日本ハム時代から長年にわたって大谷翔平の番記者を務める柳原直之氏の「テレビに映らない番記者レポート」がNumberWebでいよいよ開幕! 今回は衝撃の3戦連発など完全覚醒の打撃に一役買った「クリケットバット」秘話や、開幕直後の話題で埋め尽くされた水原一平氏について記した。(全2回の第2回/第1回も配信中)

 3月23日午後8時。私のX(旧Twitter)のアカウントにダイレクトメールが届いた。ドジャース・大谷の元専属通訳だった水原一平容疑者の父・英政氏からだった。

「私の息子は球団内外問わず、電話やメールの返信が遅く時間にはルーズで有名だったんですね。私の知らなかった情報ありがとうございます」

 弁明のメッセージを送ると「私の知る限り球団内外問わずと言うのは少し違うかなと思いました。それだけです」と返信が届き、その後は連絡が取れなくなってしまった。

水原通訳のコラムの編集を担当したことも

 20日の韓国・ソウルでの開幕戦後。水原容疑者は違法賭博関与やドジャース・大谷翔平の銀行口座から不正送金した疑いが発覚し、21日朝に球団から解雇が発表された。翌22日付スポーツニッポン(以下、スポニチ)紙面で水原容疑者の人物像を表す際に、私は「球団内外問わずメールや電話の折り返しは遅く、時間にルーズな一面は一部で有名」と記述。その記事への反応が冒頭の英政氏からのメッセージだった。

 水原容疑者は13年に外国人選手の通訳として日本ハムに入団し18年に大谷とともに渡米した。一方の私は14年から日本ハム担当、18年から現在までMLB担当。18年開幕時〜22年冬まで「水原一平通訳 I REPORT」と題した本人コラムの編集も担当し、取材者としてグラウンド内外で10年以上、間近で見てきた存在だった。

 その存在が「容疑者」になったからといって、“手のひら返し”すべきではないし、するつもりは毛頭ない。ただ、今回の事件がなぜ起こったのか、その原因を探ることは私の使命でもあり、避けられないことでもあった。

ある選手は「世間ほど驚きはなかった」という

 水原容疑者は日本ハム時代から選手やメディアから親しまれる人柄だったが、私が記述した「ルーズな一面」はやはり否定できなかった。日本ハム時代に球団幹部から苦言を呈されている場面を見たことがあった。エンゼルス移籍後はクラブハウスでいつもスマートフォンを握り締め、電話を頻繁にしていたが、大谷の契約スポンサーからの連絡への返信も遅かった。「“返事を返してほしい”と伝えて欲しい」と伝言を預かったことは一度や二度ではない。

 それでも返事がないため、現地打ち合わせできるかどうか分からないまま渡米せざるを得なかった担当者もいた。

 グラウンド外ではダーツやトランプが好きと聞いたこともあり、ヘビースモーカーでもあった。それが事件に直結したとはもちろん思わないが、ある選手が事件後に「ギャンブル好きだったから世間ほどこのニュースに驚きはなかった」と話しているという声を間接的に聞いた。

エンゼルス時代、偶然スタバで会った記憶

 水原容疑者は6歳だった91年に和食料理人の父・英政氏ら家族とともにカリフォルニア州ロサンゼルスに移住。同州では違法だが、多くの州でカジノや「スポーツベッティング」が合法化されており、日本育ちの人にはないギャンブルへの感覚を持っていた印象もあった。

 水原容疑者は今年1〜3月に総額約32万5000ドル(約5000万円)で大量の野球カードを「ジェイ・ミン」という偽名で大谷の口座を不正利用し購入していたという。

 昨季まで、水原容疑者とエンゼルスタジアム近くのスターバックスで何度か偶然会ったことがある。

 注文時、店員に伝える名前はいつも「ジェイ」だった。当時は「一平だと米国の人が呼びにくいと思って……」と話していた。米国でアジア系の人々が現地の人々が発音しやすいようにアメリカンネームを使うことは一般的だが、まさかその名前が事件にも使われるとは夢にも思わなかった。

傍聴席から見た彼の表情は…

 4月12日。銀行詐欺容疑で訴追された水原一平容疑者がロサンゼルスの連邦地裁に出廷し、私も傍聴席から見守った。連邦地裁前にはテレビカメラが12台並び、60人分の傍聴席はあっという間に埋まった。

 午後1時46分。水原容疑者が姿を現すと、すぐに異変に気付いた。極端に歩幅が狭く、ジャラジャラと金属音が聞こえた。両足の自由を奪う「足かせ」だった。うまく歩けない中で、少し口元を緩めたようにも見えた。

 違法賭博関与が報じられてから、公の場に姿を現すのは初めて。黒いスーツ姿で、韓国ソウルでの開幕戦時と髪形や体形を含めて大きな変化はなかった。

 促されて証言台前に立ち、両手を腰の前で合わせて保釈条件を聞いた。ほそぼそとした声で「イエス」と繰り返すこと16回。閉廷間際、裁判官に小さな声で「サンキュー」と述べ、軽くお辞儀した。

 絶望に打ちひしがれ、憔悴しきった様子を想像していただけに、あまりにもいつも通りの水原容疑者の表情は意外で、感情が読めなかった。別の日本人記者は「反省しているようには見えなかった」と話したが、その印象は否定できなかった。

 水原容疑者は大谷の通訳以外にもキャッチボール相手やビデオ撮影係、私生活では運転手役も務めた。

 21年12月に大リーグの旧労使協定が失効したロックアウト中には、選手契約が凍結され、監督、コーチだけでなく職員も選手と連絡を取ることが許されないなど厳しいルールが敷かれていたため、エ軍を一時的に退職し、練習や生活をサポート。紛れもなく公私にわたり不可欠な存在だった。父・英政氏が「球団内外問わず」を否定したように――問題が発覚するまでは、家族や大谷とは密に連絡を取っていたのかもしれない。

水原一平は、どんな人物なのか分からなくなった

 私は同じ3月22日付のスポニチで〈愚行に違いはないが、水原通訳が“悪人”だと思ったことは一度もない。〉と記したが――その後の報道や傍聴席から見た様子を受けて、水原容疑者が本当はどんな人物なのか分からなくなった。

 連邦地検によると、水原容疑者は大谷選手の口座から違法賭博の胴元側に1600万ドル(約24億5000万円)以上を不正送金した疑いがあり、次の5月14日(日本時間15日)の手続きで罪状認否を行うとみられる。<第1回「大谷とドジャースのクリケットバット」編からつづく>

文=柳原直之(スポーツニッポン)

photograph by Nanae Suzuki