第2次大戦の末期、「大戦最良の戦車」の車体に「大戦最強の戦車」の主砲を組み合わせた「最良の対戦車車両」がドイツで生まれました。“戦車好き”のヒトラーも一目で気に入ったほどですが、開発のタイミングが悪すぎて戦局には寄与しなかったそうです。

ヒトラー自ら命名「狩りをする豹」

 第2次世界大戦時のドイツの指導者、ヒトラー。彼が大戦後期、たいへん気に入って大量生産を命じたのが「ヤークトパンター」なる装甲戦闘車両(AFV)です。この愛称はドイツ語で「狩りをする豹」という意味を持つ言葉で、きわめて強そうな名前ですが、付与したのは、なんとヒトラー自身だとか。そこまでヒトラーを惚れこませた戦闘車両とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

 1939年9月1日、突如ドイツがポーランドを攻めて勃発した第2次世界大戦。開戦約2年後の1941年6月22日、ドイツ軍は「バルバロッサ」作戦を発動し、今度はソ連(当時)への全面侵攻を開始します。ところが、当時のドイツ戦車よりも高性能なソ連戦車「T-34」がその行く手に立ちふさがりました。

 この事件は「T-34ショック」と称され、ドイツの戦車開発に大きな影響を与えます。そして鹵獲(ろかく)したT-34を徹底的に分析し、性能的に凌駕する新戦車として誕生したのがV号戦車「パンター」でした。

 避弾経始と呼ばれる、敵弾を滑らせて弾くための傾斜が付けられた重装甲を備え、5m以上ある長砲身で装甲貫徹力に優れた7.5cm戦車砲を搭載した「パンター」は、攻撃力と防御力の両面ともT-34よりも優れており、「第2次大戦最良の中戦車」とも称されたほど。

 ほかにも、ドイツには「T-34ショック」以前から開発を進めていた新戦車として、「ティーガーI」重戦車がありました。同車は、避弾経始こそ考慮されていませんでしたが、分厚い装甲を備え、8.8cm高射砲から派生した高威力の戦車砲を搭載していたことから、圧倒的な強さを誇る重戦車として完成。ソ連軍やイギリス軍を相手に、無敵と言ってよいほどの強さを見せつけました。

「大戦最良の中戦車」+「大戦最強の戦車」=?

 この「ティーガーI」の順当発展型として、ドイツがさらに開発したのが、同車に避弾経始を導入してさらに重装甲化したうえ、同じ8.8cm口径ながら、発射薬量の多い砲弾を使用し、より長砲身で優れた威力を発揮する“最強の8.8cm戦車砲” を搭載した「ティーガーII」です。

「ティーガーII」は、従来の「ティーガーI」を上回る攻撃力と防御力を持っていたことから、ドイツ語で「王虎」を意味する「ケーニヒスティーガー」(ケーニクスティーガーとも)という愛称が付けられ、文字通り「第2次大戦最強の戦車」として運用されました。

 そこで、ドイツ開発陣はひらめきます。「第2次大戦最良の中戦車」であるパンターの車体に、「第2次大戦最強の戦車」の主砲を組み合わせたら、超強力な戦闘車両ができ上がるのではないかと。

 実際には、「ケーニヒスティーガー」の長砲身8.8cm砲を転用した対戦車車両を設計するにあたり、「パンター」戦車の車体が用いられた形です。なお、「パンター」の砲塔容積では「王虎の牙」こと「最強の8.8cm戦車砲」を載せることは困難であったため、車体に直付けし、回転しない固定式の戦闘室を設ける形を採っています。これにより全周旋回砲塔こそ備えていないものの、低車高で重装甲の車体に、超強力な8.8cm戦車砲を持つ、まさに「王虎」と同等の強力無比な駆逐戦車が完成したのです。ちなみに同砲は、既存の敵戦車を2500mから3000mの射距離で撃破可能でした。

 こうして生まれた、高い攻撃力と強固な防御力を兼ね備えた対戦車車両を一目で気に入ったのが、戦車好きで知られたヒトラーでした。彼はその性能を鑑みて「本車1両は『王虎』数両分の価値がある」とまで言ったとか。そこまで惚れたからこそ、自らの手で「ヤークトパンター」と命名したようです。

必要とされるときに間に合うことが大事!

 ヒトラーのお墨付きを得た「ヤークトパンター」の生産は1944年1月から始まり、同年7月のノルマンディー戦で初陣を迎えます。実戦では、期待に違わぬ強さをアメリカやイギリス、ソ連といった敵軍に対して見せつけましたが、もうこの時期になると、ドイツ本土は連日のように激しい戦略爆撃に晒されており、「ヤークトパンター」の生産も滞りがちでした。

 おまけに強力な戦闘車両なので、まとまった数できちんと部隊編成が済んでから戦場に送られるのではなく、完成した車両から五月雨式にあちこちの戦場へと送られる始末。その結果、専用の整備回収部隊がいないせいで、ちょっとした故障や、それこそ単なる燃料切れでも、自爆の有無こそあれ戦場に遺棄される事態が頻発しました。結果、単体としては強力な存在であるにもかかわらず、無駄に失われた本車も少なくありませんでした。

 ちなみに、「ヤークトパンター」は有用な車両だったにもかかわらず、その総生産台数はわずか415両。せっかく優秀な本車ながら、登場が遅すぎたことが、まさに「間に合わなかった優秀兵器」となってしまった原因でした。

 どれほど優れた兵器でも、戦争では、必要なときに間に合わなければ存在しないのと同じ。「ヤークトパンター」は、タイミングがいかに重要かを示した好例のひとつと言えるでしょう。