TBS「3年B組金八先生」やNHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」、大河ドラマ「徳川家康」、「翔ぶが如く」などの名作ドラマで知られる脚本家の小山内美江子(おさない・みえこ、本名笹平美江子=ささひら・みえこ)さんが2日、老衰のため死去した。94歳。横浜市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

 長男で俳優の利重剛(61)が自身のホームページで発表した。 「老衰による穏やかな逝去でした」とし「やりたいことをやり、言いたいことを言い、多くの人々に愛された、幸せな人生だったと思います。生前のご厚情を深く感謝いたします。本当にありがとうございました」と報告した。

 小山内さんは映画監督をともに目指した男性と結婚したが、利重を出産後に離婚。シングルマザーとして育て上げた。子供の面倒を見ながらできる仕事として、母親となってから脚本業に一層本腰を入れた。

 鶴見高等女学校(現・鶴見大学付属高校)卒業後、映画監督を志したが、当時は女性は助監督にもなれない時代。記録係として10年働き、その後、知り合った当時、助監督だった深作欣二氏、佐藤純彌氏、美術を担当していた近藤照男氏とともにTBS「キイハンター」、「Gメン’75」などアクションものを手掛け、ヒットを生み出す「4人組」と呼ばれて活躍。TBS「アイフル大作戦」(1973年4月〜74年5月)の最終回で世の中と制度のギャップを描いたことが、「金八先生」で込めた問題意識につながった。「金八先生」では「腐ったミカンの方程式」や「15歳の母」など現在も語り継がれるエピソードを生み出していった。

 60歳からは国際的なボランティアを開始。NPO法人「JHP・学校をつくる会」に代表を務め、カンボジアでの学校建設や教育支援などにも尽力した。

 2015年には心臓大動脈弁の手術をしペースメーカーを付けて生活。18年には心不全で緊急入院。その後、慢性硬膜下血腫を患うなど、1年で5度の手術を受けたが、持ち前の気力で乗り越えていた。

 ▽利重剛 報告全文

5月2日、母、小山内美江子が天命を全う致しました。

老衰による穏やかな逝去でした。94歳でした。

やりたいことをやり、言いたいことを言い、多くの人々に愛された、幸せな人生だったと思います。

生前のご厚情を深く感謝いたします。

本当にありがとうございました。

葬儀は、故人の遺志により家族のみで執り行いました。

つきましては、御香典や御供花などお気遣いはご辞退させていただきます。

故人の遺志ですので何卒ご理解くださいませ。

納骨については、故人の希望により、京都・常寂光寺にある女の碑(志縁廟)に合祀させていただく予定です。

納骨が済み、落ち着きましたら、改めてご報告を差し上げようと思います。