2023ー24年の期間内(対象:2023年12月〜2024年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。高校野球部門の第4位は、こちら!(初公開日 2024年4月1日/肩書などはすべて当時)。

 健大高崎の初優勝で幕を閉じた今年のセンバツ甲子園。長い歴史の中で幾多の好投手が出現してきたが、最強ピッチャーは誰なのか。「最強=相手打者を圧倒した投手」という視点で考えてみたい。

 ランキング化にあたり、まず、戦後のセンバツ大会で投球回を27以上投げた投手の中から、奪三振率(9回あたりの平均奪三振数)が8以上の投手を13人ピックアップした。そのうえで、奪三振率被安打率(9回あたりの平均被安打数)、防御率WHIP(1回あたりに許した出塁数)の4項目で比較。それぞれ1位に13点、2位12点、3位以下に1点ずつ減点したポイントを与え、総獲得ポイント数の多い順にランキング化した。さっそく10位から見ていこう(高校・プロ球団は当時の名称)。

9位は「プロで外野転向した」選手

10位 島袋洋奨(興南/沖縄) 22ポイント
各項目の結果:奪三振率10.93(4位)、被安打率6.59(11位)、防御率1.29(9位)、WHIP1.02(10位)

 2009、10年の2度センバツに出場。174cmと小柄な体躯ながら、身体をいっぱいに使ったトルネード投法を武器に、150キロに迫る快速球で三振の山を築いた。甲子園デビューとなった2年時、09年の1回戦富山商戦で、毎回の19奪三振で強烈な印象を残した。3年時、2010年のセンバツでも、初戦の関西戦で14奪三振。2回戦の智弁和歌山戦で11奪三振。この大会を制した。

9位 柴田勲(法政二/神奈川) 23ポイント
各項目の結果:奪三振率9.26(7位)、被安打率6.62(12位)、防御率0.79(7位)、WHIP0.91(7位)

 1960年夏、61年センバツを制し、“甲子園史上最強チーム”の呼び声も高い法政二の絶対エース。怪童・尾崎行雄(浪商)との3度に及ぶ対決は、投手戦の白眉として今も語り継がれている。強力打線の援護もあって、優勝を見据えてペース配分しながら投げている印象があったが、もし各試合で全力投球していたら順位は上がったかもしれない。卒業後は巨人に投手として入団したが、高い野球センスを買われて1年で外野手に転向。日本初の本格的スイッチヒッターとなり、俊足のリードオフマンとしてV9に貢献した。通算579盗塁はNPB歴代3位。

8位は奥川恭伸、6位「平成の怪物」

8位 奥川恭伸(星稜/石川) 25ポイント
各項目の結果:奪三振率10.06(5位)、被安打率6.09(7位)、防御率1.32(10位)、WHIP1.00(9位)

 佐々木朗希(大船渡−ロッテ)の同期として、2018、19年のセンバツに出場した。奪三振率が10を越えるのは、センバツ史上わずか5人しかいない(本企画の条件内)。特に3年時の強豪・履正社戦の17奪三振は見事だった。150キロを超える速球とブレーキ鋭いカーブにコーナーをつく制球力。高校生の中にプロ野球のエース級の投手が混じっているかのようだった。現在、ヤクルトで故障に苦しんでいるが、復活を待ちたい。

7位 今村猛(清峰/長崎) 27ポイント
各項目の結果:奪三振率9.61(6位)、被安打率6.55(10位)、防御率0.20(2位)、WHIP1.07(11位)

 2009年センバツで、菊池雄星擁する花巻東を決勝戦で破り、長崎県勢として春夏通じて初の甲子園制覇を達成した。エースとして全5試合に先発。初戦の日本文理、2戦目の福知山成美、準々決勝の箕島戦と、3試合連続で10奪三振以上を記録した。大会を通じて、自責点はわずか1。決勝の花巻東戦でも、菊池雄星との投手戦を1対0で制するなど、抜群の安定感を見せた。

6位 松坂大輔(横浜/神奈川) 29ポイント
各項目の結果:奪三振率8.60(12位)、被安打率4.40(3位)、防御率0.80(8位)、WHIP0.778(4位)

 1998年に春夏連覇を達成した「平成の怪物」。春夏通じて、甲子園で初めて150キロ超の球速を記録した投手である。快速球と高速スライダーのコンビネーションで打者を圧倒したイメージが強いが、98年センバツで奪三振が10個を越えた試合は第2戦の東福岡戦(13奪三振)のみ。5試合45回を一人で投げ切って優勝したことからも、ペース配分を考えた投球だったことがうかがえる。初戦の報徳学園、準決勝のPL学園と、優勝候補の2校に4失点したため防御率を落としたが、1試合あたり4.4本しかヒットを許さなかった被安打率(3位)は圧巻で、これがWHIP4位にも貢献した。

じつはスゴかった…大阪桐蔭エース

5位 菊池雄星(花巻東/岩手) 32ポイント
各項目の結果:奪三振率9.23(8位)、被安打率5.63(5位)、防御率0.68(5位)、WHIP0.90(6位)

 現役メジャーリーガーの菊池が5位にランクイン。2009年センバツで準優勝した菊池は、決勝までの5試合を通じて4項目すべてで8位以内という安定した投球をみせた。初戦の北海道・鵡川戦でいきなり152キロを記録。9回一死まで無安打の快投で12奪三振完封。続く明豊戦でも12奪三振で完封と好スタートを切ったが、決勝の清峰戦では7安打4奪三振と、連投の疲労から数字を下げた点が惜しい。

4位 前田悠伍(大阪桐蔭/大阪) 36ポイント
各項目の結果:奪三振率13.24(3位)、被安打率5.71(6位)、防御率0.78(6位)、WHIP0.779(5位)

 2022年のセンバツは2年生にして優勝。23年はベスト4。分厚い選手層を誇った大阪桐蔭は、22年は4投手、23年は2投手による投手分業制で勝ち進んだ。ランクインしたほとんどの投手が、ほぼ全試合を一人で投げ抜いていたのに対し、条件的に有利な点はあったが、奪三振率13.24の3位はただ者ではない。ドラフト1位でソフトバンクに入団して今季1年目、日本のエースへの飛躍を期待したい。

3位 水野雄仁(池田/徳島) 40ポイント
各項目の結果:奪三振率8.60(12位)、被安打率3.80(2位)、防御率0.00(1位)、WHIP0.56(1位)

 1982年夏、83年春を連覇して“甲子園史上最強チーム”の候補に挙がるほどの強力チームのエースで4番だった。特に83年センバツでは、初戦の帝京を11対0、2回戦の岐阜第一を10対1、準々決勝の大社を8対0と圧勝し、エースの水野が決勝までの5試合を失点2、自責点ゼロで投げ抜いた。

 野手のようなコンパクトなフォームからポンポンとストライクを投げ込み、防御率0で同ランキング1位。被安打率も3.8で2位。1試合当たりの四球数もわずか1.2で、当然WHIPも1位というずば抜けた成績である。一方で、奪三振率のみ8.60と12位に沈み、これが1位との明暗を分けた。決勝までの5試合で計34得点という強力打線の援護があったためか、三振を獲るピッチングは封印していた印象がある。

2位は「高校を中退した」伝説的投手

2位 尾崎行雄(浪商/大阪) 44ポイント
各項目の結果:奪三振率14.00(2位)、被安打率4.82(4位)、防御率0.64(4位)、WHIP0.61(2位)

 プロ野球史上もっとも速い球を投げたのは誰か、というテーマで必ず名前の挙がる“怪童”尾崎が2位に入った。1960年夏の甲子園に1年生エースとして初出場。2年時の61年は春夏と3季連続で甲子園出場を果たした。奪三振率は、圧巻の14.00で2位。与四球は3試合28回でわずかに2。この四球の少なさにより、WHIPも2位。制球力は優れていたが、何よりど真ん中に投げても打たれない豪球が武器だった。三振を多く奪い、ランナーを出さないという抜群の打者圧倒度を誇った。

 2年の秋に突然高校を中退して東映に入団。17歳でプロデビューした尾崎と対戦した山内一弘(大毎)は、初対戦で空振り三振を喫し、試合後に「球が速すぎて途中から消える」と語ったとされる。プロの最強打者を驚かせた尾崎が、もし3年時甲子園で投げていたらどんな記録を残しただろうか。プロでは実働12年で107勝。6年目の1967年に右肩を故障して以来、快速球は蘇らなかった。

語り継がれる「昭和の怪物」が1位

1位 江川卓(作新学院/栃木) 48ポイント
各項目の結果:奪三振率16.36(1位)、被安打率2.18(1位)、防御率0.27(3位)、WHIP0.67(3位)

 本ランキングで「センバツ史上最強投手」に輝いたのは江川卓だ。奪三振率16.36、被安打率2.18はダントツ。2位に大差をつける異次元の数字である。

 「昭和の怪物」の甲子園初登場となった73年のセンバツ初戦。大阪・北陽戦で、5番打者がこの試合の23球目を初めてバットに当ててバックネットにファウルした時、それまで静まり返っていた超満員のスタンドが大きくどよめき拍手が起きたのは有名なエピソードだ。この試合の4回2死まで四球1個をはさんで11個のアウトはすべて三振。終わってみれば19奪三振で完封を飾った。以来、江川の登板日は、国民がこぞってテレビ視聴するため、電力会社が電力不足になるのを心配したというエピソードが残るほど。全国的な注目を集めた点でも、最強投手に相応しいといえるだろう。一大会60奪三振は、今も残るセンバツ大会記録である。

文=太田俊明

photograph by Hideki Sugiyama