悲劇が起きたのは2019年のゴールデンウィーク。滋賀県大津市の国道で、飲酒運転により逆走した乗用車が対向車に衝突、対向車に家族と乗っていた当時9歳の心誠くん(富山県砺波市)は頭を強く打ち、搬送先の病院で亡くなりました。息子を思い、今でもアルバムを開くという母親は「9年しか生きられなかったけど、確かに幸せな日はあった」と話し、悲劇が繰り返されないよう社会を動かすための覚悟を決め、一歩を踏み出しています。

心誠くんの母親:
「5年たった心誠の思いっていうのは、毎年思うことだけど、3年4年5年が経っても、悲しい気持ちは全く変わらない。今生きていたら、今日はどんな今日だったんだろうなっていうのが、もう本当に街で見かける中学生とかを見ると、これくらいになってたのかなと思ったり…。今日はどんな日だったのかなって、やっぱりもうそればっかりです」

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事故が起きたのは2019年5月5日午前0時50分ごろ、滋賀県大津市の国道でした。家族で富山から京都に向かっていたところ、逆走してきた車に衝突され、シートベルトをして後部座席に乗っていた心誠くんが死亡しました。当時9歳、小学4年生でした。

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逆走した車の運転手は飲酒運転をしていて、2021年に大津地方裁判所で「危険運転致死」の罪で懲役4年の実刑判決がくだされています。

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心誠くんの母親はこれまで地元である富山県内のメディアには顔を出していませんでしたが、今回、初めて顔を出して取材に応じました。

舟本真理キャスター:
「何か心境の変化があったんですか?」
心誠くんの母親:
「富山県で、富山県のために動いていくには、やっぱり『私です』っていう『私に話させてください』っていう意気込みのあらわれかな。覚悟」

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お母さんが見せてくれたのは、3歳のときに富山県朝日町のキャンプ場で撮影した心誠くんとの2ショット写真。大切な、大切な宝物です。

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心誠くんの母親:
「(写真を撮ったのは)2013年の5月5日。6年後の5月5日に心誠がなくなっちゃうような日が来るなんて思わなかったなって。本当にこの日、本当に楽しくて、このキャンプ場で夕日もきれいだったし、みんなでヒスイを集めたしと思ったら、あんまり2人で撮った写真がないんだけど、もう楽しかったなってはっきり覚えてる。9年しか生きられなかったけど、確かに幸せな日はあった。心誠だってきっと幸せだったっていうことを私の中で確認したいときはやっぱり、アルバムを開く」

キャンプのころから成長し、自転車に乗り始めた小学3年生の心誠くんを父親が撮影した映像があります。小さい手でしっかりとハンドルを操作する様子をみて「うまくなりました」と声をかけるお父さん。「疲れてきた」と少し甘える心誠くん。何気ない親子の時間が記録されていました。

心誠くんは、9歳上の兄と6歳上の姉の3人兄弟。
事故のあったあの日、心誠くんたちは京都に住む兄に会いに行くところでした。
その前日、心誠くんは日記にこう綴っていました。

『あしたはもっと楽しくなるといいです』

心誠くんの母親:
「心誠の日記を見ると、このときこんな顔してたなっていうのを思い出す本当に。4月の中旬から始めて、5月4日までしか書いてないけど短い日記は本当にもう、かけがえのない私の支えというか」

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心誠くんが命を落としたあとも、各地で悪質で危険な運転による事故が後を絶たないのが現状です。危険運転という“犯罪行為”をなくすため、心誠くんの両親は一歩を踏み出しています。

この日は富山県内の高校で、これからハンドルを握る生徒たちに悲劇に巻き込まれた遺族の思いを語りました。

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心誠くんの母親:
「生まれて初めて怒りで体が震えているのを感じました。酒を飲んで、運転するなんて、大切な心誠の命を奪った…大切な家族をバラバラにした」「飲酒運転犯を決して許さない。お父さんとお母さんは真実を追求し、犯人に正当な罰を与えるために闘うことを誓いました」

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全国的に「過失運転致死罪」より刑が重い「危険運転致死罪」が適用されないケースが相次いでいて、心誠くんの両親は「過失運転致死傷罪だと最大7年でしか裁くことはできない」として、2023年10月に「危険運転致死傷罪の条文見直しを求める会」に加入し国に法改正を求めています。

心誠くんの母親:
「強く思うのは飲酒運転は全て危険運転としてほしい。飲酒運転に過失はない。それを伝え続けたいと思う」

2024年2月、法務省は、危険な運転により厳しく対処するため、危険運転致死傷罪の見直しに向けた検討会を立ち上げ、議論をスタート。心誠くんの父親も会合に出席し、こう要望しました。

「少なくとも酒気帯び運転相当以上(呼気0.15mg/ℓ以上)のアルコールを体内に保有し死傷事故を起こした場合、危険運転致死傷罪を適用する条文へと変更すること(飲酒運転による死傷事故に過失運転はないものとすること)を強く要望します」

心誠くんの母親:
「自分たちの裁判が終わってからも、その法の立て付けに問題があるのではないかっていう気持ちが湧いたり、気持ちが変わってないから更なる支援が必要だっていうふうに思ったりするんだと思います。何か終わったから終わりとは思えない。この疑問とか、苦しみを、どうしても正していきたいっていうふうに思うのは、怒りも悲しみも寂しさも変わってないからだと思います」

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心誠くんが生まれ、9年を過ごした富山県砺波市はチューリップの栽培で全国にその名を知られています。心誠が亡くなる前、夏休みの自由研究にしようと育てていたチューリップは、ことしも優しい花を咲かせました。

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心誠くんの母親:
「私の中では小学校一年生とかも生まれたてぐらいの本当に小さいただただ愛する存在で、何か夢に出てくる心誠は、今でも2歳とか3歳とか小学校一年生とかそんな心誠ばっかりで、うん、私の中では本当にいつまでもかわいい宝物」

【取材後記】
今、もう一つ心誠くんの両親が富山県内で力をいれて活動しているのが「犯罪被害者支援条例」の制定に向けた動きです。心誠くんの両親は、全国の被害者遺族と交流する中で「条例」がないことによる支援の差を強く感じたそうです。

現状、富山県内で犯罪被害者支援条例が制定されているのは、県と滑川市、舟橋村だけで全国的にみても遅れています。今後、各自治体に呼びかけて犯罪被害者の相談や情報提供、経済的な負担を減らすための支援体制など富山県内でも整備することに尽力したいと話していました。