近代を代表する日本画家・川端龍子は「床の間芸術」と呼ばれた日本画を広く大衆に開放しようと「会場芸術」を唱えた革命の人です。名前を聞いてピンとこなくても、浅草寺や池上本門寺の”龍の天井画”を見たことがある方は多いのではないでしょうか?

大田区立龍子記念館では、いつ訪れてもそのダイナミックな絵を堪能することができますし、今年の3月からは全国を巡回する回顧展が始まりました。この機会に、ぜひ、川端龍子の世界に浸ってみてください。

川端龍子(1885-1966)とは?

横山大観・川合玉堂とならぶ、近代日本画の三大巨匠のひとり。

18歳の時に描いた作品が世に認められ(読売新聞社が公募した歴史画に入選し賞金を得たそうです!)、絵の道で生きていく決心をして学校を中退。アメリカに渡って洋画を学ぼうと考えるも、いったんは断念し、挿絵画家として生計をたてます。その後、新聞社の一員として渡米。日本では、挿絵画家として注目されるようになっていましたが、アメリカでは全く評価されず、日本人が洋画をやっていくことの行き詰まりを感じます。

この時、転機となった作品と言われるのが、 ボストン公共図書館にあるシャヴァンヌの壁画 ボストン美術館にある『平治物語絵巻』 。敵わないとショックを受ける一方、洋画に劣らないほど素晴らしい日本画を目の当たりにしたことで、帰国後に日本画家に転向、28歳からの再スタートでした。

https://ckpunkanewengland.blogspot.com/2014/11/blog-post_24.html

https://www.museum.or.jp/news/4469

その後、横山大観(1868-1958)が再興した院展で入選し、”一に川端、二に龍子”と言われるほど、大観から高い信頼を得たにもかかわらず(2人の年齢差を考えると「可愛がられた」が正しい?)、自らの作風の追及のため、在野の日本画家となった川端龍子。

”洋画の技法を取り入れた規格外のスケールと大胆な画風”と評されがちですが、これは、 「展覧会場の壁面で見せる以上、それは特定の少数者のためではなく、広く大衆にうったえるべきである」 という信念から。でも、実際の絵を見てみると、物凄く細密な筆遣いで描かれた作品もあって、「いつ・どこで・誰が見るための」絵なのかによって、描き分けていた印象を受けました。

ちなみに、旧宅が今も保存されていて、入り口にはこんな説明書きが出ています。

Photo by tomoko

大田区立龍子記念館

Photo by tomoko

1963年に、文化勲章受章と喜寿とを記念して、川端龍子が私費を投じて建設した美術館。当初は、社団法人青龍社の運営で、1991年から大田区立龍子記念館となっています。

  • 住所:東京都大田区中央4-2-1
  • 電話:03-3772-0680
  • アクセス:都営浅草線「西馬込駅」から徒歩15分、JR「大森駅」から徒歩20分、東急バス「臼田坂下」下車 徒歩2分

上から見ると、【?】のような形をしていますが、これはクエスチョンマークではなく、「龍」にちなんで「タツノオトシゴ」がモチーフなんだとか。設計を龍子自身が手掛けていて、開館当初は、右側の壁が陳列用、左側は大きな窓になっていて、自然光で絵を見るスタイルだったそうです。

解説スタッフさんいわく、紫外線によって絵が劣化してしまうリスクがあるけれど、

  1. 私設美術館であり、創設者
  2. 絵の持ち主
  3. 描いた本人(修復が可能)

という訳で、この展示方法が可能だったとのこと。

※現在は区の管理のため、窓は塞がれています

Photo by tomoko

中に入ると、龍子の像と直筆の案内版がお出迎え。この像は、長年の友である、洋画家・鶴田吾郎から贈られました。

現在開催中の展覧会

名作展「大画面の奔流 川端龍子の『会場芸術』再考」

  • 会期:開催中−6月9日(日曜)
  • 開館時間:9時〜16時30分(入館は16時まで)
  • 休館日:月曜
  • 入館料:一般200円  中学生以下100円

1930年代から晩年の作品まで15作品、特に「非常時」と呼ばれた<戦前から戦後>の時代性を顕著に表したものを中心に展示。通常の美術展に比べて点数が少ないのは、ひとつひとつが大きいのと、美術館がワンフロアで構成されているからです。

Photo by tomoko

【海鵜(うみう)1963年】

入って一枚目に掲げられているのが、晩年の名作『海鵜』です。縦2m45㎝×横7m27㎝のまさに大画面。お世辞じゃなく大迫力で、自分が岩礁にいるような気分になり、頭の中で合唱曲『海はまねく』の一節「♪岩に砕ける波も 貝殻の響きも」が鳴っていました。

【臥龍(がりゅう)1945年】

今回の記事のカバー写真としてあげた作品。絵の横には作品解説のYoutubeへ飛べるQRコードがあるので、行かれる際はイヤホン持参がおすすめです。

1945年の8月は、次作として「特攻隊」をテーマに下絵を描いていたのを、戦争が終結したのを受け、新たに描いたのが『臥龍』。「焼け跡から始まる戦後の日本を象徴して弱り切った龍の姿を描いた」と解説にありましたが、なんとも不思議な作品で、モナリザよろしく見る側の精神状態を反映するのか、

  • 最初に見た時:「ほれ見たことか、そんで、これからどうする人間たちよ」と挑発されている気分
  • 2回目:「わしゃあ、もう疲れたよ。ゆるゆる行こうじゃないか」と寄り添い
  • 3回目:「さあ、これからだ」と思いながら、今はまだ力をためている状態

と、印象がさまざまに変化しました。そして、モナリザとの共通点がもうひとつ。どの位置に立っても目が合う気がしたんです。正面でも左に立っても右に立っても、視線が追ってくる感じ。百聞は一見に如かずですので、ぜひ、実際の作品を見に行って頂きたいです。

【花摘雲(はなつむくも)1940年】

会場の中で、横幅7mを超す巨大な作品が4枚あったのですが、中でも異彩を放っていたのがこちら。

日中戦争の時代にノモンハンの激戦地だった場所を舞台に、平安なイメージの絵が創出されていて、なんともミスマッチな作品。画面いっぱいの天女たちは、雲のように描かれていて、白の絵具・胡粉(ごふん)の独特な質感もあいまって、不思議な世界観でした。

若き日の龍子がボストンで見たシャヴァンヌの壁画に似ているなと思ったのですが、Youtubeの解説内でも、発表当時、類似性を指摘している人がいたようなので、この感想はあながち間違ってはなさそうです。

Photo by tomoko

【百蟇図(ひゃくがまず)1963年】

下絵と完成作が並んで展示されている、めちゃくちゃ興味深い作品です。下絵の方が大胆なタッチで躍動感があり、愛嬌もあって『北斎漫画』のような印象。一方、完成作は、格調高く雅な雰囲気で、精密な筆致。題材はガマガエルなのに、『鳥獣戯画』のような優雅さを感じました。

ほかにも、能の一場面を描いた『小鍛冶(こかじ)』や山本五十六を描いた『越後』などが展示されています。

今後の予定

龍子記念館では、年に数回展示替えをしていて、次回はこちら。

いつか見た桃源郷ー川端龍子の晩年の作品から

  • 会期:6月22日(土曜)ー8月12日(月曜・祝)

物語性のある柔らかなタッチの作品が数多く展示される予定です。

全国を巡回する「川端龍子展」

来年2025年が生誕140年ということで、龍子記念館が収蔵する作品を中心に構成された企画展です。80年の生涯を順を追って紹介する構成となっていて、10代の貴重なスケッチから、戦中・戦後の代表作『爆弾散華』『源義経(ジンキスカン)』などが展示されています。現在は富山で開催、このあと、岩手・島根・愛知で行われます。

富山県水墨美術館

  • 会期:開催中−5月26日(日曜)
  • 開館時間:9時30分〜18時(入室は17時30分まで)
  • 休館日:月曜
  • 観覧料:一般:900円/大学生:450円
  • 住所:富山市五福777
  • 電話:076-431-3719
  • アクセス:市電「トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前駅」から徒歩約10分、タクシー「富山駅」より約10分

https://www.pref.toyama.jp/1738/exh2305_kawabataryushi.html

【今後の予定】

岩手県立美術館

  • 会期:6月15日(土曜)−7月28日(日曜)

島根県立美術館

  • 会期:2025年7月18日(金曜)−8月25日(月曜)

碧南市藤井達吉現代美術館《愛知県》

  • 会期:2025年9月13日(土曜)−11月3日(月曜・祝)

龍子公園(旧宅とアトリエ)

Photo by tomoko

龍子記念館の目の前が、旧宅とアトリエを保存している「大田区立龍子公園」です。公園といっても出入り自由ではなく、 開館日に職員が案内する形で、10:00、11:00、14:00の1日3回、記念館のロビーから出発 します。

旧宅もアトリエも龍子の設計 で、修善寺の新井旅館で出会った庭師と建築家と意気投合し、龍子が考えたプランを形にしてもらったそうです。

私が訪れたのは初夏で、自然の生命力あふれる庭という様子でしたが、「 多忙で写生に出かけられない龍子が庭に咲く草花をモデルにするため敢えて手入れをし過ぎないようにしていた」のを再現している んだとか。庭の石は、修善寺からトラック40台で運んできたり、随所にこだわりがありました。

Photo by tomoko

入り口からアトリエに続く石畳は、龍のうろこがモチーフになっています。

Photo by tomoko

アトリエは、巨大な絵を床に広げられるよう60畳もあり、壁には仕上げの際に利用した、立てかけ用のフックもついていて、完全にカスタマイズされた空間でした。柱の下に礎石が置かれるなど、「天平文化の寺院建築を参考にしている」とのこと。

Photo by tomoko

アトリエも自宅も、採光のため窓をとても大事にしていて、雨戸や鎧戸などが一切ないのも特徴。そのかわり、ひさしを大きく作り、天井は竹網代に。節目のところが龍の背中に見えるからか、とても好んでいたようで、あちこちに取り入れられていました。

5つの天井画(目黒不動尊・修禅寺・浅草寺・養元寺・池上本門寺)

川端龍子は『臥龍』を描いたあと、龍の天井画作成の依頼を受けるようになります(正しくは、4枚が龍で1枚が飛天)。旅行で訪れた際など、注目してみてはいかがでしょうか?

  • 目黒不動尊『波濤龍図』1949年:初めての天井画
  • 伊豆・修禅寺『玉取龍』1952年:龍子は修善寺を第二の故郷としていた。お墓もここ
  • 浅草寺『龍之図』1956年:縦6m×横5mの大画面に顔のみが描かれた
  • 三重県・養元寺『飛天散華の図』1956年:1年に二作目となり、飛天が描かれた
  • 池上本門寺『龍』1966年:絶筆。未完の作品

日本画の概念がくつがえる⁉龍子の絵

川端龍子の作品は、日本画はとっつきにくいと感じる方でも楽しめるような仕掛けが満載です。

題材を取材し、そこから感じ取ったものを自由な発想で絵の中に展開する龍子の世界は、いわゆる絵画鑑賞とはひと味違う、劇空間のよう。

まだ見たことのない方は、龍子記念館や全国をまわる「川端龍子展」で、その魅力に触れてみませんか?

出典・参考

  • 「川端龍子展」図録 株式会社アートワン 2024年
  • おにわさん

余暇プランナー:tomoko