『BABY Q 名古屋場所』2024.3.29(FRI)名古屋市公会堂

2024年3月29日(金)、ライブイベント『BABY Q』の名古屋場所が名古屋市公会堂で開催された。「Q」は、2019年に神戸ワールド記念ホールや両国国技館で、「CUE=素晴らしい音楽に触れる「キッカケに」、「休=最高の休日に」という想いを込めて立ち上げられたインドアフェス。そして、2021年に東京・大阪・広島で弾き語りメインのライブイベントとして「BABY Q」が始まり、2022年は1月に北海道、8月に横浜、9月に大阪、12月に福岡、そして昨年7月には東京でも実施された。

今回の会場は、約94年の歴史がある名古屋市公会堂。周辺では、屋台も出店されるなどお花見が盛況で、一気に春の到来を感じさせてくれた。舞台後方にはお馴染みの「Q」と描かれた大きなフラッグが飾られており、曽我部恵一、岸田繁、青葉市子、君島大空の競演に、開演前から気分が高まる。

君島大空


一番手の君島はギターを爪弾き、美しく穏やかな音色を鳴らす。少しテンポが速くなる場面もある中でも、<睫毛の隙間 踊る光を掬い取れたら>という歌い出しのロマンチックな言葉は印象的で、ただただ聴き惚れる。甲高い声が天井に吸い込まれていくのを体感しながら、気が付くと10分弱くらい時間は経っていて、そんなに時間が経っていることに時計を確認して驚いてしまう。


名古屋市公会堂がある鶴舞地区には凄く久々に来て、周辺の公園でお花見が行なわれていたことに驚き、事前に言ってくれたら楽しむ気でいたのにと笑顔で話す。今年初めて桜を見たと言って、2曲目「嵐」へ。<春の嵐を裂いて>という歌詞から歌われるが、ボイスチェンジャーを使用していることもあり、音のバリエーションが豊かで、ポップでメロディアスである。弾き語りなのでギター1本で当たり前の如く演奏されるが、展開がめまぐるしい楽曲の後には一転して落ち着いた曲調の楽曲など、それもイベントの短い持ち時間にも関わらず多様に楽しませてもらえた。


「映画」、「向こう髪」と浮遊感の中で聴いている内に、あっという間にラストナンバー。「今日は良い日ですね」という君島の言葉に全てが凝縮されていたが、このラインナップを名古屋で観られることの貴重さを改めて感じる。想像以上に揺らめきの時間を堪能できたトップバッター。この心地良さに浸りながら、次の音楽を待つ。


青葉市子


二番手は青葉市子。舞台後方の幕が開き、先程とは印象が変わる舞台風景。エレクトリックピアノに向かい、同期の音も用いながら、より幻想的な空間を作っていく。時には小鳥の音も聴こえてくる、ピアノのリフレインに耳を傾けたオープニングナンバー「Space Orphans」。横に向いてピアノを弾いていたが、今度は真正面に向かいギターを弾く「卯月の朧歌」。


舞台後方の幕が開いて剥き出しになった箇所が照明で青や紫に染まっていく。そのまま<殻を破るとそこはみたことない景色>と歌われて、「テリフリアメ」へ。ワルツみたいな快さを感じながら、音楽に身を委ねていく。「今日の様に雨が降ったり、晴れたりを繰り返す天気のことを歌った歌です」という説明も入ったが、彼女の歌も変わりゆく天気の様な繊細さがあり、ぼーっと天気を眺めているような落ち着きがある。

君島同様に「贅沢な日ですよね」と観客に語りかけ、楽屋で先輩や仲間とセッション大会が繰り広げられ、リハと同じく贅沢な時間だったと話す。そして、春の温かくて青くて美しくてという全部が入った楽曲「四月の支度」を歌う。舞台後方が曲ごとに照明で色が変わっていくのもドラマチックであった。


『銀河鉄道の夜』のアニメーション映画を観た時にメロディーができたという「Asleep Among Endives」。「銀河」や「アンディーヴ」という歌詞が情緒的に聴こえてくる。しっとりとしたメロディーに癒される「おめでとうの唄」から、「後は先輩方の演奏に集中したいと想います」と言葉が添えられて、ラストナンバー「Seabed Eden」へ。ピアノが奏でられて、フランス語でつぶやかれるように歌われていく。ムーディーな素敵な時間であった。

岸田繁(くるり)


三番手は岸田繁。舞台に現れて一礼をするだけで場の空気を一気に持っていく存在感がある。首にはハープを掛けて、<花は霧島〜>と一節歌い上げるが、声の張り上げ方というか……とにかく声が名古屋市公会堂に響き渡る。若者ふたりとはまた全く違う空気感を一瞬で築き上げて、青葉の言葉を借りるならば先輩方ふたりによる第二部が開幕したことが感じられた。

「若き才能あるふたりのライブを観ていたんですけど、音から出てきた妖精みたいな……。妖精って音から出てくるんや?」

岸田らしい絶妙の言葉で、若き才能あるふたりを言い表す。プロ野球開幕日ということもあり、ちらほらチェックしながら、音の妖精たちと戯れていたことも話す。音の妖精たちも男の子と女の子だなと想いながら、じっくりと聴き込む「男の子と女の子」。徐々に熱を帯びていくのも堪らないスローなナンバー。そうそうMCで名古屋ということもあり中日ドラゴンズ話を盛り込んだのも粋だった。その御当地の話題の続きとして、愛知県にあるジブリパークの話も。愛知の話をしているのに、何故か客席からは関西弁が聞こえてきて、思わず岸田も「なんで関西人おんねん!」と笑う。そこからトリビュートアルバム『ジブリをうたう』でカバーしている「となりのトトロ」へ。途中で「変調します!」と言ってギターをいじるほのぼのとした光景には、観客から拍手も起きる。


その後にサンフジンズ名義での「ふりまいて」を聴けたのも、弾き語りならではのセットリストだった。再び中日ドラゴンズの選手事情に触れながら、再び音の妖精たちの話を。才能溢れる純粋な音楽好きなふたりと社会不適合者の自分は普通の会話はしにくいと冗談交じりに話して、青葉も話していたように楽屋でジャムセッションしていた話が打ち明けられる。ふたりの才能技術の凄さを話して、その間、曽我部はご飯に行っていたというまさかの愉快なオチも楽しんでいると、瞬く間に終盤。


「くるりの中でもマニアックな曲をやります」と言って、「How Can I Do?」へ。くるりでの演奏や歌い方とはまた違う新たな魂が込められた魅せ方で、弾き語りの奥深さを強く感じる。緩やかながら、より訴えかける歌は誠に強烈だった。真っ直ぐに弾き語る「さよならリグレット」から、ラストナンバーは「ブレーメン」。オーケストラと共にバンドで畳みかけるように聴かせてくれる「ブレーメン」が、ひとりの弾き語りで新たに表現される模様は圧巻だった。手を振って去る姿も絵になる岸田。いよいよ大トリ。


曽我部恵一


四番手大トリは曽我部恵一。3人は座って弾き語っていたが、曽我部は唯一立って弾き語る。<あなたはぼくの太陽>と穏やかに歌うが、どっしりとしたフォークな歌で魅せつけられるオープニングナンバー「碧落」。舞台後方が照明で紫色に近い夕焼け色に染まっていたのも印象深かった。「もう元を取ったでしょ?」という曽我部らしい表現で、君島、青葉、岸田と同様に今日が特別で素敵な日だということを再度教えてくれる。素晴らしい人の素晴らしい歌をうっとりと堪能していたので最後に自分はどうなのかと、曽我部は漏らしていたが、この流れだからこそ曽我部が〆てくれるというのは頼もしすぎる。


東京に住んで約30年くらいで、東京に住んで15年の時に作られた「東京2006冬」へ。<東京へ来て まだ季節の変わり目がわからない>と歌われ、新宿や下北沢という東京の街が穏やかに描写されていく。薄暗い照明が曽我部を照らし、少しづつ歌声が大きくなっていくリアルさを真正面から受け止めさせてもらう。恋をしている女の子の歌と紹介された「シモーヌ」。2004年に発表された楽曲だが、その頃は子供がまだ小さくて、洗面台で作ったと話される。弾き語りだから尚更だが、ひとつひとつ楽曲の背景が丁寧に伝わってくるし、曽我部の人生のドキュメントに触れているようだった。今日が温かくて桜も咲いているということから「春の嵐」へ。東京はまだ桜が咲いていないことも曽我部の何気ないMCから知り、聴こえてきた<愛の歌をうたいましょう>の歌。まだ場所によっては寒さも残っているし、嵐とタイトルに入っているにも関わらず、とにかく春の温もり、人の温もりが伝わってくる歌。


君島、青葉、岸田の歌に宇宙を感じたこと、歌は自分を守ってくれる宇宙でもあるということから、元気じゃない時に桜並木の遊歩道を散歩している時に<きみがいないことはきみがいることだなぁ>という歌詞が浮かんできたという「桜 super love」へ。落ち込んでいたけど浮上したと曽我部も話したが、落ち込んでいる時に歌は守ってくれて浮上させてくれる不思議な力がある。そのことをただただ再認識できた。

一番下の息子がこの春から高校生になることや、大学生の長女が韓国留学から帰ってきたことなど、曽我部の日常が語られる。その長女が生まれた時は、音楽も休んでいたので、自分と奥さんと娘の小っちゃい宇宙に住んでいて、その時に作られた「おとなになんかならないで」へ。娘に語りかけるように歌われて、子供へのイノセントな想いが歌われる美しい歌。ついに最後の曲へ。一番下の子が幼稚園の時に仕事でなかなか逢えなかったからこそ逢いたい気持ちを歌った「おかえり」。シングルファーザーとして子供たち3人を育てた曽我部が歌う家族への歌はともかく響いて沁みる。「おかえり」とラストに呟かれて終わった。


出逢いや別れがあったり、新しいことが始まる春という季節だからか、この日は全員が温かく寄り添ってくれるライブだった。温かい春の日のライブが幕を閉じた夜は、温もった気持ちで帰り道を歩めた。

取材・文=鈴木淳史 撮影=Daiki Oka