井上尚弥(中)、拓真(左)を最強にすべく指導をし続ける真吾トレーナー photo by 山口フィニート裕朗

5月6日、王者・井上尚弥がルイス・ネリ(メキシコ)の挑戦を受ける世界4団体スーパーバンタム級タイトル戦。34年ぶりに東京ドームで行なわれるボクシングの世界戦として注目を集めるが、戦前から囁かれるのは、井上の圧倒的な強さだ。弟の拓真もまた世界王者としてその強さを見せつけ始めているが、ふたりを育て上げてきた父・井上真吾トレーナーは、どのような距離感で息子たちと接し、そして指導をしてきたのか。

【さらなる強さをーー息子の決意を見守り続けた】

 奇跡ーー。井上尚弥のボクシングキャリアを振り返るとき、いつもそう思ってしまう。

 小学校1年生時にボクシングを始める。幼年ボクシングが、ほんの手習いとしか認知されていなかった時代から、"強豪"としてその名は関係者の間に知れわたっていた。そのまま順調に成長を続け、高校時代にインターハイ、全日本選手権とアマチュアのタイトルを総なめ。そしてプロ入りと同時に脚光を浴び、今や世界のマスコミ、関係者からパウンド・フォー・パウンド(全階級)最強とも目されるスーパーボクサーとなった。

 現在31歳の"モンスター"は、その最初から現在まで、ひとりの指導者に導かれてきた。いまさら説明するまでもないが、実の父親、井上真吾トレーナーである。ボクシングのイロハを教え、体づくりを後押しし、さまざまな技を磨き、信じられないような強さを作った。今年2月にWBA世界バンタム級タイトルの初防衛戦で鮮烈KO勝ちを収めた次男の拓真も、その肩書き以上の魅惑のスターボクサーへと扉を開きつつある。ボクシング指導者としての実績は、もはや世界トップレベルと言っていい。実際にWBCは、真吾トレーナーを2023年の年間最優秀トレーナーに選んでいる。

 そして冒頭の言葉、『奇跡』の理由について。何よりも、この真吾トレーナーには、それ以前にボクサーとしての実績、指導の経験は皆無に等しかったのだ。極真カラテの経験はあったものの、ボクシングを始めたのは遅く、アマチュアで2戦しただけで実戦から遠ざかった。家族を持ち、本業の内装業に本腰を入れるためだ。ボクシングを完全に捨て去ったわけではない。わずかにできた時間に自宅でトレーニングした。その姿を見て「自分もやりたい」と言い出したのが、尚弥、拓真のサクセスストーリーの始まりだ。

 よくありがちな話なのかもしれない。違ったのは、幼い興味に対して「やるなら、中途半端はダメだよ」と軽くいなす父の言葉が、実は本気の本気だったこと。常に危険が近接するボクシングは、生半可な気持ちで立ち向かうものではない。短い実戦経験しかなくても、真吾トレーナーには譲れない信念があった。

 やがて息子たちのためにアマチュアジムを作る。ジムワークや厳しい走り込みはもちろん、さまざまな自作トレーニングも取り入れた。自動車を後ろから押して坂道を上る。自宅2階からロープを垂らし、よじ登る。そういった野趣あふれる日課は、ちょっとした話題にもなった。

 もっと大事にしたのが実戦である。小学校高学年になり、スパーリング大会にも出場するようになる。中学生になってからはプロのジムに出向いて、格上に立ち向かった。

「試合では当然なのですが、基本的にはスパーリングでもすべて勝つのが目的でした」

 こちらは尚弥の証言だ。必勝の思いを遂げるためには、一戦一戦、おろそかな気持ちで臨むことはできない。どんな時も高い緊張感、気迫とともにグローブを握った。だから、今の井上尚弥、そして拓真があると真吾トレーナーはいつのインタビューでも繰り返す。

「すべての経験が尚弥の体内にあるんです。いつも傍らに置いていて、いざとなったらすぐに取り出せる。その数ですか? プロ、アマの試合の数、それに加えてスパーリングの数だけあるはずです」

 うまくいったとき、そうでなかったとき、いつもジムに持ち帰り、トレーニングで反すうした。そうやって、やがて『引き出し』という言葉で代用される膨大なデータベースを持ち、一瞬のうちに最善のツールを引き出せるようになったのは、井上尚弥の才気によるもの。しかし、ベースをしっかりと作り上げたのは井上真吾トレーナーの熱意とアイデアにあるのは間違いない。

 井上家は「天才」という言葉を嫌う。一夜で魔法のように築かれる強さなんてあるはずもない、と。

「大げさに言えば、小学校1年生の時からコツコツの積み上げてきたもの。それが今の尚弥の実力じゃないですか」

【ボクシングファミリーは珍しくない】


次男の拓真も世界王者として、その強さを増してきている photo by 山口フィニート裕朗

 親子、兄弟すべてがボクサーだったり、トレーナーだったりする、いわゆるボクシングファミリーは、古今、珍しくはない。父子で目指した世界チャンピオンの夢物語はいくらでもある。

 昭和40年代に、その試合のテレビ視聴率が60%超えを記録した大スター、ファイティング原田の敵役エデル・ジョフレ(ブラジル=世界バンタム級チャンピオン)がそうだった。1976年に史上最年少17歳で世界チャンピオン(WBAスーパーライト級)になったウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)も、父親の指導によって頂点にたどり着いた。"黄金のバンタム"と呼ばれたジョフレは、堅実な技巧と豪快なパンチの持ち主で、全時代を通じてバンタム級最強と評価する識者も少なくない。素早いステップとハイセンスな攻防で戦いを管理したベニテスも3階級制覇を成し遂げている。

 日本でも亀田兄弟がいる。興毅、大毅、和毅と3人の世界王者が育ち、興毅が3階級、大毅と和毅が2階級と複数階級の世界一を手にした。和毅は現在も3階級目の世界王座を目指している。この兄弟の指導者、父・史郎トレーナーにもプロでの試合経験はない。

 海外の現役でもWBC世界スーパーミドル級暫定チャンピオン、デビッド・ベナビデス(アメリカ)がそう。父ホセ・ベナビデス・シニアの英才教育の下で育った。大柄な体から豪打をぶちまける凶暴なファイトスタイルが持ち味だ。圧倒的な観客動員力を誇るサウル・カネロ・アルバレス(メキシコ=4団体世界スーパーミドル級チャンピオン)の最大のライバルと見なされている。

 メキシコからの移民だったホセ・シニアは過酷な少年時代を過ごした。長男のホセ・ジュニアが誕生すると、「この子に世界チャンピオンの美しい人生を送らせたい」と夢を託した。名選手のビデオを買い集め、まずは自前でボクシングを学んだ。息子を引き連れてマニー・パッキャオ(フィリピン)のキャリアをガイダンスしたフレディ・ローチ、ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)ら有名トレーナーのジムを行脚した。そして、長男のホセ・ジュニアをWBA世界ウェルター級暫定チャンピオンに育てた。次いで弟のデビッドも20歳でプロのトップにまで連れていった。

【ネリ戦の作戦は「ありません」と父は言う】

 井上真吾トレーナーに、過去・現在の偉大なボクシングファミリー以上の実績があると断言できる理由は、あくまでも井上尚弥の存在による。

 井上尚弥ほどに精緻に組み立てられたボクサーを、私はかつて知らない。26戦全勝23KO、世界戦21勝19KOと驚異のKO率を持っていても、決してパワーパンチだけのボクサーではない。スピード豊かで、技術的な展開力に優れ、インテリジェンスが生み出すペースメイクも一級品だ。過去の偉大な選手たちのテイストを含め、現時点の技術の潮流もしっかり把握している。もはや、真吾トレーナーも具体的なアドバイスをしないほどの域に達しているという。

「スパーリングでカバー(ブロック)が遅れたり、打ち終わりにサイドへのステップをしなかったりしたときに注意するくらいです。リスクを冒させたくないんで。親としては」

 チーフセコンドにつく試合中も、展開の流れを見ながらひと言ふた言伝える程度だ。

「(そのときどき)何を言ったのか、映像を見ながらでないと思い出せないんですが」

 数少ない記憶からすくい取ってもらった助言。バンタム級の4団体統一を果たしたポール・バトラー(イギリス)戦ではこうだ。

 3回開始前、「ちょっと脅かしてみようか」。尚弥はバトラーをコーナーに追い詰め、振りかざしたまさかりを打ち込むような右のビッグパンチで迫った。それでも出てこない相手に7回開始前は「少し誘ってみよう。ガードだけは気をつけて」。両手を下げたり、上体をくねらせながら相手の背後に回り込んだり、果ては両手を後ろ手に結んでアゴを突き出した。歴代のディフェンスマスターが演じてきた"名技"をすらすらと再現して見せた。

 どうして、これほどのことができる?

「井上尚弥ですから」

 真吾トレーナーの得意満面も当然か。だったら、その息子には間近に迫ったルイス・ネリ(メキシコ)との一戦に、どんな形で立ち向かわせる?

「作戦はありません」

 ビシッと言い切った。

「井上尚弥でいいんです。世界中の誰も尚弥には勝てません」

 尚弥、拓真を、最強のボクサーにするため、25年間、不断の努力と熱意で費やした日々があるから、そう言える。

著者:宮崎正博●文 text by Miyazaki Masahiro