零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の設計者・堀越二郎(1903〜82年)の生誕120周年を記念した回顧展が、埼玉県所沢市並木の所沢航空発祥記念館で開催中だ。名高い戦闘機を生み出し、戦後初の国産旅客機設計に携わるなど、日本の航空産業の発展に生涯をささげた。初公開となる直筆のゼロ戦開発記録を含む資料約30点を紹介し、挑戦の道のりを振り返っている。6月23日まで。

 宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」の主人公のモデルとしても知られる堀越は、米国のライト兄弟が世界で初めて飛行機を飛ばした1903年、群馬県で生まれる。東京帝国大学航空学科を卒業し、航空機メーカー「三菱内燃機製作所(現・三菱重工)」に入社した。

 当時、欧州や米国に航空技術で大きく後れを取っていた日本。32年、旧海軍は日本人が設計した独自の飛行機を造ろうと、メーカー各社に戦闘機の試作を命じた。設計主任の堀越は失敗を繰り返しながらも、ゼロ戦などの傑作機を生み出す。戦後は国産旅客機YS-11の設計に携わり、大学教授となって後進も育成した。

 会場では、常設展示されている飛行機などを囲むように回顧展のパネルや資料が展示されている。見どころは、40年に制式採用されたゼロ戦誕生をテーマにした第4章。太平洋戦争開戦間近となる37年、海軍から世界最高レベルの新戦闘機の発注を受けた堀越。展示パネルからは、軽量化を狙った新素材の採用や数々の改良など“極限の設計”に挑む姿が浮かび上がる。

 終章では、堀越が薄紙に書いた終戦日誌を展示。「飛行機を造ることが終ったという以外現実には何も分(か)らない。分(か)らないが考えなければならぬ」などとしたためられ、複雑な心境がにじむ。愛用のパナマ帽やゼロ戦の取扱説明書案なども展示されている。

 同館広報の長尾博樹さん(31)は「堀越さんを通じて開発の苦難の歴史を知ってほしい。日本の航空についても興味をもってもらえたら」と話す。

 回顧展とともに、同館の常設展示にも立ち寄りたい。“空港がない”埼玉だが、実は1911年に所沢に国内初の飛行場が開設されていた。45年に米軍に接収されるまでは「航空の中心地」だったというのだから驚く。「所沢メモリアルギャラリー」では、日本初の航空殉職者の衣服や大正時代に活躍した飛行船の写真など、知られざる「埼玉の航空」の歴史を伝えている。

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 生誕120周年&航空120周年記念 堀越二郎回顧展 6月23日まで、所沢航空発祥記念館。所沢市並木1の13(電話04・2996・2225)。午前9時半〜午後5時。休館日は月曜日(祝日の場合は翌平日)。展示館の入館料は大人520円、小中学生100円。展示館・大型映像館セット券大人840円、小中学生320円。