シーズン後や年末に各メディアが表彰する「最優秀監督」に何度も選ばれたことのある名将ジョゼ・モウリーニョは、サッカー研究においてオタクと言っていいほどのマニアだ。
 
 そんな彼に、当代きっての世界最高フットボーラーは誰かと尋ねると、必ず「ロナウド」と答える。ロナウドといっても、彼がレアル・マドリー監督時代に師弟関係を築いたポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドではない。
 
 名将が選手の“スペシャル・ワン”に選ぶのは、ロナウド・ルイス・ナザーリオ・デ・リマ。そう、ブラジルのフェノーメノことロナウドだ。つい最近も、モウリーニョはポルトガルのメディアにそう語っている。
 
 モウリーニョは、怪我がなければロナウドは異次元の高みに達していただろうと分析する。
 
「あれほどの怪我を繰り返しながらも、ロナウドは私が見てきた誰よりも素晴らしいフットボーラーだった。もし怪我がなかったら、どんなモンスターになっていたか。世界のサッカーの歴史を塗り替える存在になっていただろう。彼のサッカー人生がもっと続いていたならと、残念でならない」
 
 モウリーニョは、ボビー・ロブソンの通訳としてバルセロナで働いていた時、日の出の勢いだった若き日のロナウドを間近で見ている。
 
「あるシーズン(96-97)にロナウドは、49試合で47得点をマークした。まったくクレイジーな記録だ。彼はボールを持たないシーンでも傑出していた。本当に魔法使いのようだった。私はサッカー研究家だ。超常的なプレーをする選手がいればすぐに気が付く。その点、ロナウドは試合でも練習でも、とにかく抜きん出ていた。ボビー(ロブソン)と私は、目の前に最高レベルのサッカー選手がいることに気が付いた。賢く、狡猾で、スピーディーでテクニカル。なにより、これまで見たことのない爆発的な脚力を備えていた」

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 C・ロナウドやリオネル・メッシも、ロナウドには及ばないとモウリーニョは力説する。
 
「彼ら2人のキャリアは、ロナウドよりずっと長く、約15年間に渡って世界のトップに君臨していた。もちろん、彼らも歴史に残る素晴らしい選手だ。しかし、ロナウドがもし彼らと同じサッカー寿命を有していたら、その信じられないパワーと技でメッシやクリスティアーノの上を行っていただろう。ロナウドはまさにフェノーメノ(超常現象/怪物)だ。各世代に一人だけ生まれる唯一無二の存在だ」
 
 続けて、バルセロナ時代のエピソードを語る。
 
「練習試合が終わると、ディフェンダーたちは決まってボビー(ロブソン)のところにきて、こう尋ねていたよ。『監督、どうやってあいつを止めたらいいんですか?』ってね。彼ほどチームメイトに影響を与えた選手もいなかった。ロナウドは周囲の選手のプレーのレベルも確実に上げていた」
 
 モウリーニョの子どもたちもロナウドのファンで、小さい頃はロナウドのポスターが部屋に貼られていたという(ちなみに現在、娘のマチルダはジュエリーデザイナー、息子のジョゼ・マリオ・ジュニアはサッカーコーチを目指している)。
 
「ロナウドはいつも最高のタイミングに、最高の場所にいた。ゴールや相手をかわすスキルだけでなく、全てにおいて輝いていた。とくに日韓ワールドカップで見せた動きやゴールは、もっと研究されるべきだ。私自身もこのロナウドの動きを何度も研究したが、なんでこんなフェノーメノ(超常現象)を起こせるのかって自問するばかり。そして結局、最後に辿り着くのは、“彼が特別なのだ”という答だった」
 
取材・文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子
 
【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/1963年8月29日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。ジャーナリストとし中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材した後、社会学としてサッカーを研究。スポーツジャーナリストに転身する。8か国語を操る語学力を駆使し、世界中を飛び回って現場を取材。多数のメディアで活躍する。FIFAの広報担当なども務め、ジーコやカフー、ドゥンガなどとの親交も厚い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授として大学で教鞭も執っている。