NumberWeb「アスリート親子論」インタビュー
高校野球の強豪、高知・明徳義塾に島根から越境入学したひとり息子とその母、そして子どもたちを預かる馬淵史郎監督の証言から、「寮生活の事情」を探った。〈全2回の2回目〉

「(昨年の)U18の世界大会が終わってから、取材が続いてて、じっくり練習が見れてないんですよ。だから、最近の取材は断っててねえ」

 声の主は明徳義塾・馬淵史郎監督。同校の寮生活について取材させてほしい、と電話で打診したときの最初の反応だった。ダメか……と諦めかけた瞬間、思わぬ切り返しがあった。

「でも、こうやって電話で声聞いてると、断るのも申し訳なくなるなあ。短くてもいいですか?」

 こうして「30分なら」という条件の下、現地取材のOKが出た。

実態まるで違う「明徳義塾」

 土佐インターチェンジで高速道路を下り、土佐市街、「横浪黒潮ライン」と呼ばれる高知県道47号を走っていくと、「明徳義塾中学校・高等学校」の立て看板が見えてくる。

「周囲に何もない陸の孤島」

「断崖絶壁の山道を命からがら運転しないとたどり着かない」

 明徳義塾の校舎とグラウンドの立地について、そんな表現を耳にする。たしかに、グラウンドや、野球部員が通う校舎「堂ノ浦キャンパス」に続く山道には、対向車とのすれ違いに窮する細い区間はある。が、ガードレールが整備された区間も少なくなく、巷で噂される「一歩間違えたら崖から落ちる難所」の表現には違和感を覚えたし、学校と土佐市街が極端に離れているような印象も受けない。

馬淵監督「来たことのない人が想像で書く」

 いよいよ「明徳野球道場」と名付けられた野球部専用グラウンドに足を踏み入れる。鋭いまなざしで練習を見つめていた馬淵監督に恐る恐る挨拶を交わし、名刺を交換した。馬淵監督は私の住所を見た後、明るい声色でこう続けた。

「わざわざ島根から! 遠いところからどうも。瀬戸大橋側から来たの?」

 気さくな対応に驚きつつ、ここまでの道のりと合わせて「ウワサよりも、全然街から遠くないところにありますね」と印象を伝えた。すると、馬淵監督は笑いながら、こう返答した。

「来たことのない人が想像で書くよね。実際に来たら、10人いたら10人全員が『全然想像と違いました』って言うよ。世間で言われていることが全部本当だったら、選手が来ないですよ。明徳の場合、兄弟は8割方、弟も来るからね。兄貴が補欠でも。親が明徳卒業だったら、控えでもええからって来る」

 打撃練習が終了すると、馬淵監督がバットを片手に持った大柄な選手を呼ぶ。竹下徠空だ。

 私にとって、中学時代に試合を観て以来の再会だった。入学から20キロ近く体が絞れ、記憶よりもずっとシャープになっていた。

新事実「iPad、みんな使ってますよ」

 母の真奈美さんから幼少期の話、地元の島根から明徳義塾に進んだ理由を事前に聞いたことを伝え、寮生活について話を向けた。

「特別不便だとかは思わないんですけど、想像していた以上にチームメートの関西弁が移りました。関西出身の選手が多い、島根の学校に行っている中学の先輩から『関西弁はめちゃくちゃ影響される』って聞いて、最初は『うそだろ?』って思ってたんですけど……」

 伝統的に関西出身者が多いことから「関西弁を軸とした独自の方言が生まれる」という、耳にしていた“明徳あるある”が事実ということを実感する。つづいて「やっぱりスマホが使えないのは不便?」と聞くと、驚くべきニュースを知った。

「授業で使うために一人1台iPadを持っていて、寮でも自由時間は使えるので、あまり不便は感じないです」

 衝撃だった。寮のWi-Fi開通工事も完了し、iPadでYouTubeなどを見ることも可能なのだという。なにせ、かつては「高知新聞しか娯楽がない」と言い伝えられてきた時代もあった明徳義塾である。馬淵監督にも確認すると、こう即答した。

「iPad、みんな使ってますよ」

「何年かしたら、携帯もOKになる」

 聞けば、徠空らが入学した22年から解禁されたという。今では、公式戦の対戦相手が決定後、相手の映像の共有などでも活用しているとのこと。馬淵監督が続ける。

「学校側の設定で不適切なサイトとかは見れんようになっとるから、それ以外は自由時間内であれば制限してません。YouTube見たりできるんで、野球に活きる情報は入ってきますよね。うまく使えばですけど」

 スマホの所持は変わらず禁止だが、iPadの使用に関しては、練習後の食事、入浴、洗濯など、やるべきことを終えた後から消灯時間までであれば、特に制限はしていない。再び馬淵監督。

「通いの学校の子たちは持ってるわけなので、寮に入っているからといって、全部できないのも違いますよね。(現在は学校全体でNGだが)そのうち何年かしたら、携帯もOKになるんかなと思うけど」

馬淵監督が考える「寮生活の意義」

 世間でイメージされる“明徳像”と異なる現況に驚きを隠せないでいると、指揮官が補足した。

「歴史というのは変化の連続でできるからね。進化しなかったら、シーラカンスじゃないけど、絶滅しますよ。変化の中で歴史とか伝統ってできるから。まあ、歴史は年数が経ったらできるだろうけど、伝統は人間が作るものだからね。人間が作って、いいものを残す。やっぱり世の中、不変のものと可変のものがあるから。変えていくべきものは変えていった方がええと思うし、精神的な部分とか、残すものは残したらいいですよね。でも、明徳に子を預ける親からしたら、時代錯誤的なものを求めているとも思うけどね。こういう(誘惑が少ない)ところで3年間は過ごさせたいという」 

 時代に合わせて、必要なものを取り入れたり、時に緩和しながら、部のルールを「可変」させている。では、明徳義塾の寮生活における「不変のもの」とは。

「やっぱり社会性(を養うこと)よね。今はわがままなやつが多いから。野球をして、寮で共同生活をして、自分ひとりじゃないんだと知ってほしいよね。面倒くさいことをやりたがらんやつが多いけど、野球なんて、初回から9回まで面倒くさいことしかないんやから。あとは親への感謝とかね。親がグラウンドに来たとき、雨が降っとったら傘を差したり、重たい荷物を代わりに持ったりするようになって、感動したりね。そういうことを明徳で覚えるんでしょうね」

 iPadの使用にも「消灯時間まで」という厳密なルールはあるし、コンビニで自由に買い食いすることも許されていない。自宅通学のチームに比べれば、我慢する場面は依然として多い。だが、そうした環境だからこそ醸成される意識があると、馬淵監督は言う。

「寮生活をしてるから、『明徳は競ったときに、通いのチームには負けん』って思えるんです。今も昔も。……まあ、最近は競って負けとるから情けないんやけど(笑)」

 2010年から8年連続の夏の甲子園出場など、時に“異様”とすら感じる勝負強さは、グラウンドだけでなく、色々な制限のある寮生活で磨かれていくのは間違いない。

「変化と不変」「情と非情」のバランス

 当初の約束だった30分を超える“馬淵節”を堪能している傍らで、徠空が再び打撃練習で汗を流す。打撃投手を務めるコーチからは、「一回の空振りでビクビクする必要はない!」とゲキを飛ばされていた。指揮官が、入学から今までの徠空評を語る。

「練習はいたって前向きですよ。向上心もあるしね。ハマったときはすごい打球打つけどねえ……。ハマるときが少ない。最後の夏もカギは握っとるよね。あいつが打てばという。どっちみち警戒されるんだろうけど、そこで失投をとらえられるかだね」

 この後も、「本当はもっとプロのスカウトが見に来るぐらいになっとらんといけんのやけど……」と、辛口評価が続いたが、不調の時期があっても1年秋から4番に据え続けているのは期待しているからこそ。部のルールを柔軟に変えてきたのと通ずる、馬淵監督の“情と非情”のバランス感覚を感じずにはいられなかった。

〈第1回「越境入学で子と離れた“母の本音”」からつづく〉

文=井上幸太

photograph by Kota Inoue