昔の仲間との再会を求めてシンガポールへ

右からピーターズ調教師、ロイド騎手、筆者(藤井勘一郎氏提供)
右からピーターズ調教師、ロイド騎手、筆者(藤井勘一郎氏提供)

【藤井勘一郎の海外競馬観戦記】
 皆さんこんにちは、藤井勘一郎です。今回は豪ランドウィック競馬場で行われたドンカスターマイル観戦の帰りに立ち寄った、シンガポールの競馬についてレポートしたいと思います。

 2023年6月に、シンガポールターフクラブが閉鎖するというニュースが世界中に広がりました。私にとってシンガポールは特別な場所であり、その閉鎖が迫る前に競馬場に足を運んで昔の仲間と再会したいという思いから訪れることにしました。

 実は私はオーストラリアの競馬学校を卒業した01年、研修生としてシンガポールのトップトレーナーであるマルコム・トゥエイツ氏のもとに送り込まれ、そこで騎手デビューを迎える予定でした。研修中は数多くの馬の調教やバリアトライアルに騎乗し、オーストラリアやヨーロッパの馬だけでなく、インドでGⅠを連勝した馬にも乗せてもらったのですが…。ビザの関係でシンガポールでの騎手デビューの夢はかないませんでした。

 ただその後に短期免許を2度取得して、クランジ競馬場では初めての重賞競走で勝たせてもらいましたし、07年のシンガポールダービーでは日本産のジェイドで3着に入りました。同年の遠征中には、シャドウゲイトがシンガポール航空国際を制覇する瞬間に立ち会うこともできたのはいい思い出です。

地元でもリスペクトされている高岡秀行元調教師

 シンガポールのホースマンといえば、日本では高岡秀行元調教師の名前が真っ先に挙がるでしょう。ホッカイドウ競馬でリーディングトレーナーとなり、その後シンガポールで開業した彼は、その功績で地元の関係者からもリスペクトされています。

 23年に調教師を引退された高岡先生は「エルドラドが3度のゴールドカップ制覇を果たし、ジョリーズシンジュが3冠レースを制したことが印象的でした。どちらも日本生まれの馬でした。競馬を通じて、多くの国の調教師や騎手と競い合うことで、視野が広がりました。良いタイミングで様々な経験を積むことができました」と現役時代を振り返っています。

 高岡先生のスタイルは長期間にわたり馬を活躍させ、特に長距離レースで結果を出していました。それについては「地方競馬の景気が悪い時期には、一頭の馬を長い期間にわたってレースに出走させる必要があったのですが、その時の経験が役立ちました。また、日本から輸入した馬を中心に調教したことが、長距離での活躍の要因でしたね」と語っています。

 最初は結果を出せず、日本に帰国することを考えた時期もあったそうですが、試行錯誤を経て、数多くの功績を残されました。

24年10月をもって180年の歴史に幕

筆者にとっても思い出深いクランジ競馬場
筆者にとっても思い出深いクランジ競馬場

 かつては大きな盛り上がりを見せていたシンガポール競馬ですが、10年のカジノ設置から徐々に陰りが見え始めます。さらにコロナの影響で競馬場が閉鎖されたことなどもあり、昨年6月、24年10月をもってシンガポール競馬が廃止されると発表されました。今回、競馬場を訪れてもお客さんの数は明らかに減っていましたし、組まれていた10レースのうち6レースは「クラス5」という一番下のクラスでした。

 高岡厩舎で厩舎長を務めていた波多野氏は、「調教師がターフクラブに呼び出され、閉鎖の通達を受けました。他の調教師も動揺を隠せず、ショックを受けていました。私自身も1か月後に高岡厩舎の後継者として、長年の夢だった調教師としての開業を目指していたので、その通達を受けたときは頭が真っ白になりました。この10か月の間に、3人の調教師がそれぞれの国に戻っています」と当時を振り返っています。14年間シンガポールで夢を追う姿を私も友人として応援していただけに、話を聞いた時はつらかったです。

 一方で、オーナーとしてこれまで20頭近くを入厩させているフレディ・ゴー氏は「ニュージーランドのセリで馬を購入した直後、ターフクラブから突然閉鎖の通達を受けました。私は今でも毎週競馬に足を運んでいます。競馬は私の情熱です」と競馬のない生活はまだ実感がないという雰囲気でした。

 日本でもおなじみのジョアン・モレイラ騎手はシンガポールで4度リーディングジョッキーに輝き〝マジックマン〟としてファンから愛されていました。「シンガポールの競馬は私に国際的な舞台で活躍する機会を与えてくれました。金曜日と日曜日の開催日は観客であふれ、主要なレースにはスポンサーがついていました。GⅠレースで優勝した際には大統領からトロフィーを授与されるなど、多くの良い思い出があります。シンガポールは私にとって心から大切な場所です」とシンガポールの競馬に対する熱い思いを語ってくれました。

 実際に競馬場に足を運び昔の友人たちにお会いしましたが、皆さんお変わりなく、温かく接してくれました。関係者の中にはまだ次の仕事も決まっておらず、競馬と全く違う職業に就くだろうという人もいました。180年続いた歴史が幕を閉じることは本当に寂しい思いです。たくさんの経験を与えてくれたシンガポールの競馬には私も感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして最後になりましたが、私が海外に渡航中に藤岡康太騎手がお亡くなりになりました。いつも笑顔だった印象が強い彼ですが、いざ競馬になると隙のない騎乗で勝負強さを感じました。この場を借りて心からご冥福をお祈り申し上げます。(元ジョッキー)

著者:東スポ競馬編集部