大谷翔平は新天地についてこう言った。「一番の強みは育成だと思っている」。近年、正捕手のウィル・スミスら多くの選手がドジャースのマイナーから飛躍した。なぜ伝統の球団は大スターを生み出せるのか。実情を知る3人の日本人が語った。
【初出:発売中のNumber1094・1095号[経験者が明かす]「ビリオネアを生み出すマイナー組織の思考法」より】

ドジャースのマイナーは一体どんな場所?

 ドジャースの選手は“コーチャブル”なんですよね。

 聞き慣れない言葉を、山本由伸の獲得に尽力したドジャーススカウトの鈴木陽吾は口にした。大谷翔平がドジャース傘下マイナー組織の育成に関心を示したという話を耳にし、その風土について尋ねたところそんな言葉が出たのである。

 ドジャースのマイナーとは一体、どんな場所なのだろうか。

「ともかく衝撃が大きすぎて。それまでの野球人生を全否定したくなるような、そんな体験でした」

 明治大学でコーチを務める西嶋一記は現役時代、ドジャースマイナーに所属したことがあった。それこそ大谷が花巻東高からメジャー挑戦を表明する少し前のことだ。

 左投手の西嶋は横浜高で3年春にセンバツ優勝。背番号「10」を身につけて活躍した。明大では1学年下の野村祐輔(広島)とともに強力な投手陣を形成。3年秋には最優秀防御率をマークした。

 そんな実績もあり、大卒でNPB入りを目指していたが、斎藤佑樹(元日本ハム)ら豊作世代と騒がれた2010年のドラフト会議で指名漏れの憂き目にあった。

「練習初日に『とんでもないところに来たな』と」

 ところが、事態は急転した。そんな西嶋にドジャースが声をかけてきたのだ。

 驚きはしたが、当時の担当スカウトの小島圭市の話を聞き、迷いは消えた。

「メジャーリーガーはみんな球が速いですよね。僕はそういうタイプじゃないんですけど、小島さんからは『豪速球を投げる投手がたくさんいる中では、コントロールが良くて変化球を操れる投手が生きる』と教わりました。その頃はメジャーのピッチャーの高速化が進んでいたから、僕は自分を出せばいいんだと思えた」

 とはいえ、いざ渡米してみると、その世界に驚愕した。

「練習初日に『とんでもないところに来たな』と思いました。マイナーには世界中から170人くらいの選手が来ていて、こんな奴らと競争しなきゃいけないのかと」

 のちにメジャーのスター選手となるジョク・ピーダーソン(現ダイヤモンドバックス)やコーリー・シーガー(現レンジャーズ)がチームメイトだった。ヤクルトのクローザーとして活躍したスコット・マクガフ(現ダイヤモンドバックス)もいた。

“自由の国”のイメージを覆すほどの計画的な育成法にも目から鱗が落ちた。

「入団が決まってキャンプに行くまでのメニューを渡されました。どれだけのランニングをして、キャッチボールも何%の強度で何球を投げるのか、細かく指示されていて。アメリカに行ってからも、基本的にやらないといけないトレーニングは決まっていました」

 シーズンに入ってからも、登板間の過ごし方は決まっていた。

「僕はエースのクレイトン・カーショウ投手ではなく、テッド・リリー投手やホワイトソックスのマーク・バーリー投手など、低めにコントロールして投げるタイプの投手を参考にしました。マイナーで大事なのは質問力です。ボールの動かし方やフォーシームの投げ方など、コーチにたくさん質問しました。ラモン・マルティネスさんらドジャースのレジェンドの方もたくさん来ていて、いろんなお話を聞きました」

 3年目のスプリングトレーニングの最中に彼の挑戦は終わりを告げたが、ドジャースのユニフォームを着た経験は、明大で森下暢仁(広島)ら数々の投手を育てる上で役に立っている。

「ドジャースで学んだのは育成段階で『慌てない』ということ。試合に向けて一夜漬けで準備するのではなく、計画的に準備することを勉強しました。今もリーグ戦のスケジュールに合わせて、選手が計画的にトレーニングできるように早めにスケジュールを伝えています。その上でどう準備するかはそれぞれが考えることなので」

ダルビッシュ有から言われた 「間違いなく挑戦した方がいい」

 今年2月、アリゾナ州のドジャースのキャンプ地「キャメルバックランチ」は大型契約を結んだ2人の日本人メジャーリーガーによって喧騒に包まれていた。その様子をニュースで見た北方悠誠は、かつて自分がそこにいたことを思い出した。

「あー、ここ、俺も歩いたわって」

 親会社がDeNAに変わる直前の'11年ドラフトで、横浜ベイスターズから1位指名を受けた北方は紆余曲折を経て、BCリーグ・栃木でプレーしていた'19年にドジャースと契約した。

 佐賀県の唐津商高で、3年夏に甲子園出場。そこで豪速球を披露したことでプロのスカウトの評価を得て入団したものの、たった3年で戦力外通告を受けた。ソフトバンクにも育成選手として1年間在籍したが、そのあとは独立リーグを転々。日本のプロ野球で日の目を見ることはなかった。

 原因はコントロール。豪速球を投げてもストライクが入らない。そのことを指摘され続けた北方のピッチングは小さくなり、やがて「イップスではないか」と言われるほどのどん底を味わった。

 そんな選手が突如、ドジャースと契約したのだ。

文=氏原英明

photograph by Nanae Suzuki