若くして脳梗塞と糖尿病、腎不全を発症。片目の視力も失い、医師から余命5年の宣告を受けたラッパー・ダースレイダーが、人生をつづった書籍『イル・コミュニケーション ─余命5年のラッパーが病気を哲学する─』(ライフサイエンス出版)を刊行した。「病気とは、生きるとは何か?」を問う内容で、「自分自身について、人生について、社会について、世界について。僕は病気をしていなかったらこんなに考えることはなかっただろう」と振り返る。同書から、2017年にオフィス北野(現・TAP)に所属し、その後ビートたけしと初対面したエピソードについてつづった内容を、一部抜粋して紹介する。

■たけしへの道

 さて、「たけしさんには会えませんよ」。

 この挑戦状、どう受けて立ったらよいものか? 実は以前、風営法の改正活動をしていた時、Zeebraさんが「ビートたけしのTVタックル」にゲスト出演したことがあった。僕は、出演はしなかったものの、論点整理を手伝うため、同行していた。この時もスタジオにたけしさんはいた。ただ、Zeebraさんが挨拶に行く時に僕はついていけなかった。何者でもない状態で会ってはいけない、と強いブレーキが働いたのだ。

 だが、今はラッパーとしてオフィス北野に所属しているから、会いに行ける。渡部君と相談してYouTube上で「たけしへの道」という企画を立てた。たけし軍団の方々、一人ひとりに会って話を聞きながら、たけしさんと会うことを目指す内容だ。最初にお願いしたのはグレート義太夫さん。義太夫さんは、軍団の音楽担当であり、名曲「浅草キッド」の誕生にも関わっている。ラッパーとしてオフィス北野に加入した僕が話を聞くには最適だと思った。義太夫さんは快諾してくれて、たけし軍団の構造、たけしさんへのアプローチ方法などをアドバイスしてくれた。義太夫さんにはこの後も色々とお世話になった。

 Zeebraさんが司会を務める番組「フリースタイルダンジョン」で「Kids Return」をライブで歌った時は、ライブDJをお願いし、僕主催のライブでは、ベーソンズが伴奏を務める形でいっしょに「浅草キッド」をラップ入りで歌った。そして、僕の腎不全が悪化していくと、人工透析歴15年以上を誇る病気道の先輩として教えを乞うことになった。二人の病気漫談は「イル・コミュニケーション」というこの本と同じタイトルで僕のYouTubeでアーカイブを見ることができる。

 次の「たけしへの道」のゲストは、井手らっきょさんを考えていた。らっきょさんの息子・ROOK(ルーク)は実はラッパーで、一度イベントでも共演したことがあった。らっきょさんが熊本に戻るタイミングでROOKとサプライズラップを聴かせるという企画だ。こうやって一歩一歩「たけしへの道」を歩むつもりだったが、2017年の年の瀬、博士さんから一通のメールが届いた。「たけしさんに年末の挨拶をしに行くけどいっしょに来ないか?」という誘いだった。

 当時、たけしさんはTBSテレビ土曜日22時からの「情報7daysニュースキャスター」という番組に出演していた。生放送なので本番前の楽屋にたけしさんはいる。むしろ、このタイミングでしか確実にたけしさんに会うことはできない。博士さんはそこに挨拶に行くと言う。僕は「もちろん行きます」と返事した。入所して3ヵ月しか経っていない。

 赤坂のTBSにはそれまでにも主にラジオ出演で何度も行っている。その日は昼間に恵比寿のLIQUIDROOM でリリカル スクール(lyrical school)のライブを観に行った。会場で電撃ネットワークのギュウゾウさんに会ったら、「たけしさんは怖いぞ」とだけ伝えられた。

 夕方、中高時代の同窓会に顔を出してから赤坂へ。地下鉄千代田線赤坂駅からTBSまではほぼ直通で行くことができる。ところが、この日、僕はなぜか出口を間違えてしまった。駅の反対側に出てしまい、しかも、なぜか逆方向に歩いてしまっていた。いつまで経っても着かない。見上げると、TBSのビルは聳そびえ立っているのだが、辿り着けない。まるでカフカの『城』のような感覚だ。急いで走って息を切らせながら、なんとかTBS前に行くと、博士さんとNマネージャーがすでに入口で待っていた。「なぜか出口を間違えてしまいました」と伝えると、「たけしさんと会う時はそういうことが起こるよ」と言われた。

 TBSテレビのフロアに着くと、廊下には背広姿のお偉いさんと思しき人々がたくさん溜まっていた。その人たちをかき分けながら、博士さんについていくと、楽屋の入口があった。大きな入口の奥で二手に分かれている構造だ。右手には、「ビートたけし様」というプレートが貼ってある。博士さんがその前でピタッと止まり、腰を落とした。

 「まだです。待ってください」

 まるで忍者のように博士さんが空気を読む表情をした。重心をグッと落として待機する。僕もそれに合わせて腰を落として膝を曲げていた。

 「今です!」

 博士さんはそう言うと、パッと部屋の中に飛び込んでいった。僕も慌てて後を追う。すると、部屋の中から博士さんの声が聞こえる。

 「殿、ラッパーを連れてきました」

 殿。殿と言った。ここはまさに殿がいる、たけし城の天守閣なのだ。僕も部屋に入り、くるっと身体を回すと目の前にその男が立っていた。着替え途中でワイシャツのボタンを止めているところ。そう、目の前にビートたけしがいたのだ。この時、冗談ではなく、空間が歪んだ。グニュッと空間が捻じ曲がる感覚。これは脳梗塞で倒れた時の世界が回る感覚と似ているようでまた違う。異世界に迷い込んだような、サイケデリックなトリップに似た現象だった。

 「おう、よく来たな。あんちゃん、まぁ座んなよ」

 たけしさんがそう言った。座れと言うので座ろう。楽屋は広く、椅子はたくさんあった。たけしさんの目の前の椅子に僕は腰を下ろした。ところが、ふと気づけば他に誰も座っていない。お偉いさんやらスタッフやら、部屋にはアル北郷さんや〆さばアタルさん、ゾマホンさんもいたが全員立っている。博士さんに至っては、後ろ手を組んで立っている。椅子はたくさんあるのに誰も座ってない。これは……、座ってはいけないパターンだったのか? そう思った瞬間にお尻が椅子に吸い込まれるような感覚に陥り、身体が椅子から抜けなくなってしまった。たけしさんも座り、広い部屋で二人だけが座っている状況になった。

 「おい、水道橋。俺らも確かラップのネタあったよな?」

 たけしさんはそう言うと、突如自民党、公明党、共産党と政党名を並べ出した。ビートたけしのラップが始まっている。これはラッパーとしては応えないわけにはいけない。

 「たけしさん、それなら……。かつては良しだ(吉田)とされた岸から飛び込む、倒れる幹(三木)、殺到(佐藤)する状況にあっそう(麻生)じゃ済まない、脈打つ心臓(晋三)止めないよ」と自民党の総裁を並べたラップを披露した。「決まった!」と思ったが、部屋は完全に静まり返っていた。シーンとして誰一人何も反応しない。「誰も息すらしていないんじゃないか?」という静寂だ。「どれだけ静寂が続くのか?」と唾を飲み込んでいたら、博士さんが口を開いた。

 「ダースレイダーは『キッズ・リターン』のテーマの上でラップしています。これがいい曲なんですよ」

 すると、たけしさんが一瞬考え込む顔をしてから、ひゅっと顔を上げる。

 「ヤクザがさ、銃撃戦してんだよ。その下をさ、こうラップが流れていくんだ。どうだ、カッコよくないか?」 

 僕はすぐには反応できなかった。

 「北郷、お前、脚本送ってあげてよ」

 脚本? もしかして、これは? すると、博士さんがまた話す。

 「たけしさん、ダースレイダーは病気で体調も悪くて後、余命1年なんです!」

 ええ? そこで話を盛りますか? そう、僕は余命5年(ただし何も手を打たなければ)と言われていたが、この時点ではまだ4年以上残っていた。1年は盛り過ぎですよ、博士さん!

 すると、たけしさんはじっとこっちを見つめて口を開いた。

 「俺と付き合ったら死なねぇよ」

 痺れた。文字通り、身体全体を電流が駆け巡ったような感覚だった。すると、テレビスタッフが部屋に入って来て打ち合わせの時間だ、と告げた。たけしさんは立ち上がると、スタッフといっしょに出て行った。そして、歪んでいた時空がまるで何事もなかったかのように元に戻った。

 「博士さん、あの時座っちゃダメだったんですかね?」

 「あれは仕方ない。それより、ダースさん。あなた、さっき言い返してましたよね? あれ、ダメです」

 言い返す? ああ、ラップのアンサーのことか。それで部屋が完全に静寂に陥ったのか、と合点がいった。あれはやってはいけないことだったのか。

 「あと、あの銃撃戦の話。あれはもしかして……」

 「ダースさん、たけしさんは突然思いつく人です。いつ何時指令が降ってもよいように準備していてください。たけし映画の音楽を全部聴いておくことをお勧めします。そうすれば、いつ頼まれても対応できます」

 たけしさんが打ち合わせから戻ってきた。スーツのジャケットを羽織るともう本番直前だ。今度はその場のみんなでたけしさんをスタジオに送り出す。楽屋の入口にずらりと並ぶ人たちの間をたけしさんが歩いていく。僕の前に来た時にたけしさんは足を止めた。

 「こうやってよ、こめかみに銃を突きつける時に斜め上からラップが流れてくるんだよ」

 自分のこめかみに拳銃を当てる仕草をする。

 「あんちゃん、いいの頼んだよ!」

 僕は一体何を頼まれてしまったのか。数日後、事務所から封筒が郵送されてきた。その中には北野武映画の脚本が1冊入っていた。この作品は今のところまだ制作されていない。僕はこの作品のためにラップをつくるまでは生きていなければならないだろう。それがたけしさんの言葉の意味かもしれない。この時はそう思ったが、この翌年、僕は本当に死とスレスレのところまでまた肉薄することになってしまうのだ。

■プロフィール
ダースレイダー/1977年、フランス・パリ生まれ。ロンドン育ち、東京大学中退。ミュージシャン、ラッパー。吉田正樹事務所所属。2010年に脳梗塞で倒れ、合併症で左目を失明。以後は眼帯がトレードマークに。バンド、ベーソンズのボーカル。オリジナル眼帯ブランドO.G.Kを手がけ、自身のYouTubeチャンネルから宮台真司、神保哲生、プチ鹿島、町山智浩らを迎えたトーク番組を配信している。著書『武器としてのヒップホップ』(幻冬舎)『MCバトル史から読み解く日本語ラップ入門』(KADOKAWA)など。2023年、映画「劇場版センキョナンデス」「シン・ちむどんどん」(プチ鹿島と共同監督)公開。