オリックス・T−岡田インタビュー(前編)

 安達了一とともにオリックスの野手最年長、36歳のT−岡田の19年目のシーズンが始まった。

 昨年は20試合の出場で打率.179、打点4、本塁打0。本塁打1本に終わった一昨年に続き、厳しいシーズンとなった。

 その一方で、チームはリーグ3連覇。優勝を決めた直後のグラウンドで、喜びの輪の中にいた岡田は笑顔を浮かべ、宙に5度舞った指揮官を見上げていた。その様子に「岡田らしいな」と思いつつ、自身の成績が伴わないなかでのチームのこの強さ。ベテラン選手の複雑な胸中は容易に想像がついた。


2010年には本塁打王のタイトルを獲得したオリックス・T?岡田 photo by Koike Yoshihiro

【3連覇に心の底から喜べない】

 今回、オープン戦が進むなかで岡田に話を聞いたが、まず昨年秋の心境から尋ねた。すると、「19年目の選手がこんなことを言ったらダメなのかもしれないですけど」という断りのあと、こう続けてきた。

「やっぱりおもんないっすよ」

 そしてもう1回。

「(戦いの)中に入れてなかったんで、おもんないっすよ」

 普段使いの関西弁がストレートな表現を和らげて伝えてきたが、偽らざる本音だろう。

「チームが優勝したのでもちろんうれしいです。でも、心の底から喜んでいるかっていったら、やっぱりそうじゃない。逆にそうじゃないとおかしいでしょうし」

 今年も厳しい状況に変わりはない。一塁には昨年の首位打者・頓宮裕真がおり、DHにはレアンドロ・セデーニョを筆頭した外国人、さらには杉本裕太郎や森友哉らも起用されることがあるだろう。代打枠も含め、用意されているポジションはひとつもない。そのなかでいかに存在感を示し、ポジションをつかみ取っていけるか。

 オープン戦の打撃成績は12試合の出場で22打数4安打、打率.182、2打点、2四球、6三振。強調するものはないが、中盤の段階で本人は見通しを語っていた。

「自分のなかで今年はバッティングの感覚をガッツリ変えたので、実戦のなかで課題が次々に出てくるのはあ当たり前だと思っています。逆に、課題が出てきてくれないと不安になる。だから打席を重ねるなかで出てきた課題に対処して、できるだけ不安を少なくシーズンに入っていきたい」

 そう話す岡田の表情は明るかった。昨年は早々に背中を痛め、オープン戦の出場は1試合、4打席のみ。一昨年も3試合でわずか5打席。近年はコンディション面でつまずき、シーズンのスタートから出遅れていた。今年はそれがなく、オープン戦も最終戦まで出場を続けた。まず戦える態勢にある。

【14年ぶりのノーステップ打法?】

 オープン戦を見ていると、ある試合でネクストサークルの動きに目が止まった。投球に合わせてタイミングを取っていた時だ。右足を地面に接地させたまま重心を沈ませつつ、左サイドへしっかりと体重移動。力を溜め込むように身を縮め、ボールを待つ。一連の動きに重なってきたのは、岡田が33本塁打で本塁打王のタイトルを獲得するなど、キャリアハとなった2010年のノーステップ打法だ。

 この印象を伝えると、「感じは近いです」と頷いた。「ガッツリ感覚を変えている」と言ったのも、このあたりのようだ。

── 意図は?

「去年までの打席の映像を見ていたら、すごく軽く感じたんです。自分では重心を落として、下半身に力を入れているつもりなのにどっしりとした感じがなくて軽い。それでこれではアカン、これはガッツリ取り組まないといけないと思い、(ノーステップのイメージに近い動きも入れながら)先に待つ形をつくっているので、去年とはボールの速さの感じ方も違います」

 実際の打席のなかでは、右足で小さくステップを踏み、ノーステップの時代ほど重心を落としていない。ただネクストでの動きからは、ノーステップ時代の意識が伝わってくる。無駄な動きを減らしミートの精度を上げる──。

 ホームラン王を獲得した2年後、「最終的に目指す形ではない。下半身への負担も大きい」と、ノーステップ打法は封印した。そこへ14年ぶりに戻ったということか。

「戻ったという言い方は使いたくないんです。今までの経験があるなかで、新しい自分になるためにやっているので」

 形、感覚は似ていても、たどり着くまでのプロセスが違う。重心を下げるとなると、下半身への負担が気になるのだが......。

「言ってられないです。代打になると、ひと振りで相手のボールにアジャストしていかないといけない。たとえば、ツーアウト一、三塁とか、一、二塁とか、僕が出ていく場面はビハインドで打点が求められることが多い。そこでポテンヒットでもいいから、とにかく走者を還すためにどんな球にも対応できる形をつくっておかないといけない。そのための形でもあります」

【まだホームランはあきらめていない】

 思えば2010年もそうだった。岡田彰布監督のもと、T−岡田と改名して挑んだシーズン。初の開幕スタメンを勝ちとったが、スタートから打撃が安定せず、5月から重心を沈ませ、目線の上下動を少なくしたノーステップ打法へ。すると、球を捉える精度が上がり、結果的に33本のホームランにもつながった。

「だからホームランを捨てたわけじゃないんです」

 もちろん、ホームランは岡田の代名詞。履正社高時代にそのパワーに魅了されて以降、これまで何度も度肝を抜かれてきた。だからこそ、厳しい現況にあっても一発に対する期待は残っている。

 こちらが「ここでもうひと化けして、30発でも打ったらドラマやけどなぁ」と呟くと、ニヤリとした岡田から否定的な反応はなかったので、もう一度聞いてみた。「何かひとつ掴んだら......まだそんな可能性もあると思っている。自分自身にまだ"化ける"期待はある?」と。

 すると岡田は「そこをあきらめてはないです」と、声は少し控えめながら、たしかにそう言った。

 久しぶりの岡田の取材でこちらのテンションも上がり、さらに「14年ぶりのホームラン王でも獲ったら、とんでもない騒ぎになるけど......」と言ってみた。

 これには苦笑いを浮かべつつ「そんな人、なかなか聞かないですよね。山崎武司さんくらいじゃないですか」と、元ホームランキングの名を口にした。

 山崎は中日時代の1996年と楽天時代の2011年に、11年間のブランクを経て本塁打王に輝いた。年齢では28歳と39歳の時だ。もし岡田が2度目の本塁打キングになれば、22歳と36歳、じつに14年ぶりとなる。

 とはいえ、この2年間で放ったホームランは1本。「あとがないと思っています」と語るベテランに、「開幕前に何を聞いているのか」と岡田ファンからも声が飛んできそうだが、それでも岡田の打席には「ひょっとすれば......」と、夢を見たくなるのだ。

 山崎の話を少し加えておくと、34歳で中日最後の年となった2002年シーズンの本塁打は2本だった。36歳でオリックスを退団した2004年も4本。多くの人は「ここまでか......」と思ったことだろう。それが楽天に移り、野村克也と出会い、頭と技術が改革され39歳で43本塁打。見事な再生だった。

 久しぶりいいコンディションで迎える開幕。36歳の今、飛距離について岡田はどう感じているのだろうか。

「そこは打ち方でも変わってきますけど......まぁ年相応という感じです」

 正直な感触を口にしたが、すぐに「でも、まだライト方向は......」と加えてきた。しっかりとらえればまだ飛びますよ、ということだ。京セラドームの5階席まで飛ばしてきた打球は、今季何度フェンスの向こうへ落ちていくだろう。

後編につづく>>


T−岡田(本名:岡田貴弘)/1988年2月9日、大阪府生まれ。履正社高から2005年の高校生ドラフト1巡目でオリックスから指名を受け入団。プロ5年目の10年、ノーステップ打法でブレイクし、33本塁打を放ち初のタイトルを獲得。翌年は開幕4番を任されるも16本塁打に終わる。21年は17本塁打を放つも、翌年はケガもあり1本塁打。23年はチームが3連覇を果たすなか、0本塁打に終わった。

著者:谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro