全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。瀬戸内海を挟んで、4つの県が独自のカラーを競う四国は、県ごとの喫茶文化にも個性を発揮。気鋭のロースターやバリスタが、各地で新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな四国で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが推す店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

四国編の第17回は、高知県高知市の「terzo tempo(テルツォ テンポ)」。印象的な響きの屋号は、“第3の時間”を意味するイタリア語。家でも職場でもない、コーヒーを飲んで気持ちをリセットする時間・場所のことだ。店主の佐野さんは、東京で音楽関係の仕事に就いていたが、ひょんなことから高知へ移住。縁もゆかりもない土地で、自らの新たな拠り所として構えた店は、肩肘張らない大らかな雰囲気で、今や老若男女に支持を得る憩いの場所に。この店に流れる“第3の時間”は、その時、その時のお客が作る空気とともに、日々表情を変えている。

Profile|佐野寛 (さの・ひろし)
1981年(昭和56年)、東京都生まれ。大学在学中にバンド活動をしていたことから、卒業後は大手レコードショップに勤務。先々の独立を視野に入れて、2007年に奥様の出身地である高知に移住。前職の経験を活かして音楽イベント、ライブを企画・運営し、その拠点としてカフェを立ち上げるべく、古民家をセルフリノベートし、2009年に「terzo tempo」をオープン。店の営業の傍ら音楽イベントの開催も継続し、2023年に運営に携わる3人の店主のユニッㇳ・蒼氓を結成。音楽バーのイベント出店やラジオ番組の出演など、新たに活躍の場を広げている。

■見ず知らずの土地で自らの新たな拠り所を作る
高知駅からまっすぐ南に伸びる、目抜き通りの東側、高知城や帯屋町などの繁華街とは反対の住宅街。旧い木造家屋や商店街が残る、ひなびた街なかにポツリと現れる「terzo tempo」の飾らぬ店構えは、うっかりすると民家と間違いそうになる。「地元の人なら、まず店はしないという場所でしたが、自分は外から来たので、直感だけで決めました。いったん廃れたと思われたエリアですが、最近は世代も変わって、空き家に入った新しい店が点在するようになりましたね」とは、店主の佐野さん。東京で音楽関係の仕事に携わったあと、高知に移り住んだのは2007年。奥様の地元ではあるが、縁もゆかりもない土地で、当時は確たるビジョンもなく、「形はどうあれ、何かしたい」との想いだけがあったという。

「移住というほど大げさではなく、引っ越したという感覚でした」と飄々と話す佐野さんは、まず自分ができることから始めようと、高知で音楽のイベントやライブを企画。それまではおもにライブハウスでの仕事が多かったが、手持ちの機材やノウハウを活かして、より気軽に参加できる形で開催の機会を広げていった。そのなかには、県立牧野植物園の職員とたまたま出会ったのがきっかけで、植物園を会場に開催したイベントも。以降、宣伝やデザインも自ら担い、規模の大きなライブも手掛けるようになったことで、問合せ先が必要になった。実はterzo tempoは、その時に付けた名前だ。「イタリア語で“第3の時間”という意味。家でも職場でもなく、コーヒーで一服する、リセットする時間、場所というニュアンス。ちょっと覚えにくいと思ったけど、いろんな意味に取ってもらえるかなと」と佐野さん。同時に、自らの新たな拠り所を持つべく、職業訓練学校で建築を学び、飲食店で働きながら、2年をかけて古民家をセルフリノベート。2009年に「terzo tempo」が誕生した。

入口のサッシ戸を開けると簡素な土間に大きなテーブルが2、3台。気候のいい時季は表を開け放し、ほとんど通りと地続きの露店のような雰囲気を醸し出す。「コーヒーは何かと飲んでいて、カフェの持つ空気は以前から好きだったので、これなら自分でも何かできるかなと漠然と思っていました。コーヒーそのものを突き詰めるというより、場所ありきという考え方で」と佐野さん。そんな店の方向性に思い至るきっかけの1つに、開店程なく遭遇した、あるエピソードがある。

「近所のおばあちゃんが来られて、“レモンチあるかね?”と聞かれて。初めは何のことかわからず、“ああレモンティーか”と気づいて、メニューにはなかったけど提供しました。今でこそコーヒーの風味や産地も細かく表示されてますが、こういう場所であれこれ言うのは違うなと感じたんです」。小難しいことは抜きで、コーヒーはコーヒーとしてシンプルに提案するのが、今も変わらぬ佐野さんのスタンスだ。

■必ずしもコーヒーが目的でなくてもいい
当初から自家焙煎は考えていなかったが、開店当時、市内のカフェの豆の多くが地元の人気店から仕入れていたため、ほかにないコーヒーを方々探し回ったという佐野さん。ちょうど、奥様の帰省のために徳島を訪れたときに出合ったのが、アアルトコーヒーだった。初めて豆を卸してもらうためのあいさつに行ったときのことを、今でもよく覚えているという。「店主の庄野さんに開店したら豆を使わせてほしい旨を伝えたら、“やめたほうがいい、儲からないから”という風なことを言われまして(笑)。そこで、ちょっと反骨心を持って店を始めて、後々聞いてみたら、それくらいで凹むようでは結局続かない、という意味合いでした。店を続けてきた今思えば、余計に染みる一言ですね」と振り返る。

創業以来、コーヒーは、中深煎りのアアルトブレンドと、深煎りのアルヴァーブレンドの2種が定番に。焙煎度の違いはあるが、基本は蘊蓄なしで、考えずに飲める提案を心掛ける。ただ、高知ではコーヒー店にはランチがあるのが当り前で、「terzo tempo」でも当初は自家製のカレーを出していたが、「カレーのイメージが強すぎて、コーヒー店として見られなくて。仕込みも大変だったので、やがてスイーツにシフトしていきました」と佐野さん。その後、代わって始めた夏のかき氷は、店の名物として定着。県外から、これを目当てに訪れるファンも多い。

「開店後はコーヒーの情報がどんどん出てきましたけど、ここではコーヒーは、単にコーヒーという感じでフラットに、何気なく出すようにしています。逆にいうと、必ずしもコーヒーが目的ではなくて。話したい、リラックスしたい、音楽聴きたいといったことが目的になる、その意味では喫茶店に近いものがあるかもしれない」。開店したころは、折しもアメリカでサードウェーブのコーヒーが広まり、日本にも知られ始めた時期。佐野さんも、その動向を知る同業の知人とともに、2014年にアメリカ・ポートランドを訪問し、すでにサードウェーブのスタイルを日本にも伝える人が増え、従来の喫茶店・深煎りコーヒーから、浅煎りのコーヒーを主体としたフランクなスタンドへと変わりつつあることを実感した。その波は、高知にはまだ到来していなかったが、当時のトレンドにあって、この店は真逆を行く存在とも言える。

■“知らないことの強み”から生まれたオリジナル
佐野さんにとって、この店を続ける過程で、“こうあらねばならない”という思考を手放すことで成り立っているという。「店があれこれ作り込まなくても、お客さんが空気を作ってくれるので。にぎやかな人がいる時もあれば、静かな人が集まる時もある、天候が替わるのと同じように、変化を味わってほしいと思う。基本はノールール。開けっ放しの入口も“ウェルカム”の気持ちを表しているつもり。いまやコンビニで100円コーヒーがある時代、“この場所で飲みたい”という人を呼びこみたい」。店は時間を経ることで、周りからの見方やお客の価値観が変わっていく。続けるうちに客層も変わり、古びた木造の空間は、いつしかカワイイ、レトロと言われるように。「店を訪れて、そう言ってくれるお客さんも、その親世代でも多分、こんな家には住んだことないはずなんです。それが、店を続けるほど印象や存在感が変わっていく」。生き物のように表情を変える空間を、佐野さんは大らかに見つめてきた。

とはいえ、ノスタルジーだけで店は続くものではない。そこに味のクオリティが伴って支持を得るというのが佐野さんの持論。コーヒーはもちろん、定番のチーズケーキやティラミス風のシューアイスといったスイーツは、少数精鋭ながら、いずれも洗練された盛り付けを凝らした逸品ぞろい。また、アイスクリームは独自に考案した自家製と、味わいのオリジナリティも魅力の1つだ。「雰囲気はいいけど味も昔のままだと、本来の意味での満足感は得られない。古いもののエッセンスは受け継ぎつつ、味覚はアップデートして洗練されたものを出していきたい。そうすることで、先々、こういう店のスタイルがクラシックとして認識されるかもしれないから」。さりげなく意図をにじませながら、質素な空間と味の洗練が調和する。不作為の作為ともいうべき感性が、店内に絶妙なバランスを生み出している。

いまや高知のカフェといえば名の上がる存在となった「terzo tempo」だが、「何も考えずにやってみたら、そこから始まることもある。逆に誰もやってなかったのは、固定観念がなかったからできたこと。店作りを含めて、知らないことの強みみたいなのが幸いしたように思います」と佐野さん。その間、開店前から携わってきたライブやイベントも店で継続。特に、10年前に始めたイベント・ビレッジは、個人店が集まり持ち出しで続けてきたものが大きくなって、今では最大180店が集まる規模になった。昨年、佐野さん含むビレッジの音楽班のメンバーで新ユニット・"バー蒼氓"を結成し、音楽バーを出展。ラジオ番組まで持つようになるなど地元での活動の幅をさらに広げている。

佐野さんは、10年余を経た店をこう振り返る。「自分の場合、店作りは完成からの逆算ではなくて、やれることを積み上げていったら結果的に、こうなっちゃったという感覚。それを続けるにはどうすればいいか、ずっと考えてきました。自分でもわかりにくい店だなと思いますが(笑)。こんな店でも、100人に1人くらいは好きな人がいればと思っています」。高知に新風を吹き込んだ店のスタンスは今も変わっていない。でも、ここで過ごす“第3の時間”は、訪れたお客の数だけ変化に富んだ表情を見せる。

■佐野さんレコメンドのコーヒーショップは「sommarlek coffee roaster」
次回、紹介するのは、高知市の「sommarlek coffee roaster」。
「高知市の東、奈半利町で創業して、4年前に市内に移転された新しいコーヒーショップ。店主の磯部さんは、こちらに訪ねてこられて以来、交流が続いていて、個性が強いコーヒー店主のなかでも穏やかで大らかな人柄は稀有な存在。アイスコーヒーの豆は、この店の中深煎りのエチオピアを使っていますが、風味の特徴がありつつ尖りすぎない味わいで、味作りの安定感に信頼が置ける一軒です」(佐野さん)。

【terzo tempoのコーヒーデータ】
●焙煎機/なし(アアルトコーヒー)
●抽出/ハンドドリップ(ハリオ・メリタ) 、エスプレッソマシン(ラマルゾッコ)
●焙煎度合い/中深煎〜深煎り
●テイクアウト/あり(550円〜)
●豆の販売/ブレンド2種、200グラム1080円〜

取材・文/田中慶一
撮影/直江泰治

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