――お話を聞いていると、お母さまの存在が山田太一さんという作家にとってものすごく大きな存在だったのかなと思うのですが。

そうだったんでしょうね。父はよく「うるさい」って言ってましたけど(笑)。

でも母も「何でも『あらあなた、そうなの?』なんて言ってる奥さんだったら、あの人はドラマを書けなかった」「反抗する妻がいたから書けたのよ」と言ってました。

本当にその通りだったと思います。にぎやかな家族でしたね。喧嘩もよくしてましたし。おしゃべりもいっぱいしてました。やはり母の存在は大きかったんでしょうね。

もちろん母を筆頭に、子どもたちとの話もすごく作品に影響していたなと思います。ただ父は忘れちゃうんですよ。だから母が提供した話であることを忘れて、あたかも自分が考えていたかのようにエピソードを書くので。母は怒ってましたけど(笑)。

山田太一 異人たちと夏 山田太一氏の次女、長谷川佐江子さん(写真:配給提供)

――不勉強ながら、山田太一さんの作品が日本国内だけでなく、海外でも出版されていたというのは初めて知りました。

父の小説はファンタジー要素が強いからでしょうか。母は世界に通用すると思ったようです。

おそらく子育ても終え、両親も看取り、何か目標が欲しかったのではないかと思います。急に翻訳版の出版を目標に頑張ると言い出して。父は作品に集中したいので、あまりピンと来てなかったみたいですけど。

弟はアメリカ・ロサンゼルスを拠点にしているのですが、母は70を過ぎて弟の近くのマンションを借りて。弟と一緒にアメリカの法律家と会いに行ったりして。とにかく元気で、パワフルな母でした。

――やはりお母さまは、お父さまの作品が大好きだったのでは?

それはあったと思います。照れ臭かったのか、ストレートに褒めることはなかったですが。あそこまで頑張りたいと思えるのは好きじゃなかったらできないと思います。

海外の脚色を楽しみにしていた山田太一氏

――山田太一さんといえば、脚本を勝手に変えることをよしとしていなかったことでも知られています。ですが本作では、原作にある男女の恋愛模様ではなく、アンドリュー・ヘイ監督の大胆な脚色により、男性同士の恋愛模様として脚色されています。山田さんはむしろその脚色を楽しんでいたと聞きましたが。

そうですね。イギリスの作品なので、同じにしろというのがまず無理ですから。父もそれがどういうふうに変わるのか、楽しみだったみたいです。