時代と自ら体感する今日の違いも感じる。

「男性が多いなというのは正直感じます。取材させていただいたり、現場に行ったりというところで圧倒的に男性の方がやっぱり多い現場ではありますが、仕事しづらいなって思ったことはまったくないですね。私はたぶん競馬界で活躍されている女性の方たちのおかげで働きやすい時代に入社していて、女性もウェルカムな時代に入社ができて、男女比では少ないながらすごく大切にしていただいているというか、会社にも背中を押してもらえる環境なのですごく感謝しています」

 門戸が徐々に開かれる一方で、実況に関してはまた事情が異なる。1971年に女性として初めて実況中継を担当した井口保子がいて、また地方競馬の実況中継で活躍する女性の例はあるが、実例は極々限られる。その理由はさまざま語られてきたが、最たるものは「女性の声のトーンが向かない」だっただろう。

「確かに実況の部分では、最後の直線の場面をまくしたてるように速いスピードで描写をしていくので、女性の声だとキンキン聞こえて、ちょっと言い方がきついですけれど、うるさい、と思われることがあったのかなというのが1つ。あとは迫力という点で考えたときに声のもともとの性質上、男性と女性を対比したときに女性が勝ることはなかなかないのかなというところで、『競馬実況は男性』と言われていたんじゃないかなって思います」

「やめるという選択肢は絶対に自分の中になかった」

 それでも、実況中継を担う日を目指し実現した。落ち込むことは少なくなかった。「できるのかな」と不安に思うこともあった。でも「やめたい」と思ったことはなかった。

「決めたことを途中で投げ出すのがいちばん嫌いで、だからやめるという選択肢は絶対に自分の中になかったです。軸がぶれなかった自分が助けてくれました。プレッシャーを仮に感じたとしても、自分はやるって決めたからやるしかないという強い気持ちを持って乗り越えたというか、次の日、次の日につないで今日に至ったところはあります」

 同時に、感謝の言葉を口にする。

「井口さんという大先輩をはじめ、小枝佳代さんなど地方競馬の女性の実況の方、きっとその方々がつないできてくださったのもあって私がデビューさせていただいています。また、『この日に実況デビューしなさい』ということもなく、成長を待ってくださったというか、のびのびと自分のペースでやってこられたのも多分続けてこられた理由だと思うので、ここまで待ってくださった先輩方に感謝しています」

 競馬の見方も「だいぶ変わりました」。

「例えば、正直、競馬を初めて見たときは馬がただ走っているように見えちゃったんですけど、でもその馬が生まれた牧場で競走馬になるためにずっと育てていた方がいらっしゃったり、馬主さんは我が子のように名前をつけて、騎手も調教師さんも馬との結びつきが強くて、一頭一頭に背景があってドラマがあるんだなっていうところに気づいて、というか、そういうところを知って、より競馬に入りやすくなったこともあります」

「女性が実況するメリットを見つけたい」

 この先も続いていく実況についてこう考えている。

「自分の個性を考えるステップにまだ行けてないので、正確に間違えず描写する、分かりやすく、というところを安定してできるようにすること。そのうえで、男性の先輩をそのまま真似しても同じようにはなれないですし、女性が実況するメリットを見つけないと先には進めないんだろうなと考えているところです。

 1つ強みにしていきたいなって思っているのはさわやかさというか、馬が走っているときの風を感じさせるというか、そういうところを強みにしていけたらな、ということ。実況デビューが終わった後に多くいただいた声がすごく聞きやすいということだったので、さわやかさと聞きやすさを武器にしていけたらと思っています。

 また、競馬実況において、主役はもちろん馬で騎手で調教師さんや関係者で、あともう1つ、リスナーも競馬において主役だと思っています。そういった方々が耳を傾ける邪魔をしない実況者になっていきたいですね」

将来の夢は“牝馬GI”の実況

 描いている目標がある。

「ゆくゆくは牝馬のGIレースを担当できたらいいな、女の子限定のGIが持つ特有の華やかさをお伝えするお手伝いができたらなっていうのは夢として描いています」

 JRA史上初の女性による場内実況を成し遂げて、パイオニアとして捉える向きもある。藤原はうなずき、こう語った。

「パイオニアに、とか先駆者に、という言葉をかけていただくこともあって、ただあまりそこは考えたことがないというか。でも『自分もできる』と思って夢を追いかける方々がいたらそれはすごく素敵なことなので、そういう方々の力に少しでもなれたらうれしいなって思っています」

 3月3日の場内初実況からおよそ2週間。3月16日、中山競馬2レースの3歳未勝利戦で藤原は再び場内実況を担当した。

「4コーナーをカーブ、最後の直線です。3番、ミツカネジェミニが先頭、2番手は……」

 テンポを上げつつ、外から来る馬もしっかりおさえながら、ゴールまで伝えきった。

 ゴール後の実況でも勝ち時計、着順、勝利したミツカネジェミニ鞍上の騎手名、パイロ産駒であることなど、落ち着いて伝えた。

 4コーナーを周って直線に入ってからの描写もさることながら、「頭が真っ白になった」あの日とは対照的な、ゴール後の的確な情報を含んだ実況に3月3日から重ねたであろう努力のあとがあった。

 それは広がる未来をも思わせた。

文=松原孝臣

photograph by Hirofumi Kamaya