試合の終盤には雨粒がポツポツとグラウンドに落ちてきていた。

 灰色の雨雲が最後まで空を支配する中、ゲームセット後に今秋のドラフト候補と言われている遊撃手の今坂幸暉(ともき)が高く突き上げたガッツポーズが、そんな重たい空を切り裂いていた。

「履正社に勝ったのがたまたまと言われたくなかったので。2強と言われている学校を倒せてめちゃくちゃ嬉しいです」

 試合後、率直な思いを今坂がすらすらと述べる。春季大阪大会の準々決勝、大阪桐蔭と大阪学院大高校との試合。3日前には4回戦で壮絶な打撃戦となった履正社との試合を制した大阪学院大高校にとっては、ふたつめの大きな山が目の前に立ちはだかっていた。

絶対王者を前にしても…緊張感はナシ

 だが、試合前のノックから過度な緊張感は全く感じなかった。

 試合は5回まで0−0と緊迫した展開が続いた。大阪学院大高校の先発のエース左腕・前川琉人は緩い球を有効に使いながらテンポ良く投げ込み、5回まで単打ばかり4安打を打たれるも、あと1本を許さなかった。

 リードする捕手の志水那優(ともひろ)は言う。

「大阪桐蔭の試合が動画サイトに出ていたので、対戦が決まってから各打者の動画は見ていたんです。カウントによって、どこ(コース)を待っているのかを見ながら、厳しいところを攻めるようにしました」

 実は志水は、2回に四球で一塁に歩いた際に「少し気分が悪くなって」と右足のもも裏が攣るアクシデントに遭い、タイムを取っていた。試合前には見えなかった緊張感が、いざ試合が始まると体外に出てしまったのだろう。

 塁上で屈伸をするなどして緊張をほぐす中、大阪桐蔭のベンチから水を持った選手が現れ、水を口にして何とかゲームに戻ることができた。

 試合中はその影響も少し引きずりながらではあったが、徹底したのはインコース攻めだった。試合前から「とにかく大胆に」と前川に声を掛けてきたという志水。その要求通りに内角を攻めつつ、ボール球も振らせて凡打の山を築いた。9イニング中、先頭打者を5度も出塁させてしまったが、うち2度は低めに変化球を集めて、併殺に打ち取るなど相手の流れを断ち切った。

 0−0の均衡が続く中、6回にその均衡を破る1点を失ったが、9回表に相手のミスなどに乗じて逆転した。1点のリードを守る9回裏の守りは「大阪桐蔭さんの打者も最後までスイングが強かったですし、いつ追い上げてくるのか分からなかったので、1人1人のバッターに集中していくことだけを考えました」と細心の注意を払った。

 試合前は、1、2点の失点は覚悟していたというが「今日はコースにしっかり投げ分けて頑張ってくれたピッチャーのお陰です」と背番号2は胸を張った。

監督は書籍も出版の「伝説の営業マン→現役経営者」

 そんな選手たちを、23年3月に就任したばかりの辻盛英一監督は誇らしげに見つめながらこう明かす。

「2強時代を終わらせるつもりで僕は監督になったんです。そのつもりで彼らもうちの学校に来てくれています。履正社戦で勝って今日も勝てて、ひとつの目標は達成した感じはあります」

 辻盛監督は、かつて大手保険会社に勤務し営業成績が13年連続で売り上げナンバーワンとなった経歴を持つ。現在は「株式会社ライフメトリクス」を経営し、著書『営業は自分の「特別」を売りなさい』(あさ出版)も上梓。そのかたわらで10年から22年までは母校でもある大阪市大(現大阪公立大)で監督を務め、17年秋にはチームをリーグ優勝に導いた。

 昨年春に高校野球の監督となり、朝9時から15時までは会社勤務ののち、16時からは大阪学院大高校のグラウンドに顔を出している。週末の練習試合でも指揮を執り、遠征にも同行する日々を送っており「プライベートの時間なんて全くないんですよ」と笑うが、野球漬けの日々こそ、辻盛監督が望んだ生活だった。

 22年には人工芝に大きな屋根のついた室内練習場や全面人工芝の野球場が完成した。指揮官が自費でラプソードや最速170キロ以上に設定できる打撃マシンを購入し、速球にも負けない打撃練習ができる環境も整えた。

 ただ、大学生と高校生の指導には多少の違いがある。指揮官は続ける。

「大学生はある程度放っておいても自分たちで何かをやろうとしますが、高校生はそれができる子がなかなか少ないので、どこかで目線を送っていないといけない。だから今の方が拘束される時間は長いですね」

 グラウンドにいる時間が長くなれば、どうしてもあれこれ言いたくなる。

 だが、辻盛監督は決して選手に対して声を荒げることはない。僭越ながら筆者が2月に取材でグラウンドに訪れた際も選手への指導は「どうしたいのか、どうなりたいのか」を汲み取り、その理由をしっかり「説く」方法に徹しているように映った。

「(ミスをしても)彼らがなぜ、そうしてしまうのか。厳しく言うのではなく、理由を一緒に考えるんです。その中で最良の方法を見つけながら練習していけたら」

 選手との接し方も、経営者らしくフランクな声掛けから始まる。

 穏やかなたたずまいから見ても、かつての高校野球の監督像からはかけ離れている印象を受けるが、試合でもどんな状況でもベンチの端で選手たちを見守りながら、共に野球を楽しんでいるようにも見えた。

「ノーサイン野球」で“大阪1位は通過点”

 4回戦の履正社戦では高木大希、藤原僚人といった主戦級の2枚看板を打ち崩し、準々決勝ではこの日最速145キロをマークした力強いストレートが武器のエースの平嶋桂知から最後の最後に相手のミスにつけ込んで逆転勝ちした。貫いている「ノーサイン野球」も浸透させながら、またひとつ階段を駆け上がった。

 大阪桐蔭との試合を制し、試合後に喜びを爆発させたナインだったが、ベンチ後ろでの取材対応時には、そんな感情は胸の中にしまい込んでいた。

「自分たちは大阪1位が本当の目標ではないので。目標は日本一です」

 主将でもある今坂の力強い言葉が通路に響く。

 かつてはPL学園が甲子園を席巻した時代が長く続いたが、近年は大阪桐蔭、履正社が大阪の高校野球を牽引してきた。

 逆に言えば、「大阪桐蔭、履正社以外の高校には甲子園への道が開けないのか」と絶望するような胸の内を吐露する府内の指導者も多かった。

 ある中堅校を率いる監督は「僕らも毎年、頑張ってはいるのですが、どうしても壁が破れないでいるんですよね。何とかしたいと常に思っているのですが」と、もどかしい心情を口にしていた。

 だが、そんな大阪の高校野球の指導者の悶々とした空気を取っ払うような大阪学院大高校のふたつの“金星”は、大阪の高校野球界の“転換期”を暗示しているようにも見えた。

 本番は夏だ。今春の大阪大会の流れを踏まえ、絶対王者が君臨する大阪の夏から、戦国・大阪の夏となるであろう戦いには、大阪学院大高校の躍進と共にどんな結末が待っているのだろうか。

文=沢井史

photograph by Fumi Sawai