「甲子園出場」と「難関大合格」。2つの過程は両立できるのか。菊池雄星と大谷翔平という2人のメジャーリーガー、さらには東大・スタンフォード大合格者を生んだ花巻東硬式野球部。同校監督の佐々木洋氏と親交があり、『ドラゴン桜』『クロカン』『砂の栄冠』などのヒット作を手がけてきた漫画家・三田紀房先生に聞いた。〈全2回の1回目/第2回も配信中〉

実は「今年も東大挑戦者がいた」花巻東

――菊池雄星(ブルージェイズ)や大谷翔平(ドジャース)を輩出した岩手・花巻東の硬式野球部から、東京大学合格者(2021年、大巻将人さん/卒業は2019年)が出たことに続き、今年は高校通算140本塁打を放った佐々木麟太郎選手がアメリカのスタンフォード大学に進学することが決まりました。先生の出身地でもある岩手の私立高校で、『ドラゴン桜』のようなことが現実に起きています。

三田 ハハハハ。確かにそんな印象はありますね。将来的にメジャーに行くような怪物だけでなく、甲子園も東大も目指したいという生徒も現れた。実は、今年も東大にチャレンジした花巻東の卒業生がいて、東京で浪人生活を送っていた彼に僕も時々、アドバイスすることがありました。素晴らしいことだと思いますね。

――麟太郎選手のスタンフォード大学進学が報道された際、真っ先に浮かんだのが三田先生でした。花巻東の佐々木洋監督との親交も深く、スタンフォード大学を視察されたこともある先生が、麟太郎選手の進路に関して何かしらアドバイスを送ったのではないか、と。

三田 いやいや、アドバイスなんて送っていません。ただ、昨年12月16日に、花巻東まで行って、麟太郎君と1時間半ほど話す機会がありました。その時はまだ進学先を絞り込めていないようでしたね。「どうなっているの?」と訊ねると、3校ほど候補があって、「どこの学校も敷地が広く設備が良くて、めちゃくちゃ魅力的で迷っています」と。

「佐々木監督は息子の実力をあまり信用していなかった」

――麟太郎選手もプロ志望届を提出していれば、昨秋のドラフトで上位指名があったかもしれません。本人が希望すれば、早稲田など野球も強い日本の名門大学にも行けたでしょう。そんな選手がアメリカの大学を選んだことをどのように思いましたか。

三田 そういう発想もあるのかと、すごく新鮮な驚きを覚えました。あれだけ高校時代に注目を集めた選手が大学に、しかもアメリカの大学に行く。日本人って、新卒で入社してから定年まで働くことを美徳とするようなところがまだありますよね。甲子園で活躍した選手がすぐにはプロに行かないという決断を下したことも、「道から外れた」というような印象を抱いてしまう。麟太郎君にはそういう凝り固まった世間の価値観を覆して欲しいですね。

――父である佐々木監督の本心としてはプロに進んでほしかったのではないですか。

三田 そもそも佐々木監督は息子の実力をあまり信用していなかったんですよね。いつも「翔平と比べたら野球の能力は天と地ほどの差があります」と言ってましたが、謙遜でなく本音だったように感じました。そうやって突き放すことで、息子の成長を促した面もあったんじゃないかな。麟太郎君も悔しいはずで、「それならアメリカの大学で勝負して見返してやろう」となった気がします。

スタンフォード大創設者「財を成した方法」

――麟太郎選手は、他の学校を勧める佐々木監督の意見に耳を貸さず、「親子の縁を切る覚悟で」花巻東に進学したと振り返っています。

三田 子供の頃から、監督に連れられてグラウンドに足を運んでいた。そりゃあ、花巻東で野球をやりたいと思ったでしょう。監督の本心としては母校でもある黒沢尻北高校に入れて、ラグビーをやらせたかったようです。甲子園ではなく、花園を目指して欲しかったんですね。それは(大谷翔平の父・徹さんが監督を務める金ケ崎リトルシニアに在籍した)中学時代も、高校を卒業した今でもおっしゃいますね。

――合格率がおよそ5%と、アメリカでも最難関とされるスタンフォード大学の印象は。

三田 とにかく美しいですね。カリフォルニアのとてつもない広大な敷地に、スペインのコロニアル様式で統一された校舎や宿舎が建ち並ぶ。創立者のリーランド・スタンフォードさんは、ゴールドラッシュの時代に東海岸のニューヨークから西海岸のカリフォルニアに移り住みました。非常に賢い方で、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで金を掘り当てたのではなく、金を掘るためのスコップを売って財を成した。ゴールドラッシュを夢見る人が集まるからこそ、鉄道輸送会社を設立してインフラを整備し、ホテル業も起こした。そういうしたたかさも持ち合わせないと、人生には勝てないというフィロソフィーが建学の精神にあって、それが現在も受け継がれているからこそ、スティーブ・ジョブズ(Apple創業者)やタイガー・ウッズ(プロゴルファー)のような、飛び抜けた逸材が生まれるのではないでしょうか。

進学校でない花巻東に「“桜木建二”はいる?」

――花巻東は決して進学校ではありません。野球部は学力に関係なく全員が同じクラスです。そうした環境でも、『ドラゴン桜』で描かれたような効率の良い勉強をすれば東大も目指し得るのでしょうか。

三田 甲子園と東大という二つの夢をかなえたい子にとっては、花巻東はありがたい環境だと思います。まず甲子園には県内でも一番近い立場にありますよね。そして、東大も目指したいという生徒には、僕にもたびたび相談があるように、佐々木監督も協力を惜しみません。強豪でありながら、勉強の時間も確保できる学校ですし。受験勉強というのは意外と単純で、基礎をしっかり叩き込んで、ひたすら過去問を解くという、この二つしかコツはない。シンプルなことをコツコツやることが大事になります。

――花巻東に『ドラゴン桜』の主人公である桜木建二のように、奇想天外なアイデアで生徒を東大合格に導く教師はいるのでしょうか。

三田 いません(笑)。でも僕は、甲子園球児だって東大を目指しうると思っている。朝から晩まで練習すれば野球が上手くなるという考え方こそ古く、むしろ逆効果だということが科学的に証明されているのが現代ですよね。時間を管理し、効率的な練習をして、体を休めながら試合の日に備えるのが最大のパフォーマンスを発揮することにつながる。そうすることで時間は生まれますから、その空いた時間で勉強をする。

「プロで活躍」だけが成功ではない

――甲子園と東大を同時に目指すというのは究極の文武両道かもしれません。

三田 大谷君が二刀流を貫いたように、ピッチャーをやりながらバッターとして打席に入ることも“あり”な時代になった。今後はアメリカのように、夏は野球、冬場はサッカーをやるような子供も増えてくるような気がします。まさにスタンフォード大学こそ、偏った教育を否定する大学。昨日まで経済学を勉強していたのに、次の日には工業デザインの勉強を始めるような生徒がたくさんいます。

――そのような環境で“ベースボール”に励むことになる麟太郎選手に期待することはありますか。

三田 僕は日本のプロ野球選手やメジャーリーガーにならなくてもいいと思っていますし、「アメリカに飽きたから花巻に戻って農業をします」と麟太郎君が言い出したとしても全力で応援します。たかが野球ですよ。プロの世界で活躍することだけが人生の成功だと決めつける方がおかしいんです。

〈つづく〉

文=柳川悠二

photograph by Shigeki Yamamoto