新宿駅構内のビア&カフェ「BERG(ベルク)」に張られたポスターが注目を集めている。反戦の思いが込められたとされるジョン・レノンの楽曲の一節「WAR IS OVER!」の文字がおどるポスターについて、朝日新聞が『「戦争反対」は政治的ですか?』との見出しで報じた。記事では「政治的過ぎる」「飲食店にふさわしくない」などのクレームが入っているなどと伝えられ、SNSを中心に議論が起きている。

【映像】ポスターが貼られた店舗の外観・内観

 一方のBERG側は、「戦争反対」は数あるポスターの1枚でしかなく、反対や批判の声はたまにしかないとしているが、井野朋也店長はXで「人として生きてる限り『政治的』でないことの方が難しいんですから」とも発信している。「戦争反対」が論争になる背景は。そして芸能人やアスリートの政治的発信はタブーなのか。『ABEMA Prime』では「政治的」とは何か考えた。

■「戦争反対」が党派性を帯び、“思考停止ワード”に?

 BERGの「WAR IS OVER!」ポスターは、新宿駅直結通路に面した店外に7年近く掲示されていて、3カ月に1度程度の頻度ではがされていたが、直近1〜2年ほどはされていないという。「ビラは複数種類のうちの1枚」「Xなどで批判的な声も少数あるが、客の多くは応援の声」と番組取材に対して答えている。

 政治心理学を専門としている京都府立大学の秦正樹准教授は、「戦争反対」が政治的と感じる理由として、「政治的」が「党派的」にすり替わって特定政党を支持していると理解されることや、自分の利益と政治が直結していないため「政治はニュートラルなもの」と捉えていること、メディア報道から特定政党の主張と考えてしまう影響を挙げる。

 その上で、「一般的に『戦争反対』は何も間違っていないが、日本政治の流れを考えると、かつては社会党的な左派による、かなり強めの主張だった。最近では共産党やれいわ新選組が左派の典型例とされるが、そうした政党を支持していると聞こえてもおかしくない」と考察する。「ニュートラルな人は何も感じないが、右派からすると政治的に感じるのでは」。

 富山県内のコーヒースタンド「らいふころん」では、壁に「Stop Genocide(虐殺をやめろ)」のメッセージを掲示し、客と平和についての会話をすることもある。店内には図書スペースもあり、フェミニズムや社会運動に関する書籍が多く並ぶ。一方で、経営する劇作家・のりまき愛さんは、SNS上では“思想強め”とやゆされるとして、「自分の店で言いたいことを言っちゃダメなのか」と戸惑いを覚える。

 この店では、コーヒーの注文客に、ハトの絵が描かれた“Stop Genocide”のカードを渡している。「常連は『平和であることは当たり前』と言ってくれて、初めての客も、ほぼ全員が『そうだよね。戦争なくなった方がいいよね』。この街では肯定的な意見しかない」。

 ときには「単純に店の外観がかわいくて、コーヒーを飲みに来る“一見さん”」も来るという。「カード目的での来店は、あまりいない。政治に興味がないように見える人でも、勇気を持って話しかけると肯定的だが、私が勇気を持って話さないといけないのはおかしい」と訴えた。

 EXx取締役CTOのTehu氏は、「戦争反対は政治的ではない」との前提のもと、「ある種の思考停止的なワード」だと指摘する。「戦争賛成の人はいないだろう。思考なく発することができる言葉で、深く捉える必要はない。むしろ『戦争反対』より、具体的な議論が広がる『平和構築』と書いてほしい」。

■政治的から感情的へ… 時代による“理解”の変化

 著名人が政治的発言をして批判を受けた例もある。「#検察庁法改正案に抗議します」には、きゃりーぱみゅぱみゅさん、小泉今日子さん、浅野忠信さん、高田延彦さんらが言及。BLM(BlackLivesMatter)には大坂なおみ選手、沖縄・在日米軍基地問題はローラさんが触れ、柴咲コウさんは「種苗法」改正に懸念を示した。

 制度アナリストの宇佐美典也氏は、「20年ほど前までは、『戦争反対』が自衛隊の否定につながり、隊員の子どもが学校でいじめられる時代があった」とし、「メッセージの出し方が大事。『反対』が推進している人を攻撃しているように見えると、中立の人が嫌がるのは自然だ」との見方を示す。

 この意見に、のりまき愛さんは「意識高くあるのはダメなのか」と問いかける。「意識が高いとダサいと思われるような風潮が問題。攻撃的なエネルギーを発すると、『誰かへの差別か』と攻撃が返ってくる。自分では“攻撃”ではなく“主張”としてデザインしているつもりだ」。

 秦氏はこの意見に理解を示しながら、時代の流れとして「政治的分極化」から、「感情的分極化」へと移行していると分析。「その党である時点で、その人は嫌いだとなる状況に陥っている。かつては政治的主張が、誰かとの対抗や議論でなく、もう少し広い意味で理解され、見逃されていた。最近は社会全体として『左寄り』『右寄り』をより感じやすくなっている」とする。

 そうした価値観はSNSで増幅されるとし、「とがった一部の人が相次いで暴れ出すと、全体が炎上しているように見えるが、実はそこまでではないのでは。ただ当事者にとっては身の回りで起きている問題なので、多くの人が考えなくてはいけないことだ」と注意を促した。(『ABEMA Prime』より)