だんだん、商品の経験を積んでいって、第3までくれば、商品のことを理解して買っているように見えるが、実はまったく違う。そして、これが最も危険だ。

なぜなら、足を入れたときの瞬間に気持ち良いシューズと、数カ月毎日ランニングするのに身体が喜ぶシューズとはまったく別物だからだ。したがって、試着というのは、商品の実際の自分にとっての価値を試すこととはまったく違い、非合理的な快楽に基づく商品選択をさらにあおるものにすぎないのだ。

これは、多くの消費行動に当てはまる。買うときの意思決定と使うとき体験する効用とのタイミングがずれている消費財はすべて、このわなに陥る。結婚はその典型だし、職業選択も同じだ。

そして何より、投資において当てはまる。株を買うときと、その後、保有したとき、売るとき、まったく別の自分がそこにいることを、投資経験が豊富な人ほど実感しているだろう。それに気づいていない人は幸せだが、騙されている。この場合、昔の自分に今の自分がだまされているということだが、あるいは、今の自分は将来の自分をだますことに気づいていない、といってもいいかもしれない。

本能に基づく消費行動でも矛盾に気づくのは難しい

本能に基づく消費行動は、大丈夫だと思うかもしれない。だが、ランチの選択でも同じことが起こる。

例えば「牛丼1杯400円ちょっと」というイメージで、安く済ませたいと思って、職場のそばの牛丼チェーン店に入るとしよう。だが、新メニューや期間限定のマレーシア風のメニューなどにひかれ、ちょっと高いけど、こっちと選択を変更し、結局830円払うことになる。

それでも「今日のランチはおいしかった、満足だ」ということになり、矛盾にまったく気づかない。自分はランチを安く済ませているという感触が残ったまま、おいしかったと満足し、来週も似たようなことを中華そば屋で実行することになる(だから企業は牛丼や中華そばの値上げは最小限で、定食や具沢山麺の値上げは大きめという戦略を取る)。

厚底シューズは、ビジネスで大成功した。どのメーカーもいまや厚底一辺倒だし、軽いジョギングやウォーキングしかしない人々ですら、厚底、しかもふわふわのシューズを履いている。

しかし、本当はふわふわだと歩きにくい。ある程度固さのあるシューズのほうが、歩きやすく疲れにくい。クッションが効きすぎていると沈みすぎて、ねんざのリスクもある。

しかし、皆、履き心地の良さそうな見た目と足入れした瞬間のクッションの気持ちよさで「あ、これは足にいい!」と思い込みが確定し、歩きやすい靴を履いている気でい続けることになる。そして、本当に歩きやすい靴よりも、試着したときに気持ちいいシューズが売れまくるのであり、だからメーカーもそちらに流れるのである。