タレントの石原良純(62)が、10日放送のTBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(金曜後8・55)に出演し、ピンチを救ってくれた、今は亡き芸能界の恩人について語った。

 父は芥川賞作家で政治家の故・石原慎太郎さんで、叔父は昭和の大スターだった故・石原裕次郎さん。裕次郎さんが社長を務める石原プロモーションに入り、鳴り物入りで芸能界デビューした。裕次郎さんとのコネクション目当てに、業界人たちは良純に群がったが、87年に裕次郎さんが死去すると、周囲から人はどんどん去っていったという。良純は石原プロを辞めて独立。大学時代の友人をマネジャーに再出発をしたが、その友人も早々に去り、独りぼっちになった。

 そんな窮地を救ってくれたのは、父や裕次郎さんとも接点があった人物だった。電話口で「私が面倒見てあげようか?」と申し出てくれたのは、後の事務所社長・三原栄子さん。雑誌社で大手企業の広告担当を経て独立し、個人事務所を立ち上げたが、良純のために芸能マネジャーを買って出てくれたという。良純は「俺が右往左往するのを聞いて、子供のころから知ってたから。面倒だけは見てあげるってところから始まったんだけど」と振り返った。

 三原さんは良純のため、広告の仕事を辞めた。良純は「“雑誌で物を売ってきたけど、人を売るってどんなものなのかな?”って言ってた。“自分の商品に自信がないものは売れないでしょう”と、良い物だと信じて売り込むということを言っていた」と回想。人を売る商売に興味を持ち、良純を徹底的に売り込もうとしてくれたという。

 とはいえ、芸能マネジャーとしてはド素人の三原さん。良純を連れて、ひたすら顔見せの営業を何カ月も続けたという。「あんたも来なさい。直に会ってあんたも話しなさいと。一緒に引きずり回されて会いに行きましたよ。本物を見せた方が早いでしょう?って」。まさに二人三脚での営業。そして、三原さんの熱心さは、業界で有名になっていったという。

 雪が降るある日、テレビ局に呼ばれた三原さん。良純は「“良純さんのマネジャーは、こういう電話したら雪の日も来るかな?”って。三原はすっ飛んで行ったんだって。それで仕事が始まった」と、最初の仕事を取ってきてくれたことを回想した。

 しかし、仕事はまさかのバラエティー番組だった。「三原さんはどう思ってたのかな?結局は映画をやれるところに僕を押し上げたいって思っていたのは間違いない。それが全部、(俳優への)段取りなのかもしれない」。くしくも、いじられキャラがウケまくり、タレント石原良純が形作られていったという。