1月3日午前10時前、自宅をたって9時間あまり。岐阜県郡上市にある東海北陸自動車道の瓢ヶ岳PAで休憩するココ。疲れていないように見える。さつまいものおやつをあげるとペロリと飲み込む

 ジャーナリストで災害救助犬のハンドラーとしても活動する河畠大四さんが、愛犬であり信頼を寄せる災害救助犬の「ココ」(ボーダーコリー/メス11歳)との生活に込められた、喜びや挑戦を伝えていきます。

 1月1日、能登半島地震が発生しました。河畠さんとココは救助のため、3日の午前1時半過ぎに千葉の自宅を出発しました。

(末尾に写真特集があります)

現場に向かう途中、諏訪湖SAで休息

 1月3日、中央自動車道は正月三が日の早朝ということもあって道は空いていた。が、アクセルは踏み込まず、安全運転を心がける。現地到着は早い方がいいけれど、急いでいるときこそ慎重に対応したい。結局、集合場所の諏訪湖SAに到着したのは6時半で、NPO法人日本救助犬協会(以下、協会)の能登出動チームの先発隊、「TEAM7」の4人と「チームさくら」の2人の計6人全員と救助犬5頭がそろった。

 諏訪湖を眼下に一望できるこのSAは日の出が近づき、すでに明るくなっていた。

 ココは5時間のドライブでもほとんど疲れていないように見える。長旅は慣れているのかもしれない。というのも半年に一度、700キロほど離れた青森県弘前市にある妻の実家に連れて行っているからだ。そのときはいつも10時間ほどのドライブだ。そんな長時間でも、ケージの中に入るとうんともすんとも言わない。もちろんおしっこ休憩はこまめに取るし、ドッグランを併設しているSAではボール投げをして遊ばせてもいる。

 早速、ココを芝生の上に出すと、初めての場所なのでいつものように芝や植木のにおいをゆっくりとかぐ。他の犬のおしっこなどの痕跡を探しているのだろう。「おしっこの上書き」は犬の本能だ。一度おしっこをするとホッとしたようにリードを強く引っ張って前へ、前へ進む。5分ほどと短かったが、散歩させた後、シニア用のドッグフードをあげる。

 食事にしろ、おやつにしろ、食べ物を与えるとき、私は必ず何かを指示するようにしている。「座れ」「伏せ」「立って」「待て」などを織り交ぜる。それがうまくできたら「よし」と言って与える。毎食時、繰り返し行うことで、食べ物がなくても指示がしっかりと身につくようになる。もちろん、1回や2回などで身につくわけではない。飼い主には根気が必要だが、毎食ごとに続ければ、必ずできるようになる。最大の敵は「飼い主が諦める」ことだ。

 ココはドッグフードを食べ終わると、満足そうに舌で口の周りを何度もなめ回した。

災害救助犬の認定試験で出題される科目の1つ「前進」(難易度B)をするココ。15m先まで単独で進んで台座に登り、指示により帰って来る

災害救助犬の使命

 出動メンバーの中には消防関係者と太いパイプのある仲間がいて、休憩するたびに携帯電話で連絡を取っていた。その人が、「珠洲では救助犬は待機の状態らしいが、輪島消防署の門前分署では救助犬の出動要請があるようだ」と情報をつかみ、急きょ、行き先を能登半島の先端に位置する珠洲市から北西部の輪島市へ変更した。門前分署では1月1日に愛知県を発った緊急消防援助隊が懸命に人命救助活動をしている。その援助隊からの要請があるらしい。

 災害救助犬を活用した私たちの捜索は基本的に消防や警察、自衛隊など現地の救助活動を行っている機関と連携して行う。1階が倒壊した家屋の中を人が隅々まで捜索できない場合や家が傾いて人が入るのには危険な場合など、人より軽くて動きが機敏な災害救助犬が必要とされる。

 協会の災害救助犬たちは、生きている人を探す「生体探知犬」だ。地震で家屋が倒壊し、がれきに閉じ込められるなどした人が出す体臭(ストレス臭)を嗅ぎつけて、行方不明者(要救助者)を探す。

 ストレス臭は空気中を浮遊するため、引き綱(リード)をはずし、捜索エリアの風下から救助犬を出す。犬はエリア内を右に左に、上に下にと移動しながら、鼻を高く上げたりして要救助者が発するストレス臭を探す。救助犬はそのストレス臭を捉えるとそれをたどってできるだけ発生源の近くまで行ってほえる。

 

埼玉県富士見市の訓練場で、倒壊家屋のドアのところの隙間に鼻をつけて中に閉じ込められた人のストレス臭を嗅ぎ分けているココ。この後、吠えて人が中にいるのを知らせてくれた

現場は危険と隣り合わせ

 高速道路を走っている途中、少し揺れを感じたように思ったが、出動チームをサポートしてくれる後方支援チームから「3日の10時54分に石川県輪島市で震度5強の地震が発生した」との情報が入る。震度5強とは気象庁によると「物につかまらないと歩くことが難しい」「固定していない家具が倒れることがある」ほどの揺れだ。余震には気をつけないといけないが、車に乗っていたら、まずは安全なところに一時停止することなのだろう。

 元日に起こった地震で地盤がゆるみ、家屋はもろくなっているところがあるかもしれず、余震でさらなる災害が起きる可能性は否定できない。「安全第一」ということを肝に銘じながらも、現場は危険と隣り合わせなのだと、あらためて自分に言い聞かせる。

 

1月3日午前10時、富山県南砺市にある城端SAから空を望む。能登半島は午後、雨予報だ。暗雲立ち込める北陸の空

 2人ずつ分乗した3台の車は長野から岐阜、富山を抜け、13時過ぎに北陸自動車道の金沢森本インターで高速道路を降りた。渋滞もなく順調に走る。

 災害発生直後の高速道路は北陸自動車道などが一部不通になっていた。そのため、当初能登半島に行くには松本で高速道路を降りて、一般道を山越えして金沢に入るのがもっとも早いルートだったらしい。しかし、その通行止めも2日の21時までには全てが解除され、冬季の一般道の山越えだけは避けることができた。刻一刻と変わる交通状況にも注意が必要だが、GPSやインターネットなどの普及でその変化をリアルタイムで得られるのはとても心強い。

 しかし、被災地に近づくにつれ、そのリアルタム情報にも限界があるということをこの後、身をもって知ることになる。

(次回は4月17日に公開予定です)

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災害救助犬のココと能登半島へ向かう 3日分の持ち物をそろえて万全を期す