安倍晴明は先ほどの言葉に続けて「式神1人、宮中へ参上せよ」と言ったといいます。式神とは、陰陽師の命令で自在に動く鬼神、霊的存在のことです。

人の目には見えない式神が邸の戸を開けると、そこには花山天皇の後ろ姿がありました。式神は安倍晴明に「帝は、ただ今、邸の前をお通りになったようです」と報告したそうです。

安倍晴明の邸をすぎ、花山天皇は花山寺(元慶寺。京都市山科区)にお着きになりました。そしてそこで剃髪されることになるのです。

花山天皇が花山寺に入ったことを見届けた道兼は「私はいったん、退出いたします。父・兼家にも、帝の出家前の変わらぬお姿をもう一度見せたく思うのです。案内申して、必ずここに戻ってきましょう」と理由を付けて、天皇のもとを離れようとします。

その様子をご覧になった花山天皇は「朕(私)を騙したのだな」とはらはらと涙を流されたそうです。

道兼の裏切りを「おそろしい」と記す

花山天皇がこのように仰せになったのにも、理由がありました。

道兼は普段から、花山天皇に対し「帝がご出家されたら、弟子として仕えましょう」と言上していたのです。『大鏡』は、道兼の裏切りを「あはれに悲しきことなり」(とても悲しいこと)、「おそろしさよ」(恐ろしいこと)と書いています。

一方、道兼の父・兼家は、道兼が何者かによって、強制的に出家させられてしまうのではないかと案じていました。そこで「源氏の武者」を護衛として付けていたようです。

こうして、花山天皇は出家。懐仁親王が一条天皇として即位されます。兼家らは皇太子の即位を早めるために、花山天皇に出家を勧めて、謀略を用いて、退位させたのでした。

一条天皇は、道長にとっては甥にあたります。一条天皇の即位に伴い、道長は昇殿を許され、蔵人・少納言・左少将にも任命されていきます。位階も半年ほどの間に、従五位上、正五位下、従四位上とすすみ、翌年(987年)9月には、従三位に叙されることになるのです。

花山天皇の退位は、道長の出世にも大きく関わっていたのでした。

(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

著者:濱田 浩一郎