テニスにコンピュータ・ランキングが導入された1973年以降、現役の世界ナンバーワンが突如引退した例はふたつしかない。1例目は2008年5月、当時25歳だったベルギーのジュスティーヌ・エナン。4連覇がかかった全仏オープンの直前だった。

 そしてそのエナンでさえ驚いたのが2022年3月のアシュリー・バーティの電撃引退だ。年齢は同じ25歳だったが、全豪オープンで44年ぶりの自国チャンピオンという華々しい称号を得てからわずか2カ月足らずというタイミング。23歳だった2019年の全仏オープンでグランドスラム初優勝を果たし、2年後のウィンブルドンを制した翌年の出来事である。ジュニアの頃から天才と謳われたバーティの時代がいよいよ到来か――そんな予感を抱かせた矢先だった。なぜ今なのかという問いにバーティはこう答えている。

今キャリアを終えることは完璧な幕引き

「ウィンブルドンの優勝で子供の頃からの一番大きな夢が叶ったことで、引退を考え始めるようになった。その上、自分の国のグランドスラムで最高のファンたちに見守られながら優勝できて、この幸せの中で今キャリアを終えることは完璧な幕引きだと思った」

 キャリアの先には、オープン化以降の女子では7人しか達成していない生涯グランドスラム達成の可能性もあった。語り継がれるレジェンドたちにもっと近づけるはずだった。しかし、バーティのそれまでの歩みを知る人たちは、その引退劇に「バーティらしさ」をぼんやりと見ていたに違いない。

マルチナ・ヒンギスの再来

 子供の頃から「マルチナ・ヒンギスの再来」と言われた天才少女。オーストラリアの先住民の血を引くこともまた関心を高める要素になっていた。15歳でウィンブルドン・ジュニアのチャンピオンになったその年にプロ転向し、すぐにワイルドカードをもらってグランドスラムにも出場し始めるが、大きすぎる期待に結果がついていかなかった。同国のケーシー・デラクアと組んだダブルスでは、そのテクニックの高さを生かしてグランドスラム全大会で決勝に進出するなど活躍したものの、シングルスでは一度も2回戦すら突破できないまま3年が過ぎた。 重圧と批判に耐えきれず、プロツアーに馴染めないシャイな性格のせいか、南半球からの長いツアー生活ではホームシックにも陥った。 そして18歳の若さで決断したのが「プロ活動の休止」だった。

休養期間中にクリケットの有望選手に

 そのときは多少ニュースになったが、200位そこそこの選手の不在を人々が気に止めている時間は短い。コートからも人々の記憶からも消えた天才少女は、その間、英連邦で人気のクリケットに転向していた。ラケットをバットに持ち替えても、ボール扱いのセンスは健在で「1年やれば代表チームに入れる」とまで言われた有望選手だったそうだ。

 しかし、その期間を待たず、20歳のときに再びテニスコートに戻って来る。チームスポーツの新鮮な楽しさを味わう一方で、やはり一対一の勝負のスリルを欲する自分に気づいたという。もう一度テニスコートでチャレンジしたい気持ちを抑えられなかった。

「テニスから離れていなかったら今の私はない。あの決断は正しかった。そして、テニスに戻るという決断はそれ以上に正しかった」

ショットの最適解がわかるように

 復帰から3年、2019年の全仏オープンでグランドスラム初制覇を果たした23歳のバーティは大きなトロフィーの横でそう語った。10代の頃、誰もが認める多彩なテクニックがポイントに結びつかなかったのは、ショットの選択能力が乏しかったからだという。数多ある選択肢の中から瞬時に判断を下し、効果的なショットを丁寧に組み立てて1ポイントを掴み取るテニスは、難解なパズルのようでチェスにも似ているとバーティは言う。その過程を楽しめるようになり、誤った判断の責任を受け入れる覚悟ができて初めて、プロの世界でバーティの才能は花開いた。

 全盛期がコロナ時代と重なったことは、引退の思いがけないタイミングと無関係ではないだろう。2020年の3月からテニスの世界ツアーは男女ともに停止し、8月にさまざまな制限のもとで再開されるが、バーティは年が明けるまでどの大会にも出場しなかった。また、翌年もウィンブルドン優勝のあと全米オープンは3回戦で敗れ、そこでシーズンを切り上げた。これが結果的に翌年の全豪オープン初優勝につながる充電期間となった。

コロナ禍で再発見した家族との時間

 10代での経験から、バーティは心の疲労に敏感であり、戦列を離れることに怯えなかった。コロナ禍では全ての選手がストレスを抱えたが、特に南半球からのマスクの長い旅は膨大なストレスを伴ったはずだ。実戦不足というリスク以上に心身の疲弊を恐れたバーティの選択は、結果的に正しかった。そして、コロナ時代にテニスプレーヤーとして生きる中で、家族と過ごす時間の愛おしさをあらためて実感したという。10代の終わりにテニスを離れてテニスへの熱い炎に気づいたように。

 ウィンブルドンで自分の夢を叶え、全豪オープンで母国の積年の願いにも応えたバーティが、人生の次のチャプターへ進むことに迷いはなかった。引退から4カ月後に6年来の恋人だったゴルファーのギャリー・キシックと結婚し、その1年後の昨年7月には男の子が誕生している。

敗戦後の会見に赤ちゃんを連れてきて…

 記憶に残る記者会見での出来事がある。2020年の全豪オープン、第1シードで臨んだ全豪オープンの準決勝で敗れたバーティは、その記者会見に赤ちゃんを抱いて現れて記者たちを当惑させた。まだ生後3カ月ほどだった赤ちゃんは姪っ子だったが、そこへ連れて来る必要もなければ、そうしなくてはならない事情もなかった。ましてや、勝利後のお祝いムードの中ならともかく、本命の立場で敗れた直後である。

 一人の記者が最初に冗談めかして「赤ちゃんはどこで見つけたの?」と聞くと、「3カ月前に生まれた姪っ子なの。生きるってこういうことなんだなって思う」と微かな笑みで言った。

バーティの意図は?

 さらに会見が進んだところでも赤ちゃんの名前などに話が及ぶと、「人生ってすばらしいなって。この子は私がコートから帰って来たらすぐに私の顔を見て笑ってくれたの。思わず抱き締めたわ。大丈夫。そう、大丈夫よって」と言って微笑んだ。

 究極に無垢な存在を胸に抱きながら会見に臨んだ意図は何だったのだろうか。こんな辛い日にも確かに感じる幸せ、大切な命の前には試合に勝ったとか負けたとか他愛もないこと———。そんな気持ちを、姪っ子の助けを借りて話したかったのだろうか。アシュリー・バーティとはこんなふうに、時に突拍子もなく、不思議な雰囲気を持った選手……女性だった。

ママさんブームと現役復帰の可能性

 バーティの電撃引退から2年、今の女子テニスは空前の<ママさんブーム>だ。マイアミでは元世界ランク3位のエリナ・スビトリーナと元女王の大坂なおみという新米ママ対決が注目を集めた。元女王のビクトリア・アザレンカのママさん歴は長く、キャロライン・ウォズニアッキやアンジェリック・ケルバーも母親として再びトップを目指し始めた。

 まだ27歳のバーティに復帰の可能性をうかがうのは当然だ。オーストラリアのPGA(プロゴルフ協会)研修生でプロゴルファーのキャディーも務める夫によれば、ゴルフでもプロで通用するレベルだという。これからの人生はアスリートではなく女性として生きたいと語るバーティだが、「何事にも絶対ってものはない」とあらゆる可能性をほのめかす。また忘れた頃に世間を驚かせるのかもしれない。

文=山口奈緒美

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