森保一監督率いるサッカー日本代表は、6日の敵地ミャンマー戦で5−0の大勝を飾った。第1期からの中心メンバーを起用するとともに、活躍が目立ったのは第2期から、もしくは久々に招集された選手たちだ。序列争いを熱くさせる3人の人物像を「NumberWeb」掲載記事から知る。

<名言1>
それもひとつの役割かなと。
(橋岡大樹/NumberWeb 2021年7月31日配信)

https://number.bunshun.jp/articles/-/849152

 ◇解説◇
 北中米W杯アジア最終予選進出を決めているとはいえ、ミャンマー戦で森保監督は1つのテストをした。サンフレッチェ広島時代から用いている3-4-2-1システムの導入だ。その中で3バックの一角としてプレーしたのが橋岡だった。

 橋岡はセンターバックとサイドバックをこなせる特性を生かし、右ウイングバックに入った菅原由勢を追い越してクロスを狙ったり、ミャンマーの攻撃を体をぶつけて封じるなどのタフさを見せた。

 浦和レッズのアカデミー出身である橋岡は、シント・トロイデンで力を磨いたのちに2024年1月からイングランドのルートン・タウンに移籍した。

 同チームは2023-24シーズン、プレミアリーグに昇格したものの勝点を稼げず、残留争いの真っただ中にあった。そのタイミングで“救世主”的存在を期待されての加入となった。世界最高峰リーグのレベルの適応に苦しんだものの、必死のプレーはサポーターに伝わっていたようで「ハシは最高の選手だよ!」と現地で撮影した日本人カメラマンが声を掛けられることもあったという。

東京五輪代表時には久保らにイジられていた

 そんな橋岡だが……ムードメーカーとしての役割も担っている。例えば東京五輪代表の時のこと。当時のコーチが「同年代からもオーバーエイジからもイジられている」と証言するように、久保建英らに茶化される様子は、チームにとっておなじみの風景となっていた。それについて橋岡本人は、このように語っていたことがある。

「チームをまとめるというか、いい方向に持っていくうえで、雰囲気を明るくするのは大事なことだと思っている」

 右サイドバックでは菅原や毎熊晟矢、センターバックでは冨安健洋に板倉滉と、橋岡が序列争いを繰り広げるライバルが多いのは確か。ただ20人以上の選手たちで構成されるチームではベンチに座る、もしくはメンバー外となるケースもままある。

 その中でチームの雰囲気を作り上げ、さらには累積警告や負傷などチームの緊急事態に仕事ができるマインドを持つという意味では……橋岡が今後、代表で重要なパーツとなるチャンスは十分にある。

“東京五輪世代のエース候補”ついに開花の予感

<名言2>
まだまだ自分は力不足なところがありますけど、得点を取れたという事実は自信になります。
(小川航基/NumberWeb 2022年10月18日配信)

https://number.bunshun.jp/articles/-/855010

 ◇解説◇
 東京五輪世代のエース候補として期待された大器が、ようやく日本代表でも花開く時が来たか。ミャンマー戦で先発フル出場し、2得点をマークした小川だ。

 前半こそボール支配するチームにあってシュートを放つことができなかったものの、後半30分に相馬勇紀のクロスに頭で合わせ、その8分後にはゴール中央でストライカーらしい反転からのシュートでそれぞれゴールネットを揺らした。

 小川は初招集された2019年のE-1選手権香港戦でハットトリックを達成しており、国際Aマッチ3試合で5ゴールの固め打ちとなっている。これは日本代表史上初の記録だという。

 桐光学園高校時代から将来を嘱望された小川だが、ヒザの大ケガもあって苦しむ期間が長かった。開花の兆しを見せたのは2022年。当時J2の横浜FCで26ゴールを挙げて得点王に輝いた。「得点を取る」というFWが最も求められる仕事で結果を残したことで、小川のキャリアが再び上昇気流に乗った印象だ。

 小川は23−24シーズンからオランダのNECナイメヘンに期限付き移籍すると、今季の海外組では数少ないリーグ戦2ケタ得点(11ゴール)をマーク。この活躍が認められて森保監督に招集された。その起用に応えたミャンマー戦での2ゴールは、充実の1年を象徴する活躍と言っていい。

センターフォワード定位置争いは上田らがいるが

 とはいえ、対戦相手のレベルや近年クラブで残した実績、さらには現状の日本代表での序列を踏まえれば、小川はまだまだ満足していないだろう。

 現在の日本代表センターフォワード定位置争いは、同年代の上田綺世を軸に俊足タイプの前田大然、パリ五輪世代の細谷真大、6月シリーズ未招集の浅野拓磨や古橋亨梧らが控えている。

 盤石の定位置を手にしている選手はまだいないだけに、来季もヨーロッパでコンスタントに得点を奪い続ければ……という期待値は大きい。

巣鴨でひたすらシュートを打っていた敬斗

<名言3>
巣鴨でもひたすらシュート打っていました(笑)。
(中村敬斗/NumberWeb 2024年3月27日配信)

https://number.bunshun.jp/articles/-/861009

 ◇解説◇
 ミャンマー戦を締めくくる一撃は、中村らしい鮮やかなゴラッソだった。

 すでに鎌田大地のパスを受けて先制ゴールを挙げていた中村は、後半アディショナルタイムに小川の粘り強いキープに反応して右足一閃。ボールは痛烈な弾道でゴール右隅に刺さった。日本代表デビューから9試合8ゴールは、2000年に高原直泰がマークして以来のハイペースとなっている。

 中村の最大の持ち味は、主戦場とする左サイドからカットインしての決定力だ。アジア杯ベトナム戦でも鮮やかな一撃を叩き込むなど、相手として見れば“わかっていても止められない”シュート決定力は、日本代表にとってオプションを超える武器となりつつある。

 その武器を磨いた原点について……中村は今年「NumberWeb」で、解説者の水沼貴史氏との対談に臨んだ際に明かしてくれたことがある。

 水沼氏が「シュートは小さい頃から意識して練習していた?」と聞くと、中村は「練習が終わってからもずっとシュートを打っていた思い出があります」と答えるとともに、冒頭の言葉を口にしていたのだ。

 なお「巣鴨」とは、中村が中高時代を過ごした三菱養和サッカークラブの拠点である。同じく日本代表MFの相馬もプロの世界へと送り出した同クラブは、個人能力を引き出そうとする指導スタイルで知られる街クラブで、選手と指導者の距離感が“まるで友人”のような闊達さがある。そこで中村は伸び伸びと、そして自主的にシュートセンスを磨いたのだ。

左サイドといえば三笘だが…不測の事態があっても心強い

 日本代表の左サイド2列目と言えば、三笘薫がエース的存在だ。中村は前述の対談で「自分は三笘(薫)選手のようにハーフラインからドリブルでぶっちぎっていくタイプではないですし、あれはやりたくてもできるプレーではありません」と、その突破力をリスペクトしているが……三笘は所属するブライトンの過密日程によって腰を痛めて長期離脱するなど、今後もタフなプレミアの舞台で不測の事態が起こることも十分あり得る。

 その中でフランスのスタッド・ランスで――仲良しの同僚である伊東純也とともに――奮闘する中村が進境著しいのは、心強いと言っていいだろう。

文=NumberWeb編集部

photograph by JIJI PRESS