今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は花山天皇の出家の背景にある、藤原兼家親子の画策を紹介します。


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『大鏡』(平安時代後期に成立した歴史物語)は、藤原道長のことを豪胆な人物として描いています(過去記事:花山天皇も驚いた「藤原道長」の豪胆すぎる性格)。

『栄花物語』(平安時代後期の歴史物語)もまた、若き頃(20歳頃)の道長を「容姿や気性が男らしく、自らに心を寄せる者に目をかけて庇護し」と絶賛しています。

作者の道長に対する賛美の姿勢が強く、はたして、これが道長の真の姿だったかと言われたら、疑問が残るところですが、功成り名遂げた後に、賛美の言葉が出てくるというのは、今も昔も同じと言えましょう。

道長のライバルが先に出世

しかし、道長であれども、最初から他人を圧倒するほどの出世の仕方をしたわけではありません。

道長は、980年正月に従五位下に任じられます。「影を踏まないで、顔を踏みつけてやる」(『大鏡』)と道長が息巻いたライバルの藤原公任は、同年2月には正五位下に叙されて、昇殿(清涼殿の殿上の間に昇ること)まで許されていたため、道長よりも早く出世しました。

この出世は、公任の父・藤原頼忠が関白・太政大臣だったことが大きいでしょう(道長の父・藤原兼家は右大臣でした)。