――『異人たち』を観ていると、山田太一さんが考える家族への思いを感じます。

父は8人兄弟の7番目として育ち、小学4年生で母親を亡くしました。だからもしかしたら、自分が得られなかった親子の関係をわたしたち子どもに与えようという思いで頑張ってくれていたのかなと思います。

父は幼少期に家族だけで食卓を囲むことなどなかったと言っていたので、あの家族団らんの空気感は父にとっても初めてのことだったのかと、今さらながら気づき、驚いています。

――家族ですごく仲良く過ごされてたようですね。

でもうちはケンカもすごかったですよ。親子げんか、夫婦げんか、兄弟げんかとまあにぎやかで。あの小説の、夢のような温かいだけの家族ではなかったのですが、でも基本、仲がよかったんだろうなと思います。

家族で囲む夕飯のときには大笑いもしましたし、子どもながらにしあわせで温かい気持ちに包まれた日もよくありました。

けれども弟はアメリカに行き、姉もわりと早くに家を出て。わたしは28で結婚するまでは家にいましたが、やはりどんどんいなくなっちゃうのは寂しいんだなって思いましたね。

山田太一 異人たちと夏 山田太一氏は生前に完成した『異人たち』を鑑賞していたとのことで、家族からの「良かったね」という言葉にうなずいていたという(写真:ご家族提供)

むしろ大人になってから気がついたことのほうが多いんです。結婚してからたまに帰ると、両親がこんなにも喜んでくれるのか、とか。ちょっとセンチメンタルな気分になることはありました。

若いころは子育てだけで忙しいですから、親の感情とかについて考える暇もなかった。子煩悩だとは思っていましたが、家族を大事にしようという意識が父の中でかなり強かったのだなというのは、最近になって気づきました。

友だちが泊まりに来たときに変わってるねと言われたことがありました。家族で食事をして、みんなで洗いものを手伝うんです。父も率先して洗っていましたし。それで片付けたらみんなサーッと大抵は部屋に行っちゃうんです。友だちはそこが変わっていると感じたようです。

友人にも驚かれるほどマメだった

22時ぐらいにみんなまた居間に降りてきて一緒にニュースを見たりしました。割と自分の時間をそれぞれ過ごす感じがありましたね。まず父は部屋に行っちゃいましたね。母が父はまるで「下宿生みたいだ。食事のときだけ降りてくる」と愚痴っていました。

あと(松竹の)助監督だったせいかマメなんですよ。すごくマメに動いてました。家のゴミ出しも何でもするし、せっかち。家族で出かけても、駅の近くになると小走りで先に行っちゃって、全員の切符を持って立って。みんなに配る。改札を通るとまた回収して父が持つ。食事もいつの間にかお会計を済ませているとか。父親ってそんなもんなのかなと思っていたら、友だちからはそんなマメな人はいないと言われました(笑)。