KFCもローチケも、はたまたマツキヨココカラも、経営戦略の一環として、アプリを仕様変更しているはずだ。その過程には、社内のマニュアルづくりで変えられる接客と違って、アプリは小売業者が内製化しにくく、開発業者の能力に大きく左右されるところもあり、結果的に使用感をコントロールしづらい事情もあるだろう。

しかしながら、消費者に企業の事情は関係なく、「利便性が高いか、否か」が評価軸となる。店舗そのものでの顧客体験は変わらなくても、接点であるアプリの変化によって、消費者は評価するということを、企業側は忘れてはならない。

——などといった話を書くと、「いずれ慣れるから気にするな」との意見が出がちだ。確かにごもっともだが、結果として慣れるのであれば、過渡期には消費者を振り回していいのかとなると、ちょっと疑問符が浮かぶ。

たとえばセルフレジは、ここ数年でかなり浸透した。キャッシュレス化の波に加えて、コロナ禍による衛生意識の高まりもあり、スムーズに操作できるようになった人も多いだろう。とはいえ、私ですら完全には慣れていない。

先日とあるスーパーで、完全ノンアルコールの「割り材」をセルフレジに通したら、店員確認が必要だと出てきた。駆け寄る店員さんに申し訳なさを覚えつつ、「次からは通常レジに持っていこうかな」と反省。これもまた、慣れるための通過儀礼なのだろう。

あくまでレアケースだ、と言われればそれまでだ。ただKFCの新アプリは、その前段階である通常使用の場面でも、大きな困惑を生んでいる。今回のみならず、「リリースする前に、なぜGOサインを出したのか」に疑問が投げかけられることは多々ある。

「今日、ケンタッキーにしない?」といかなくなる?

先ほど「アプリの改悪にとどまらないのでは」と指摘したのは、まさにここから、ガバナンスやコンプライアンスといった、企業としての姿勢が透けてみえてしまうからだ。

KFCのテレビCMは「今日、ケンタッキーにしない?」のキャッチコピーで知られるが、それはあくまで「選択肢」として位置づけられている前提のもとで機能する。顧客第一でないと思われてしまえば、選択肢にすら上がらなくなってしまう。そういう意味でも、新アプリによる代償は大きいと感じるのだ。

著者:城戸 譲