PRESIDENT BOOKS 掲載

仕事の評価が低くても昇級を繰り返し、大企業では年収1000万円の50歳平社員が当たり前に存在する。そんな日本の査定のしくみは働く人にとって幸せなのか。『少子化 女“性”たちの言葉なき主張』を上梓した雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんと神戸大学経済経営研究所准教授の江夏幾多郎さんの対談をお届けしよう――。

■社員の従順を引き出す監獄のような人事のしくみ

【海老原】江夏さんが前々回おっしゃっていた、「日本には市場も社会もない」という話をもう一度しませんか。欧州のような産業組合×経済団体×職業訓練といった雇用の「社会体制」がしっかりしているわけではない。アメリカには人材が出たり入ったりする市場があるため、それにより企業経営が浄化されるが、日本にはそれもない。そうして、社会と市場の介入を遮断した日本企業は、仲間意識と温情と曖昧な経営になっていった。粗雑に略すとそんなところでしょうか。

【江夏】昔、ミシェル・フーコーという哲学者が、『監獄の誕生』という著書で、バノプティコンという円形の刑務所施設について、近代社会を象徴するものとして言及しました。円形の施設の縁には、囚人が閉じ込められた多くの独房があります。そして、中央の塔には監視役のための部屋があるんです。囚人からは監視役の姿は見えないけれど、監視役からは囚人全員の一挙手一等足がすべて見えるようになっている。囚人は不穏なことをすると罰せられるので、従順にならざるを得ないんです。

大事なことは、こうした従順さが、実際に監視役が部屋にいるかどうかに関わりなく、引き出されやすいということです。たとえ監視役がいなくても、その実態は囚人には分かりません。しかし、いないことを想定した言動を取ると罰せられる可能性が高まるので、従順になるのです。

このバノプティコンは、企業の雇用システムと似ています。まずは、企業は情報の非対称性を利用して従業員の貢献を引き出すということ。しかしそれは企業一般においてそうです。とりわけ日本で顕著なのは、監視役が監視部屋にいない、あるいはいたとしても望遠鏡が紛失したか壊れている可能性がそれなりにある、ということです。

■阿吽の呼吸の陥穽

【海老原】それが、前回話題になった「人格査定」のからくりですね。曖昧な基準と曖昧な目標で査定を行えば、何を言われるかわからないから、絶対忠実になっていくと。いやぁ、市場とも社会とも隔絶された「監獄」とは少し厳しい気もしますが(笑)

【江夏】大袈裟な比喩ではありますが、変える方がいいことは大袈裟に指摘したほうがいいのかもしれません(笑)。熊沢誠先生が『働きすぎに斃れて 過労死・過労自殺の語る労働史』(岩波書店)など著書でたびたび指摘されているのですが、日本の査定の仕組みが、職場の業務プロセスの柔軟性に加え、個人の疲弊も引き起こしているわけです。従業員の頑張りは、その内実をよく知らない人にとってもわかりやすい、労働時間や命令の形式的な受容という形では表れています。しかし、「監視部屋の望遠鏡」がないか壊れているため、それが本当に経営に資するものになっているかどうかまでは、経営者や管理者はわからない、と。

【海老原】日本型とは、うまく行けば「阿吽の呼吸」もしくは「暗黙知」の経営ともいえますが、それは、粗野で無秩序という陥穽に嵌る可能性もあると。

【江夏】企業から従業員に、時間や労力を無尽蔵に近い形で拠出するのを求めるのはいけません。どういう職務設計、権限と責任の配分なら、従業員各人の程よい貢献が組織的にうまく噛み合い、価値につながるかを考えたい。こここそが、仕事やキャリアの男女平等に向けた一丁目一番地でしょう。