今夏に迫ったパリ五輪への出場を目指す山本有真(24歳)。世界と戦う山本のインタビュー最終回では、競技人生のターニングポイントとなった大会、そしてアスリートとしての“引き際”への考えを聞いた。《NumberWebインタビュー最終回/全3回》

 駅伝の名門校・名城大学から積水化学女子陸上競技部に入社した山本有真は、入社1年目から国内外で活躍を見せた。大学時代は駅伝での活躍が目立ったが、入社後は大学4年の日本インカレで制した5000mを主戦場にした。

「5000mが一番、私に合っているので、それで世界に挑戦しようと思いました」

 山本が世界を意識したのは、大学3年の時だった。

 大学2年の終わりに一度、寮を飛び出して陸上をやめようとしたが、2カ月ほどで復帰し、練習をスタートした。その際、米田勝朗監督から「どうせやるなら日本代表を目指していこう」と言われた。

「最初は、えっ?って感じでした。一度やめて戻って来た時だったので、キロ5分で走るのもキツい状態だったんです。日本代表を目指そうと言われてもピンと来ず、『無理でしょ』と思ったんですけど、4年の終わりにアジア室内に出走(3000m)し、日の丸を背負うことができたんです。米田監督が2年で、そこまで連れていってくれてすごくうれしかったですね。アジアでしたが、国際舞台は日本のレースとは別モノで、雰囲気もレベルも違うし、すごく刺激的でした。ここから日本代表への意識がすごく高くなりました」

「走る前は恐怖心でいっぱいでした」

 山本は、昨年7月のアジア選手権5000mで、キレ味抜群のラストスパートで後続をちぎって金メダルを獲得した。その優勝でワールドランキングのポイントを上げ、ブダペスト世界陸上の出場権(5000m)を獲得した。

 2023年最大の目標にしていた舞台に立つことができたが、そこは日本ともアジアともまったく異なる世界だった。

「とにかくプレッシャーがすごかったです。自分で掛けてしまった部分もあるんですけど、日本代表だから速く走らないといけない、ミスしたり、遅かったら周囲の人に何か言われるんじゃないか。走れなかったらどうしよう。そんなネガティブなことばかり考えて、走る前は恐怖心でいっぱいでした」

 トラックに登場すると、スタジアム全体が揺れるような歓声が響き、思わず鳥肌が立った。アジア選手権の時は、ほとんど観客がいなかったが、ブダペストのスタジアムは満員で、その圧倒的な雰囲気に山本は飲まれてしまった。

「スタート前はめちゃくちゃ緊張して、全然集中できなかった。レース前日は、1000mの刺激を入れたんですが、自己ベストぐらいで走れていたし、それまですごく練習もできていたので、イケるって感じだったんですけど……」

異変の山本を救った“監督からの言葉”

 予選1組でスタートした山本は、走り始めてすぐに異変を感じた。うまく呼吸ができなくなり、体が動かなかった。スタジアムの歓声にかき消されて、自分の呼吸する音すら聞こえない。2位の大きな集団から遅れて、勝負ができないまま20位という結果に終わった。

「スタート前、どうしようとか考えているようでは世界では勝負にならないですね。走る前も走っている時も本当にキツくて、ネガティブなことが悪循環になって、何もできないまま終わってしまいました」

 レース後、野口英盛監督に「ダメダメでした」と伝えると、こう言われた。

「廣中(璃梨佳)や田中(希実)がここで結果を出せるのは、3回4回と世界を経験しているからだ。ここで1回経験を積めたから次はもっといい走りができるよ」

 野口の言葉は、5000m決勝で8位入賞を果たした田中を見ているとよくわかった。レース前、スタンドに向かって笑顔で手を振ったり、堂々としていた。山本は、あの雰囲気の中で自分のレースができる田中のメンタルの強さを感じるのと同時に海外でのレース経験が重要だなと改めて感じた。

「初めての世陸は、ちょっと負け過ぎでしたけど、野口監督の言葉に救われました。スタジアムの雰囲気に完全に飲まれて、気持ちをうまくもっていくことができないだけで走れなくなる。レースはメンタルだなと改めて思いましたし、もう1回、世界の舞台で日本代表として走りたいと思いました」

世界で戦うことへの“慣れ”

 今年の2月にはイランで開催されたアジア室内選手権に出場し、3000mで優勝した。5回目の海外レースになり、ようやく世界で戦うことに慣れてきたという。

「初めてアジアの大会に行った時は英語もわからないし、食事も合わない。コールルームがどこにあるのか分からない。アタフタして、スタート切れるのかなと思うと怖くて、それがすごいストレスになりました。今年2月のイランが5回目の海外の試合だったんですけど、海外でのレースへの臨み方とか、だいぶ勝手がわかって来たのでストレスなく、競技に集中することができました」

 山本は日本代表として活動していく中で、投擲や短距離などいろんな選手と仲良くなり、自分の競技に参考になることがないか、聞いたという。

「ひとつ面白かったのは、100mの選手は頭のなかでリズムを刻むらしいです。そうするとピッチが遅くならないんですが、実際にやるとキツイですね(笑)」

 種目が異なる選手との交流は楽しく、再び日本代表として陸上チームが結成された際、みんなと会うのを楽しみにしているという。

「田中(希実)さんは、異次元です」

 今、山本は、ブダペストでの悔しさを晴らすべく、5000mでパリ五輪出場権を獲得しようとしている。5000mの参加標準記録は14分52秒00で、山本の自己ベストは15分16秒71だ。24秒の差を日本選手権で乗り越えていくことになるが、出場権をブダペストの時と同じくワールドランキングで獲得できる可能性もある。

「タイムとワールドランキングの両方で出場できる可能性がありますが、私はワールドランキングがあるので、日本選手権に出場し、3番以内に入ればパリに出場できることになります。他の選手はランキングを上げるのにいろんな大会に出ないといけないですが、さいわい私は日本選手権だけに絞って練習を積めます。その時間を有効に使ってパリを決めたいですね」

 パリ五輪の5000mを狙う選手には、14分29秒18の日本記録を持ち、唯一パリ五輪参加標準記録を突破している田中希実(New Balance)、同世代の廣中璃梨佳(JP日本郵政G)、そして五島梨乃(資生堂)らがおり、強豪揃いだ。特に田中とはブダペストで一緒に走っており、大舞台での強さを感じている。

「田中さんは、異次元です。昨年、5000mの日本記録を更新しましたけど、ほんとありえないですよ。田中さんは、すごく話しやすいですし、普段はめちゃくちゃ近いんですけど、走りではかなり先を行かれています(苦笑)。でも、私は一緒にパリ五輪に行きたいですし、追い越すとまではいかないけれど、5000mで一緒に戦っていると言えるぐらいのレベルまで行きたいと思っています」

「日本代表を背負ったまま一番いい時期に辞めたい」

 パリ五輪では5000mを目指すが、その先は何を目指していくのだろうか。山本の走力を考えるとマラソンが思い浮かぶ。トラックで磨いたスピードを活かして25歳ぐらいからマラソンに転向していくのは、アフリカではよくあるパターンだ。山本もその道程を歩めば、マラソンでも何かやってくれそうな気がするのだが……。

「マラソンですか? もう、絶対にキツいですよね(苦笑)。キツいのは無理。やりたくないです」

 山本は、そういって首を小さく横に振った。

 パリ五輪を終えても山本は、まだ24歳だ。次の2028年のロサンゼルス五輪も十分に狙えるところにいる。結婚、出産などライフステージの変化を迎える可能性はあるが、出産しても現役を続けるランナーもいる。最近では多くの選手がアスリートとして息の長い活動を実現できているが、山本はちょっと考えが違うようだ。

「最近は、長く現役を続ける人が多いですね。(寺田)明日香さんとかもすご過ぎます。子どもを産んでから走るなんてできないですよ。なんで、あんなに走れるのかなって思いますもん(笑)。私は、20代で結果を残して、日本代表を背負ったまま一番いい時期に辞めたいです。この人、落ちたなぁーって結果を出せない状態で終わるのは嫌なんです。今、世界でいい経験が出来ていますし、この先、パリ五輪や来年の東京世界陸上に出場できて結果を残すことができたら十分かなと思っています。それで良くないですか(笑)」

 美意識が高いことと独特の引き際の美学は、美しく、輝いた自分でいたいという点で共通しているようだ。その輝きを、その時までどのくらい強く、眩しいくらいに放つことができるのか。

 それを一番楽しみにしているのは、きっと山本自身に違いない。

《インタビュー第1回、第2回も公開中です》

(撮影=杉山拓也)

文=佐藤俊

photograph by Takuya Sugiyama