今年1月に発生した能登半島地震。発災直後、tbcでは石川県珠洲市の造り酒屋を取材しました。店や仕込み蔵が全壊し、再建の見通しが全く立たない状況になっていましたが、現在は新天地で酒造りに挑んでいます。ある若者が、頼もしい援軍として駆けつけていました。

新天地で酒造り

石川県珠洲市の造り酒屋「櫻田酒造」の4代目、櫻田博克さん(52)です。

「櫻田酒造」の4代目、櫻田博克さん

櫻田さんが酒造りをしているのは、地元珠洲市ではなく150キロ南にある白山市の酒造会社です。地震から2か月半。櫻田さんは故郷から離れた場所で酒造りを再開したのです。

櫻田酒造 櫻田博克さん:
「私も作業の流れに乗れていないところが多いので、まだ邪魔している感じ。皆さんのお手伝いができるくらいになりたい」

元日の地震で酒蔵全壊

元日に北陸地方を襲った能登半島地震。能登半島の先端にある珠洲市は甚大な被害を受けました。

TBC

阿部航介記者:
「珠洲市蛸島町の櫻田酒造です。店舗だった建物が完全に倒壊してしまっています。隣の酒蔵、もう倒壊寸前というところです」

TBC

櫻田酒造 櫻田博克さん(今年1月):
「こんな感じで。家族全員は無事なんですけど。酒蔵は全壊で、再起は不能状態ですね」

櫻田さんは、海辺の町で100年以上続く「櫻田酒造」の4代目です。

当時3歳の長男と櫻田さん

JNNでは、2007年に櫻田さんを取材していました。

TBC

櫻田酒造 櫻田博克さん(2007年):
「小さい頃はいつもここで蔵人さんたちと遊んでいた。邪魔していた感じですかね。タンクもみんな私より年上ですからね。昭和33年生まれのやつとか」

若くして家業を継ぎ、家族の支えを受けながら酒づくりをしてきました。2007年当時の櫻田さん家族のやり取りです。

TBC

櫻田さんの妻・朋子さん:
「大きくなったら何になりたいの?」
櫻田酒造 櫻田博克さん:
「酒屋さんは?」
櫻田さんの長男・愼太郎さん(当時3歳):
「いやー!」
櫻田さん:
「なんで、酒屋さん面白いやろ!お父さんと酒造るんやろ!」

TBC

「地元の造り酒屋」として長く愛されてきた櫻田酒造。今回の地震で酒づくりが出来ない状況に追い込まれました。

TBC

櫻田酒造 櫻田博克さん(今年1月):
「あっちの方は仕込み蔵で、ぐちゃぐちゃでこっちからは行けない。今年の酒づくりはもう、もちろんできないですし。困りましたね」

櫻田さんは決断した

あれから2か月がたった3月、櫻田さんは家族で金沢市に移りました。酒づくりを再開するための決断でした。

櫻田酒造 櫻田博克さん:
「今年はもう酒づくりはできないだろうと思っていたが、こうやって場所を借りて酒づくりができるので本当にありがたい」

TBC

櫻田さんに酒づくりの場所を提供してくれたのは、白山市の車多(しゃた)酒造。石川県内でも指折りの造り酒屋で、親交のあった櫻田さんに救いの手を差し伸べました。久々に足を踏み入れた酒づくりの現場。笑みがこぼれます。

櫻田酒造 櫻田博克さん:
「この香りがね、良いですね」

TBC

初日は施設やスケジュールの説明を受けました。

車多酒造の蔵人:
「あした、早速なんですけど櫻田さんも車多の蔵人として」
櫻田酒造 櫻田博克さん:
「良い感じですね、この感覚がね、また泣きそうになっちゃう。なんかワクワクしてきましたね、香りとか嗅いでてね。楽しみしかないですね。本当に感謝。車多酒造の社長やほかの蔵人さんには感謝しかない。本当にありがとうございます」

車多一成社長:
「とりあえず転ばないでね(笑)」

TBC

新天地で復興に向けた一歩を踏み出した櫻田さん。さらに、頼もしい人が駆けつけました。

助っ人は大学生になった長男だった

17年前、酒造りはイヤだと言っていたあの子です。

TBC

3月14日午前7時。櫻田博克さん(52)が住み込みで酒造りを行っている車多酒造で、誰かを待っています。車で送られてきたのは、大学2年生の息子、愼太郎さん(20)です。

櫻田酒造 櫻田博克さん:
「あのとき(能登半島地震のとき)は一緒にいましたんで。最初の頃はがれきから一緒に酒を出す手伝いもしてもらったりして」

TBC

愼太郎さんは、父の酒造りを手伝おうと春休みを利用して東京から白山市に駆けつけたのです。

櫻田酒造 櫻田博克さん:
「なんかジーンときますね。よう来てくれたというか…一緒に頑張ろうね」
櫻田さんの長男・愼太郎さん:
「良いですね、かっこいいです。やっぱり『大慶』が良いですね」

TBC

信太郎さんは、実家の櫻田酒造で作っている酒の名前「大慶」が入ったジャケットを着ました。住み込み先の車多酒造が用意してくれましたものです。

櫻田愼太郎さん:
「良いですね、なんか『これから』を感じるというか。『未来』を感じて良いなと思います」

TBC

東京の大学で酒造りを学んでいる愼太郎さん。帰省中に能登半島地震を経験し、自宅や酒蔵が全壊するところを目の当たりにしました。

櫻田愼太郎さん:
「本当に死んでもおかしくないような地震だった。家も潰れて、死ぬかもしれないような地震だった」

愼太郎さんの決意「5代目です」

愼太郎さんが生まれたときからすぐそばにあった酒蔵。地震の後、愼太郎さんはある決意を固めていました。

櫻田愼太郎さん:
「蔵が潰れたのは勿論寂しいですけど、みなさんたくさん支援してくれて、(住み込み先の)車多酒造も支援してくれて、マイナスとは思っていない。ここからが新しい櫻田酒造の開始点だと思っています。(私は)5代目です」

TBC

4代目の父の指導を受けながら、愼太郎さんの初日が終わりました。

櫻田酒造 櫻田博克さん:
「まぁ頼もしい限りですよね。まだ二十歳なんでね。でももう二十歳ですからね。きょうは一緒に二人で酒でも飲みながら色々話でもしてみたいですね」

TBC

「おし、まぁ飲め」、櫻田さんが愼太郎さんに酒を注ぎます。二人で酒を酌み交わします。

櫻田酒造 櫻田博克さん:
「みんな良い人で本当に助かるな。ありがたいな。これから酒蔵を建て替えるということになるんやけど。すぐにはもちろんできんやろうし。おまえにも迷惑をかけると思うけど。また頼むわ。ごめんな」
櫻田さんの長男・愼太郎さん:
「全然いいよ」
櫻田酒造 櫻田博克さん:
「何でこんなことになったんやろうなぁ!」
櫻田さんの長男・愼太郎さん:
「仕方ない。地震は仕方ないよ」

TBC

櫻田さんは、愛してやまない酒造りへの思いを、息子・愼太郎さんに語り掛けます。

櫻田酒造 櫻田博克さん:
「酒造りっていうのは、きょう見て分かったと思うけど、すっげぇ面白いさかい。おれは大好きや。だからお前もきっとわかってくれると思う。本当に酒造りは面白いし。あ~うめぇ!やっぱり酒はうまいよな、この旨味っていうかなぁ。おいしい酒ができると本当に嬉しいしな。また酒造り、自分の蔵でできたらな。本当においしい」

TBC

被災地に残る爪痕は大きく、復興までは長く険しい道のりが続いています。そんな中でも前を向く親子。2人の酒が味わえる日がいつかきっとやってきます。