その瞬間を目視していた者はおそらくほとんどいなかった。

 U-23アジアカップのグループリーグ初戦。中国との試合の前半15分、日本の左コーナーキックは相手にクリアされたが、後方で藤田譲瑠チマが持ち直して次の攻め手を探していたところ、藤田が突如動きを止めた。目線の先の離れた所に、倒れ込んでいる中国の10番、ジャ・フェイファンがいた。

 ほどなく主審がVARと交信を始め、オンフィールドレビューへ。映像にはDF西尾隆矢の左肘が中国選手の顔に当たる場面が映し出されていた。主審は西尾にレッドカードを提示した。

接触の直前、激しく競り合っていた西尾とジャ・フェイファン

 その直前、西尾とジャ・フェイファンはコーナーのポジション取りで激しく競り合っていた。コーナーキックがクリアされたため西尾がペナルティーエリアを出て下がって行ったところを、ジャ・フェイファンが追いかけて背後から西尾に接触。振り払おうとして上げた左肘が相手の顔を直撃したのだ。ただ、映像を見る限り、レッドカードは致し方ないものに思われた。

 この時、時計は17分。前半8分の松木玖生の先制ゴールで1−0とリードし、その後も続いた攻勢ムードがこの瞬間に一転し、残り73分間を10人でどう戦っていくか、日本チームは風雲急を告げられた。

 だが、23歳以下の日本代表選手たちは“クレバー”と“クール”のスイッチを素早く入れ、なおかつ熱量を上げた。

 西尾は主審に一発退場を告げられて一瞬だけ「えーー!」というジェスチャーを見せたものの、すぐに判定を受け入れ、足早にピッチから離れた。

退場する西尾に駆け寄った“3人の選手”

 去り際にギリギリ追いついたのはベンチメンバーのFW内野航太郎、MF川崎颯太、DF大畑歩夢。3人は西尾の肩を叩き、声を掛けた。仲間の苦境、チームの苦境に体が咄嗟に動いていた。

 チーム最年少、19歳の筑波大2年生である内野航太郎には、主力がそろった昨年10月のアメリカ遠征に初めて参加した際、西尾が積極的に話しかけてくれた記憶があった。

「食事のときも同じテーブルのことが多くて、一人の人間としてリスペクトがあった。あそこで誰も行かないのは違うと思った」

 西尾は今回、4人いる副キャプテンの1人に任命されている。内野の言葉からは西尾がリーダーシップと幅広い視野を持っていることが伝わる。

 所属の京都で昨年からチームキャプテンを務める川崎は、リーダーの気質を遺憾なく発揮した。

「彼自身すごく動揺していた。声を掛けなきゃと、体がパッと動いた。こっちはこっちで戦うからという話をした。チームに申し訳ないという気持ちもあると思うが、そういうところはあまり思わないでほしい。何試合出場停止になるかわからないが、このメンバーの一員という気持ちは最後まで忘れないでほしいと言った」

「特に何も考えてはいなかった」という大畑も、沸き上がった気持ちを素早い行動で表現していた。

それでも日本が混乱しなかった理由

 この間、ピッチでは交代選手が入るまでの間、誰がどのポジションに入って急場をしのぐのかを素早く整理し、選手間で共有した。西尾がいた右センターバックの位置には長身187センチの右サイドバック、関根大輝が入った。右サイドバックには、左サイドバックで先発していたユーティリティーの内野貴史が移動。内野が抜けた左サイドバックの位置には体の強い松木が入り、4−4−1の布陣を敷いて、約5分間、中国の攻撃を跳ね返した。

 前半22分には山本理仁を下げてDF木村誠二を投入。これにて最終ラインは右から関根、木村、高井幸大、内野貴史となり、勝ち点3を死守する態勢を整えた。

 前半のうちに10人になるという大ピンチで、ピッチが混乱することなく試合を進めることができたのは、周到な準備があったからだ。チームはさまざまな状況を想定する中で、退場者が出るなど10人になった場合にはセットプレーでどこに誰が入るかまで細かく決めていた。

 この試合で再三の好セーブを見せたGK小久保玲央ブライアンは、「こういう想定もGKコーチのハマ(浜野征哉)さんを中心にやっていた。海外のチームではそういう想定の練習はしない。自分も“10人(の想定を)やる必要ある?”と思っていたが、細やかさや対応力は日本のスタッフの素晴らしさだと思う」と準備力に胸を張る。

 準備の面では、ジャッジについて留意点をレクチャーされる時間も大会前に設けられていた。キャプテンの藤田は、「大会説明の時に日本人の審判の方が来て、いろいろな説明をしてもらった。今回は若い審判が多いから、そういったところで爪痕を残そうとしているかもしれないねという話が出ていた」と振り返った。

 中国戦で何度も相手のきわどいチャージを受けていた松木も「ひじのところや足首のところもルール講習を受けていた」と明かす。また、大畑によると、参考映像として使われていたのは浦和などのACLの試合。「足の上げ方や手の出し方、そこは厳しく言われたし、しっかりとポイントポイントで教えてくれた」という。

 西尾自身、中国戦の前日に「誰もが言っているように、アジアは簡単じゃないと、みなが自覚している」と語っている。それでもこのようなことが起きてしまう。それがサッカーなのだ。

試合後のロッカールームで西尾がチームメイトに語ったこと

 ハーフタイムには守備の修正を確認しつつ、選手たちはそれぞれに西尾を思いやっていた。小久保は「ハーフタイムに彼(西尾)は別室にいてロッカーに来られなかったけど、彼のために戦うという気持ちはみんなの頭の中にあったと思う」と証言した。

 ピッチを去った西尾は、試合終了までスタジアム内の別室で担当スタッフとともに過ごし、室内のモニターで日本の勝利を見届けた。試合終了後はロッカールームへ。全員の前に立ち、「本当にやってはいけない行動をしてしまった」と謝罪。「また一からサポートに回る。このチームの勝利のために少しでも力になれれば、できることがあれば」と話したという。

 小久保は「試合後は彼が一人喋って、みんな、そこは気にせず、大丈夫だよと盛り上がった。サッカーではありえること。23人で戦うというのは監督も含めてみんなで言っている。自分たちは彼のために次の試合を戦って勝っていきたい」と、持ち前の明るさでチームの様子を描写した。

 西尾の退場で戦術的交代を余儀なくされ、22分で退いた山本は、その瞬間は「ああ、オレかーー」と思ったと吐露したが、試合後は「まず考えたのは隆矢のメンタル」だったという。

「隆矢は試合後、真っ先に僕に謝ってきた。“仕方ない”と彼には伝えたし、チームとしては引きずっていない。たまたま隆矢だっただけで他の選手にもあり得ること。次に隆矢が闘える舞台を用意するために、僕らは勝ち続けなきゃいけない。隆矢が戻ってきた時に彼がチームを助けてくれると思っているので、みんな雰囲気よく迎えていた」

「みんなが温かく迎えてくれた」西尾は翌日練習に姿を現した

 退場から一夜明け、取材に応じた西尾は「信頼を踏みにじるような形になってしまった」と誠実な言葉で反省を述べた。

「僕も映像を見返したし、当たってしまったのは事実。VARの見方の講習も受けていた中で、抗議や怒りはない。チームに迷惑をかけたということだけが、あの瞬間にあった」

 中国戦から一夜明けた17日の練習には、中国戦で45分間以上プレーした選手を除く14人が参加した。第2戦のUAE戦の先発有力候補でもある彼らは、約80分の練習でこれまで以上に声が出ており、ミニゲームでは高い熱量を感じさせるプレーが見られた。

 その中に西尾もいた。出場停止となる期間については未発表だが、西尾のケースに関しては最低3試合はベンチ入りが叶わず、出場が可能になるのは最短で準決勝と見られる。

「僕自身は引きずってはならない。みんなが温かく迎えてくれた。笑ってくれた。僕自身としては凄く悔しい。本当に情けない行動をしてしまって、たくさんの方の気持ちを裏切った。そこの信頼をまた勝ち取れるように、僕はもうプレーでしか証明できない。またしっかりチームのサポートをしながら、チームの勝利、優勝に目標を向けて、また一から頑張っていく」

 中国戦で出番のなかった大畑が語った「10人でもああやって守り切ったことは、チームとして初戦から大きく成長できるところにもつながったと思う」という言葉は全員の気持ちだ。

 カタールでパリ行きの切符を掴み取ろうとする23人が強固な一枚岩になった。

文=矢内由美子

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