プロボクシングの東京ドーム決戦から一夜明けた7日、スーパーバンタム級の4団体統一王者、井上尚弥(31、大橋)から1回にダウンを奪うものの計3度のダウンを奪い返されて6回に沈んだ元2階級制覇王者のルイス・ネリ(29、メキシコ)が試合を振り返り、「井上はそれほど強くなかった。世界最高ではない」などと負け惜しみを口にした。来日取材した米専門サイト「ボクシング・シーン」のトリス・ディクソン記者が伝えたもの。ネリはフェザー級への転向の意向と、そこでの統一王者を狙う次なる野望を語っており、もしかすれば「井上vsネリ2」がフェザー級で実現する可能性もあるのかもしれない。

一夜明け会見の井上尚弥(写真・山口裕朗)

 フェザー級で再戦の可能性も

 「歴史に残る凄い試合だった」
横浜市内の大橋ジムで行われた一夜明け会見で大橋秀行会長は、34年ぶりに東京ドームで開催されたボクシングのビッグイベントをこう振り返った。
王者の井上が1ラウンドに左フックを浴び、プロアマを通じて初のダウンを喫する事件が起きたが、それも東京ドーム決戦を盛り上げるためのエッセンスに過ぎず、2ラウンドから冷静にジャブから組み立て直した井上は、2回、5回と準備してきた左フックでダウンを奪い返し、6ラウンドに右ストレートでネリをキャンバスに沈めた。
ネリは病院に直行。予定されていた記者会見はキャンセルされた。だが、一夜明けた、この日、宿泊先のホテルでディクソン記者の取材を受けダメージがないことを明かした。
「気分はいいよ。もっとやれるとわかっていたので、少し悔しい。でも自分の力を発揮して1ラウンドで彼を倒すことができてうれしい」
無敗の絶対王者を左フックでダウンさせ会場をどよめかせたが、フィニッシュまで持ち込むことができず「ああ、もう終わりだと思っていたけど、自分のパワーを感じることができなかった。何が起こったのか、ビデオを見直さなければならない」と悔しそうに振り返った。
普段からダウンした場合を想定するイメトレをしてきた井上は、すぐに立ち上がらず膝をつきカウント8まで回復を待った。
「8カウントまで膝をついて休む。そこの数秒が大事。日頃から考えるようにしていることが咄嗟にできた。ダウンしてすぐ立つと足のふらつきとかが出る」
井上はクリンチや、鉄壁のガード、スウェーなど、あらゆるディフェンス技術を駆使して、まだ残り1分あった危険な時間を切り抜けた。
しかもラウンド間にビジョンに映るスロー映像を見て犯したミスを確認したという。
ネリは、2ラウンドからスタイルを変えてきた井上に対して自分から仕掛けることができなくなった。同サイトによるとネリは「井上がしたことは、私を翻弄し、私の頭の中に入り込み、ファイトスタイルを変えて動き回ったことだ」と認め、こう豪語した。
「彼はとてもいい選手だと思う。信じられないほどのスピードを持っているが、それほど強い選手ではなかった。今でも彼が世界最高の選手ではないと思っている。彼はパウンド・フォー・パウンドでベストの選手ではない」
リング上では勝者の井上を祝福し殊勝な態度で井上の勝利者インタビューを聞き、感謝の言葉を伝えられると王者とガッチリ握手をした。試合前に名前をコールされた際に4万3000人の大ブーイングが起きたが、試合後にそれは健闘を称える拍手に変わっていた。
ディクソン記者のレポートによると宿泊していたホテルのロビーには、何人かのファンが集まっており、ネリはトレーニングで使った服やグローブ、ジャケットなどをプレゼントしたという。そういう善人の一面も見せたが、完敗を素直に認めないところが、いかにもネリらしい。

 ただ井上の今後について「彼はおそらく126(パウンド、フェザー級)、130(パウンド、スーパーフェザー級)まで上げることができる。すべては対戦相手次第だろう」と、6階級制覇までできる可能性に言及した。他の選手の試合をあまり見ないネリは、井上がフェザー級で対戦すれば面白いボクサーの名前を具体的にはあげなかったが、「彼は間違いなく、あの階級でも何かを成し遂げられる」と太鼓判を押した。それほど強くないと言ったり、フェザー級でも王者になれると言ったり…なんともややこしいボクサーである。。
ネリは自らのXに「サヨナラ122(パウンド、スーパーバンタム級)」と投稿。
フェザー級への転級を示唆したが、ディクソン記者の取材に対しても「(この試合でダウンを奪ったことで私の評価が上がったのなら)それに乗じて次の試合でもっといいところを見せなければならない。122(パウンド、スーパーバンタム級)でも、126(パウンド、フェザー級)でも(ベルトを)統一したい。私はもっとできるはずなんだ」と、フェザー級転級を視野に入れ、3階級制覇どころか、ベルトの統一を目標に掲げた。同記者は「フェザー級に上げる可能性は高く、彼は体重が増えるにつれ強くなると信じている。彼は35勝(27KO)2敗の成績だ」と解説した。
ネリはこの日、共に来日した恋人と3人の娘を連れて東京ディズニーランドに出没した。練習嫌いだったネリは、井上戦に向けて生活態度も改めたという。
ネリは「そんなこと(昔の怠惰な自分)は全部捨てたよ。今は自分のキャリアに集中する時。3人の娘がいて結婚も決まっているので状況は変わった」
来日した際に恋人と娘の存在を公表することを避けていたネリだが、正式に籍を入れることを決意したようだ。
だが、同記者の「これからは“悪童の”イメージを捨てるのか?」という質問に「いや、オレは相変わらず悪童だ。昨日の試合でオレはそれを示した。僕は(スティーブン・)フルトンや、他の選手のように逃げ回るためにここに来たわけではない。戦いに勝つためにここに来たんだ」と豪語したという。確かに完敗した井上を「世界一ではない」とディスるのは“悪童”だ。

 一方の井上も、この日の一夜明け会見でネリについて、こういう感想を口にした。
「すべてが想定内。もっとパワーがあるのかなと思ったが。1ラウンド目の目ダウンは死角から入ってきて見えなかったパンチ。誤算があるとすれば、その角度調整のミス。やりやすさ、やりにくさも踏まえても、一番手ごわいとは言えないのかなと。戦う前から隙がすごく多いなという印象があり、その通りのイメージだった」
そしてメディアを通じて「ダウンシーンを切り取ったのがXを開くたびに流れてくるのでやめて欲しい。ダウンの仕方もちょっとださいし」と異例のお願いをして会見を爆笑に包んだ。ダウンはあったが内容的には完勝だった。井上の言葉に誇張などない。
ただ減量の厳しいネリが、今後フェザー級に戦いの場を移すとなると再戦の可能性はなきにしもあらずだ。9月に関東圏内で予定されている井上の次戦の相手は、IBF&WBOのスーパーバンタム級1位のサム・グッドマン(豪州)との指名試合。「年間3試合はやりたい」との井上の希望を受け入れる形で、12月にも試合が予定されているが、ここもWBAの1位で元WBA&IBF王者のムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)との指名試合になる予定。井上は、しばらくスーパーバンタム級に留まりたい意向を示しているが、4団体王者の宿命として指名試合ばかりに追いやられることになる。強い相手ならいいが、魅力の感じない1位ならばモチベーションを保つことが難しくなる。大橋会長は「その場合は、どれかを返上してもいい」という考えだが、戦う相手がいなくなるとフェザー級転級が現実味を帯びてくる。大橋会長は「今すぐにでもフェザー級で通用する。パンチ力はもちろんのこと上にいけばいくほど井上のスピードがアドバンテージになる」との考え。過去に、井上が再戦をしたのは、元5階級制覇王者のノニト・ドネア(フィリピン)だけ。それもドネアが、WBC世界バンタム級王座に返り咲き、再挑戦の資格を得たため、4つのベルトをまとめたかった井上が応じたものだ。
ネリとの再戦の実現は、井上がフェザー級に転級するタイミングで、どこかの団体の王者であることが必須条件になるだろう。もし井上がフェザー級に挑戦する場合、世界初の3階級4団体統一が目標となるのだから、ネリが王者でいる限り再戦はありえる。ネリがディフェンス技術を劇的に進化させない限り、とても勝負にならないだろうが、奇しくも試合後に起きた“舌戦”は、その日に備えての前哨戦なのかもしれない。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)