ドラッカーは1962年に雑誌『フォーチュン』で書いた記事「The economy’s dark continent」で、米国の消費者が払う1ドルのうち半分の50セントは物流コストだとしています。

しかし、当時はまだ、物流は製品を移動するだけの機能としてしか考えられておらず、物流コストを正確に把握することは難しいとも指摘しています。

また、ドラッカーの記事以降、ビジネスロジスティクスやディストリビューション(流通)について研究されるようになりました。あるロジスティクス研究の教授は、ドラッカーが、この研究領域を作ったといっているくらいです。

戦争の勝敗をも左右するロジスティクス

第二次世界大戦は、物流(兵站)の役割の重要性を世の中に広めました。それまでの戦争は、戦場での兵力や装備(兵器)が重視されていましたが、第二次世界大戦では、武器弾薬だけでなく、食料品や趣味嗜好品などを、戦場までいかに届けるかが、勝敗を左右しました。

日本軍は、この兵站を軽視したために、多くの命を失い、戦争に負けるにまで至ったのです。また、海外からの物資を運ぶ運搬船の警護を怠ったため、運搬船がほぼ全滅し、日本国内では、物資不足に喘いだという歴史の事実もあります。

中国の歴史に、「泣いて馬謖を斬る」という有名な言葉があります。これは、有名な参謀である諸葛亮(孔明)が、兵站(ロジスティクス)を無視した戦いを仕掛けた、かわいい部下の馬謖を斬ったという話です。

馬謖は、「あの山には決して登るな」という諸葛亮の指示を無視し、その山に登り、陣を張り、敵に兵站を絶たれて、苦境に立たされました。そのような指揮をした馬謖を、諸葛亮が斬ったのです。

兵站が切られると、食料品が途絶え、兵隊の士気も下がります。そして、大敗を喫してしまうのです。諸葛亮は、兵站(ロジスティクス)を重視した軍師でした。