日本史における有名な事件のひとつに、「赤穂事件」が挙げられるのではないだろうか。1701年(元禄14年)3月14日、吉良上野介を切りつけた罪で、浅野内匠頭が即日切腹を命じられたことから始まるこの事件は、後に「忠臣蔵」という名前で数々の映画や舞台、書籍で取り上げられてきた。

その忠臣蔵をモチーフにした和菓子がある。その名も「切腹最中」。パカッと大きく開いた最中にたっぷりのあんこと求肥が詰められ、そこに鉢巻きを模した帯が巻かれており、見事「切腹」を表現している。2024年で創業112年を迎える東京・新橋の老舗和菓子屋「御菓子司 新正堂(しんしょうどう)」(以下、新正堂)から販売されているこの和菓子は、忠臣蔵ファン以外にも多くの人が買い求める人気商品だ。しかし、このネーミングには反対の嵐だったそう。

では、切腹最中はどのように誕生し、人気を獲得していったのか。新正堂の会長である渡辺仁久さんと、4代目社長の渡辺仁司さんにその経緯を聞いた。

■119人中118人がその名前に反対!「切腹最中」誕生秘話
切腹最中が誕生したのは、今から約30年前。別業界の前職を辞め、当時新正堂の3代目社長に就任したばかりだった仁久さんは、先代の時代から人気の豆大福に続く新たな看板商品を作ろうと、新商品開発のために約120種類ものお菓子を作っていた。しかしどれもうまくいかず模索しているとき、客からの「日持ちのするお菓子がほしい」という声をヒントに発案したのが最中だった。

「当時の店舗が浅野内匠頭の切腹した屋敷の跡地に建っていたことにちなんで、『切腹最中』という商品名が最初に浮かびました。だけど和菓子って、本来はおめでたい食べ物のはず。それなのに『切腹』はないだろうと、『義士最中』や『忠臣蔵最中』、浅野内匠頭が切腹した際の辞世の句『風さそふ 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせむ』からとった『風誘う最中』なんて名前も考えました。でも、最初に思い付いた『切腹最中』が気になって仕方がなかったんです」

家族にも相談してみるが、「切腹最中」には当然大反対。先代の妻だった義母親にいたっては、泣いて猛反対するほどだったとか。そこで、客や知り合いを中心にアンケート調査を行ったところ、ここでも119人中118人が「切腹最中に反対」という結果に。

「だけどどうしてもあきらめられず、2年半かけて家族を説得しました。すると義母が『しつこいわね、あんたは。そこまで言うなら出してみたら』と折れてくれたんです(笑)」

こうして、半ば強引に誕生した切腹最中だったが、当初の売れ行きは決してよくはなかった。しばらく低空飛行を続けていたが、飛躍のきっかけは意外なところにあった。

「ある日、知り合いの証券会社の支店長さんが、部下の薦めた株の株価が下がったお詫びにと、顧客に渡す手土産を買いに来ました。私は冗談で、『自分たちの腹は切れませんが、代わりにお菓子で腹を切りました、と言って、切腹最中を渡してみたらどうか』と言ったら、その方は本当に買って行ってしまって…(笑)。『火に油を注ぐだけだからやめたほうがいいのでは』と、一応は止めたのですが、結果的に顧客は笑って許してくれたそうなんです」

後日、証券会社の支店長たちが集まる会合で、その支店長がこのエピソードを紹介。すると、その会合の取材に来ていた新聞記者が、全国紙で「お詫びに切腹最中」と取り上げてくれたという。

これが契機となり、当初は全く想定していなかった“クスッと笑える謝罪の手土産”として注目され、人気を得ていった。1日80個売れればヒットと言われる和菓子業界で、今では1日約2000個を売り上げるまでになっている。

■和菓子業界の常識に切り込む!パックリ開いているのは「切腹」以外の理由も
和菓子業界の常識の逆を行くような商品名で注目された切腹最中には、もともと別業界に勤めていた仁久さんによる“常識破りなやり方”がたくさん詰まっている。

まずはその形状だ。最中は閉じているのが和菓子業界の常識らしいが、切腹最中は冒頭に紹介したとおり、パックリと開いている。これには4代目の仁司さんも「開いているところなんてほかにないですよ」と笑う。仁久さんは、「あんこが見えるとおいしそうだし、なにより食べた人に満足してほしかったんです。でも、閉じているとあんこをあんまり入れられない。だったら開けてしまえ!と(笑)」と話してくれた。

一般的な最中のあんこの量が40グラムほどのところ、切腹最中は62グラムと、まさに満足感たっぷりの和菓子だ。また、「ことを重く受け止めている」という意味が含まれており、羊羹などのずっしりと重いお菓子が好まれる謝罪のシーンにも最適のお菓子になっている。

次に、そのあんこの製法だ。和菓子業界では、小豆を一晩水に浸けて吸わせたあとに洗い、水から炊く製法が一般的。これは鎌倉時代から変わらないという。「味を変えると客が離れる」として、業界では製法を変えることに対して非常に高いハードルがあるからだそう。

それまでは新正堂のあんこも同様の製法だったが、切腹最中で使われているあんこは、水につけずに熱湯へ直接小豆を入れる「直火炊き」という製法を採用している。

「小豆の生産者さんたちは研究や品種改良を重ねて、上質で灰汁も少ない小豆を生み出してくれているのに、なぜ和菓子業界はいつまでも変わらないやり方を続けているのだろうと、疑問に思っていたんです」

そんなとき、仁久さんはとある勉強会でこの「直火炊き」を知り、おいしさに感動してさっそくお店にも導入。反対していた職人たちも驚くほどの、風味豊かなおいしいあんこが出来上がった。

最後が、切腹最中の包装箱。和菓子の包装は白や黒、茶色をベースにした箱が一般的だが、仁久さんは横並びのデザインに疑問を持ち、濃紺と赤の2色をあしらった箱を採用。当初、包材業者からは「そんなのは和菓子屋らしくない」と反対されたが、斬新なデザインで目を引くことに成功した。

■部下への手土産や、結婚式でも?謝罪以外のシチュエーションで大人気!
“謝罪のお菓子”としてヒットした切腹最中だが、今では渡すシーンも広がってきているという。

「会社の部下に配るお菓子として買って行かれる方もいらっしゃいます。『腹を割って話そう』という思いを込め、部下に笑ってもらって、距離を近づけたいからだそうです。また、結婚式を控えた新婚の夫婦が『切腹覚悟で一緒になります』と、参列者に配るお菓子として購入されたこともありますよ!」

そのほかにも、開腹手術をして退院をした患者が主治医へのお礼として、シャレを込めて購入するケースもあるようだ。こういったさまざまなシーンに応えられるよう、帯に書かれている「切腹最中」の文字を「寿」や「感謝」、「商売繫盛」といった別の言葉に変えて帯を巻き替えるサービスも。この案は4代目の仁司さんに代替わりしてから、現在仁司さんの右腕として営業や商品開発を担当している部長・山田さんの発案を取り入れ、新たに始めている。

「これに加えて、新橋という土地柄もあるので、ゆくゆくは帯に企業様のロゴを入れるのも喜んでいただけるのではないかと考えています」と、仁司さんはさらなるシーンでの活躍に意気込んだ。

■4代目のもと、さらなる広がりを見せる切腹最中
現在は、2022年に新たに4代目に就任した仁司さんが中心となって、季節限定の切腹最中も販売を始めた。

「春は塩漬けした八重桜の花びらをあしらった『桜切腹最中』、夏は白あんに瀬戸内産レモンの果汁と皮をピューレにして練り込んだ『檸檬切腹最中』、秋には栗がゴロゴロ入った『栗切腹最中』を販売しています」

さらに、苦味と旨味の2種類の抹茶を配合したあんこを詰めた「抹茶切腹最中」は、その人気の高さにより、2023年に期間限定販売から通年販売へと切り替えたそうだ。

「この抹茶切腹最中には、茶道でも使われる『お手前品質』と呼ばれる上級な抹茶がふんだんに使用されています。ここまでしっかり抹茶が感じられる和菓子はなかなかないと思いますね」

赤穂浪士が吉良邸へ討ち入りをした12月14日の前後や、浅野内匠頭が切腹をした日であることから新正堂が「切腹最中の日」としている3月14日には、毎年行列になるという。1日5000〜6000個の切腹最中が売れ、コロナ禍以前には最高1万1千個以上の売り上げも記録した。

「伝統は守るのではなく、変えていかないとつながらない」と語る3代目の仁久さんのもと、当初は周囲の猛反対に遭いながらも、固定概念にとらわれない発想で人気を獲得した切腹最中。今では4代目の仁司さんのもとで、さらなる進化と広がりを見せ始めた。今後はどのような商品で私たちを楽しませてくれるのか、楽しみだ。

取材・文=小賀野哲己(にげば企画)