知的能力を永久に失ったと思われていた患者の意識の清澄さや記憶力、思考力などが思いがけず回復することを「終末期明晰」と呼びます。なぜ、この現象は起きるのでしょうか?

本稿はアレクサンダー・バティアーニ著、三輪美矢子訳『死の前、「意識がはっきりする時間」の謎にせまる』を一部抜粋・再構成したものです。

常識の裏側にあるもの

今日、ある人が死の床についている。呼吸がしだいに遅くなり、脈が弱まり、心臓の拍動が不規則になる。そして、ややあって最後の息をする。この人に明日という日はない。来週も、来月もない。命がその幕を降ろしたのだ。そうして世界がひとつ、永遠に閉じられる。

だがこの人は、あるいはこの人の世界は、永遠に消えたのだろうか? すべては失われて、二度と取り戻せないのだろうか? それで本当に「終わり」なのか? わたしはこうした問いを、そのほかの多くの問いとともに論じていこうと思う。

これから語るのは、人の意識や思考、認知症、死と死にゆくことといった、現在のわたしの研究テーマにまつわる物語である。また、先の問いに関連する、驚くべき現象を目撃した人々の証言や個人的な物語も紹介する。彼らの多くは、わたしが関心を抱いている、とある終末期の現象がメディアで報じられたのを機にわたしに連絡してきた。そして、いまや鬼籍に入って久しい肉親や友人についての話をしてくれた。その死に様がとても感動的で美しかったことを、しかし、科学的にはどうにも説明がつかないのだということを。