県内に甚大な被害をもたらした新潟地震。6月16日に発生から60年が経ちました。その時、新潟市を襲ったのが〝津波〟と〝液状化〟です。当時を知る人たちの証言から、今につながる教訓を考えます。

新潟市秋葉区に住む原山清さん・89歳。新潟地震の直後、趣味だったカメラを持ち出し、市の中心部へ向かいました。
■原山清さん
「見た目が普通じゃないから、なんでもかんでも撮ってた。大変な状態だということを目の当たりにした。」

萬代橋は姿を残していたものの、歩道部分は大きな被害を受けていました。そこで撮影したのは、住宅地に押し寄せる津波です。
■原山清さん
「(Q.何が見えた?)津波2波ですわ。萬代橋の足元に船がぶつかるあたりなんて、速い速度でぶつかったりしてましたからね。」

現在の万代地区など広い範囲が浸水。液状化現象の被害も重なり、映像には足元が見えない中で避難する人々の姿が記録されています。
■原山清さん
「下からどんどん物が流れてくる。水がたくさんあったから、そこを避けながら歩く人がいた。」

原山さんは、落下した昭和大橋など被害が大きかった現場を回り撮影を続けました。
60年が経ち、当時の映像を通して、いま伝えたいことがあります。

■原山清さん
「映像をみて感じてもらいたい。(災害に)気を付けてもらわないとなって。」