【記者が振り返る懐かしのベストレース】ダービーは“競馬の祭典”と称される最高峰のレース。「勝ったら騎手を辞めてもいい」とは93年覇者ウイニングチケットの柴田政人(現調教師)の名言だが、ホースマンのあこがれと名誉がダービーには詰まっている。
では、最大の称賛を浴びたダービージョッキーは誰か…90年アイネスフウジンで歴史に名を刻んだ中野栄治(現調教師)で間違いあるまい。栄光のゴールはターフをライブハウスへと変えた瞬間でもあった。
「僕はダービーを1番人気で勝ちたいんです。ファンの皆さん、僕の馬を1番人気にしてください」
レースの数日前、鞍上がテレビカメラに向かって発した言葉だ。1番人気の皐月賞で2着に敗れたことで、ファンの関心が他馬へと傾き、ひのき舞台から久しく遠ざかっていたベテラン騎手に対し不信感が芽生えつつあった。それを振り払おうと願う心からの叫びだったのだろう。
しかし、現実はシビアだ。フタを開ければ1番人気はメジロライアン、2番人気ハクタイセイ。両馬の鞍上は当時、日の出の勢いの横山典、武豊。ファンは中野栄=アイネスをあくまで3番手の馬と評価した。
迎えた大一番――ベテラン騎手の鬼気迫る逃げは、主役を見誤ったライバル勢を幻惑し驚がくさせることになる。5ハロン通過59秒8。肉を切らせて骨を断つ迷いなき逃走だった。3角からのロングスパートは後続の夢を断ち切る決定打となり、やがてターフビジョンにはレコードの赤い4文字が躍るが…本当のクライマックスは2分25秒3のゴール後に待っていた。
「ナカノ!」
ごく一部のファンが発した勝利騎手をたたえる声は、一瞬にして大きなウネリとなりスタンド全体を揺るがす壮大な「ナカノコール」に変わった。過去のダービー史で例をみない祝福の嵐。中野栄=アイネスをファンが真のヒーローとして認定した証しだろう。入場人員19万6517人が、馬券を忘れて酔いしれた。あの興奮はいまだ色あせることはない。(2008年5月28日付東京スポーツ掲載)
![迷いなき逃走!アイネスフウジン中野栄治が東京競馬場を〝ライブハウス〟に変えた/1990年ダービー](https://tospo-keiba.jp/images/articles/contents/shares/0002024/05/0524/%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%99%EF%BC%90%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC%E7%B5%90%E6%9E%9C.jpg)
著者:東スポ競馬編集部