2024年、川崎からMLSのロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍を決めたのが、日本代表としてカタール・ワールドカップにも出場した右SBの山根視来である。30歳での初の海外挑戦。その姿を追ったインタビューを3回に分けてお届けしよう。

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 大谷翔平の一挙手一投足に沸き、アリーナでは八村塁が眩いスポットライトを浴びる。

 今、日本人の歓声が大きく増しているアメリカ・ロサンゼルス。夢の詰まったこの街で、またひとり、新たな男が壮大なチャレンジをスタートさせている。

 山根視来、30歳。2020年に湘南から川崎に移籍して以降、数々のタイトルを手にし、2022年のカタール・ワールドカップ出場も果たした右SBである。

「お久しぶりです。こっちの生活ですか? 夜は暇でしょうがないんですよ(笑)。実際はそんなことないんでしょうが、夜出かけるのはやっぱり怖いじゃないですか。なんだかひとりで歩いているとゾクゾクするというか(苦笑)。だからひとりで英語の勉強をしていることが多いですかね」

 MLSの開幕直前、山根は相変わらず裏表のない言葉でこちらを笑わせてくれる。ちなみに英語は自称「中学1年生レベル」。だからこそレッスンには精力的なんだとか。

「確認のテストのようなものもあって、今日も怒られないために、ちゃんと宿題をやって頑張って勉強しておいて良かったです。褒めてもらえました(笑)」

 その笑顔はまるで新たな発見を手にした少年のようだ。

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 取材に応じてくれた時点では、まだ家族は渡米しておらず、自身も家を探しながらホテル住まいをしている最中。それでも初の海外での生活は刺激の連続だという。

「昨日は引っ越しに向けてマットレスを買いに行ったんですが、どのマットレスが良いか伝えるにもすごく時間がかかってしまって。

 2時間くらいして、やっと支払いにいけるぞとなったら、まだこっちの銀行のカードを持っていなくて、日本のカードでは支払いができないと(苦笑)。結局買えず、クラブのスタッフの人に『あとで払うから代わりに買ってほしい』とお願いしました。さすがに疲れましたが、真新しいことばかり。それにこっちの人はみんな優しくて、店の人もめちゃくちゃ時間がかかったのに『気にするな』と。周りの人に助けてもらっていますね」

 さらに大きな存在もいる。日本代表に続き、チームメイトとなった吉田麻也である。

「こっちにきて約1か月ですが、すでに4、5回は麻也くんの家族と食事をさせてもらっていて、今日も自宅に誘ってもらい、ご馳走になってきたばかりなんですよ。本当にありがたいですね。

 あの人以上に頼りになる日本人っていないんじゃないですかね。でも、だからこそミーティングなどでも、麻也くんになんでも聞かないように、できるだけ自分で意思疎通をできるように努力しています。ただ試合中にどうしても周りに伝えたいことがあると、麻也くんに助けてもらうようにしています。本当にいつもサポートしてくれるので、感謝してもし切れない存在ですね」

 持ち前の積極性と、周囲のサポート受けながら、山根の新天地での挑戦は一歩ずつ進んでいるのである。
 
 山根の川崎からロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍が発表されたのは2024年になったばかりの1月6日。

 日本ではあまり馴染みのないMLSへの挑戦。その背景には大きな葛藤があった。

 ここで少し時計の針を戻そう。

 2020年に湘南から川崎に加入した山根は、すぐさま4−3−3の右SBに定着し、前年はリーグ3連覇を逃したチームの快進撃の一端を担い、黄金期を仲間とともに築いた。当時の川崎にはそれこそ、三笘薫、旗手怜央、守田英正、田中碧、谷口彰悟ら今や日本代表の常連となったメンバーが顔を並べ、さらには中村憲剛、家長昭博、小林悠といった偉大な先輩たちの背中があった。

 誰もが厳しい意見を出し合いながら高め合うグラウンドで山根も日々力を付け、2021年3月には27歳でA代表デビューを飾ることになる。

 国際親善試合として組まれた横浜での日韓戦。山根が“持っている”のはこうした舞台で結果を残すからである。17分、右SBとしてスルスルと駆け上がった山根はエリア内でパスを受けると豪快なシュートでネット揺らす。その名を広く知らしめるには十分な一発だった。

 もっともこのゲームが、川崎と日本代表という二足の草鞋を履く濃密で、何度も厳しい現実を突きつけられる日々の始まりでもあった。

「ここ数年、自分の実力とA代表でやらなくちゃいけないレベルと、すごくギャップは感じていました。自分のなかでバランスを崩すことがすごく多かったですね。代表の試合に行くと、本当に速くて、強くて、身体を当てても弾かれるとか、足が長いとか、そういう相手が基本で、それをJリーグに持ち帰って意識してプレーするようにしていました。

 フロンターレと日本代表のふたつのチームで、守備のやり方や個人に求められるものの違いについては、自分の頭を混乱させることが多かったと思います。

 それこそ無理に取りに行ってしまったり、自分のなかで駆け引きをして、本来ならやられないためにポジションを取らなくてはいけないところを、自分ひとりで奪うためのポジションを取ったり。いろんなことにチャレンジしてみましたが、それが上手くいく試合と、いかない試合の対比がすごくありました。代表に行くたびに、ひとりで奪い切る能力の高い選手の姿を見て、Jリーグに帰って、自分だけガーっとボールにいって穴をあけることも多々ありましたから」
 それでも、そんな山根の姿勢を川崎の鬼木達監督は認めてくれた。

「オニさんに、その奪いにいくプレーを否定されたことは一度もないです。それこそ『ドンドン行って良いし、それがミキの魅力だから』といつも声をかけてもらっていました。そこは本当にありがたかったですね」

 誤解を招かないように山根も「Jリーグだからダメだとは自分も思っていません」と強調する。「(Jリーグでも)できる選手はできるし、日常にしていくことが大切」と続けるように、現にチームメイトだったCB谷口彰悟は、川崎所属として出場したカタール・ワールドカップで、世界の一線級の選手たちと堂々に渡り合ってみせた。

 それでも山根の胸のなかには消化し切れないある想いが広がっていったのである。

【パート2へ続く】パート2

■プロフィール
やまね・みき/1993年12月22日生まれ、神奈川県出身。178㌢・72㌔。あざみ野F.C.―東京Vジュニア―東京VJrユースーウィザス高―桐蔭横浜大―湘南―川崎―ロサンゼルス・ギャラクシー。J1通算196試合・14得点。J2通算37試合・0得点。日本代表通算16試合・2得点。粘り強い守備と“なぜそこに?”という絶妙なポジショニングで相手を惑わし、得点も奪う右SB。

取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)

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